第100話 聞きたくない |
覆いかぶさるようにしている天童のせいでその姿ははっきりとは見えない。 「 翡翠…」 けれど龍麻はもう一度繰り返した。突然現れたその人物の名前を。 「 ………」 けれど何度呼んでもその人物―如月からの返答はなかった。ドアの前で刀を向け、その冷たい双眸はただひたすらに天童に向けられている。 「 ……そういやぁ」 天童がその緊迫したような空気を破るようにして唇の端を上げた。 「 雷角の奴らが言ってたな。龍麻、お前が玄武の愛人だとか何とか」 「 なっ…! なな何言ってんだよ天童っ。そんなのはっ。そんなのは違うぞっ」 「 ほう。違うのか?」 「 違うったら違う! 前だってそう言ったじゃないか!」 鬼道衆たちのあんなバカな発言を今さら蒸し返すなんて。しかも当の如月を前にして、だ。 龍麻は途端にカーッと顔中を赤くさせた。 「 ふっ…。そうか。なら俺がこういう事しても平気なわけだな?」 「 え…って、ひゃっ!」 「 ……ッ! 龍麻っ」 同時に発せられた龍麻と如月の驚愕の声など天童には何という事もないらしい。背後には自分に刃を向けている長年の宿敵がいるというのに、天童はまるで無防備な格好で己の下にいる龍麻に顔を寄せるとそのままその耳元をぺろりと舐めた。 …もっとも龍麻がその所作に今度こそ暴れようとした瞬間には、天童はもうそこにいなかったのであるが。 「 え…」 「 貴様…ッ!」 「 ひっ!?」 上に覆いかぶさっていた天童が消えた代わり、ボー然とする龍麻のすぐ鼻先には如月の刃の切っ先があった。 天童が龍麻に「悪戯」を仕掛けた直後、激昂した如月はすぐさま刀を振り上げた…が、その恐ろしく速い攻撃を天童は素早く部屋の壁際へと移動する事でうまく避けた。 結果的に未だベッドに横たわっている龍麻がその刃を受け止める事となったわけだが。 「 ひ、翡翠…」 「 ………」 「 す、寸止め…。あぶな…」 「 龍麻、ぼさっとするな! さっさと起きろ!」 「 あ、う、うん…っ」 「 くそっ…!」 「 ………」 慌てて起き上がった龍麻を如月は見ていない。既に壁際に移動した天童へ刃を向け、龍麻を背中越し隠すような格好だ。 龍麻はそんな如月の背中を黙って見つめた。 これに哂ったのが天童だ。 「 くくッ。おいどうしたよ、イヌ。お前、あの地下神殿にいた時より随分とトロ臭ェな。ンなに頭に血が上ってちゃ、テメエの大事なバカ王の為の務めも満足に果たせねえんじゃねえか」 「 黙れ…!」 「 それとも」 天童は顎でしゃくるようにして龍麻を指し示すと、実に楽しそうな眼をして言った。 「 テメエにとっちゃあ、最早徳川よりもソッチが…黄龍の方が重要か?」 「 天童?」 天童のその言葉に龍麻はどきりとした。 けれど天童は答えなかった。ただ如月を見て続けた。 「 お前もそいつの《力》が欲しいんだろ?」 「 ……貴様に…何が分かる」 「 翡翠…?」 「 どうしたの、ひーちゃん!? 何か凄い音が…あっ!?」 「 龍麻パパ、ダイジョブ!? 敵、キタ!?」 その時、バタバタとした駆け足と共に隣室の桜井、マリィがやってきた。 「 ひ、ひーちゃん! ちょっ…大丈夫!?」 「 龍麻パパ!!」 そして2人は何やら尋常ではない部屋の雰囲気にぎょっとしながらも、ベッド脇ですっかり硬直してしまっている龍麻に慌て、必死にぎゃーぎゃーと声を掛け始めた。 「 ちっ、やかましいな…」 これにすっかり興を削がれたように舌打ちしたのは天童だ。じりじりと如月との間合いを計りながら窓際へ移動し、片手でバタンとその窓を開くとさっとそこへ足を掛ける。 そして。 「 龍麻、めんどくせえから今夜は消えるぜ。気が向いたら後で戻ってきてやるから、俺が恋しかったら呼べ」 「 よ、呼べっって…! ちょっ…天童っ!?」 「 逃がすか!!」 「 !! ひっ、翡翠、ちょっと待って!! 駄目だよ!!」 「 離せ龍麻!!」 「 龍麻」 如月の切羽詰った声よりもよく通った声。 「 え…」 ぴたりと動きを止め、龍麻は窓際にいる天童へ目をやった。 「 ………」 天童は窓から外へ飛び降りようとする瞬間、その龍麻にはっきりと言った。 「 お前が呼べば俺は分かる」 「 てっ…!」 「 あっ! 飛び降りた!!」 それは本当にあっという間の事だった。 声をあげた桜井がだっと窓枠へ駆け寄り、地上へと視線を落とす。しかし天童の姿は既に周囲の何処にも見当たらなくなっていた。 「 いない…」 「 どうかしたのですか。こんなに遅くに」 「 あ…雛…」 その時、後からやって来た雛乃が不思議そうに軽く小首をかしげ声を掛けてきた。 「 ドアを開けたままで…。まあ窓も…風邪引きますわよ」 事態を飲み込めていないのかしらばっくれているのか、雛乃の口調は実におっとりとしたものだった。乱れた部屋で刀を手にしたまま肩で息をする如月、その如月に背後から抱きついているような形の龍麻を見ても別段驚いた風ではない。 その雛乃が言った。 「 翡翠さま、いつお城からおいででしたの? そんな格好で…。休まれるのでしたら、お部屋が用意してありますからそこで…」 「 龍麻、離せ!!」 「 あ…」 雛乃の声を掻き消し、如月が怒鳴った。 「 ご、ごめん…っ」 如月のそのらしくもない荒い声に龍麻は慌てて身体を離した。 「 き、如月クン…?」 「 翡翠のオ兄チャン…」 しかしこれには龍麻だけでなくその場にいる桜井とマリィも怯えたような顔を見せた。雛乃だけは眉をひそめるだけだったが、いずれにしろ「気まずい」どころではないどんよりとした空気が部屋の中いっぱいに広がっていた。 「 あ、あの、翡翠…」 龍麻が恐る恐るという風に言った。如月は背中を向けたままだったが、それはむしろありがたかった。 「 ご、ごめん。あの…。でも、翡翠が天童を斬ろうとしたから、俺…夢中で。天童はあんなだけど、でも変わったんだ。手にしてた勾玉も自分で壊して―」 「 天童って…。緋勇さま」 しかし龍麻の声を途中で断ち切ったのは扉付近にいた雛乃だった。 「 緋勇さま、もしや天童とは九角国生き残りの…?」 「 あ……」 「 ……そう…なのですか? 何故九角と緋勇さまが―」 「 雛乃」 如月が口を開いた。それは静かだけれど威厳のある凛とした声だった。 如月は龍麻を見ず、扉の方へ歩いて行くと自分を見やる雛乃にだけ一瞬視線を向けて言った。 「 訊かなくていい」 「 何故ですの? これは重要なことです。緋勇さまは私たち姉妹が管轄下に置いているゆきみケ原の祠で行方知れずになったのですよ。あの旅の扉を開いて…。その行く先が九角王の元だったとなれば―」 「 だから訊かなくていいと言っている」 「 翡翠さま…」 「 彼が九角と接触があり、奴につくと言うのなら…僕は今すぐ彼を殺さなくてはならなくなる。それはまずい。彼には明日、地下の壇上門へ下りてもらう必要があるからな」 「 ………」 「 彼の力は使える。あそこには人々を惑わす呪いの元…勾玉も多く転がっているし、何よりあの化け物の源になっているものを断つ事が今の僕たちの戦いには必須なんだ」 「 そうですわね。でも…」 「 ちょ、ちょっとちょっと! 如月クン、君、一体何を言ってんの!?」 如月の言葉に桜井がようやく我に返ったようになり、むっとして唾を飛ばした。 「 ひーちゃんを殺さなくちゃいけないとか、ひーちゃんの力が使えるとか…! 何だよそれっ。まるでひーちゃんを都合の良い物みたいに言ってさっ。そうじゃないでしょっ!? ボクたちがひーちゃんを必要としているのは!!」 「 そうダヨ、翡翠のオ兄チャン! オカシイヨ? だってオ兄チャン、いっつもマリィにはそう言ってナカッタ! それ違ウ!」 「 ………」 如月に向かって必死に反論する桜井達の声を龍麻は聞いていなかった。 ただボー然として如月の背中を見つめていた。冷たく放たれたその声だけを耳の奥で反響させていた。 知っていた。そんな事はもうとっくに知っていた事なのだ。 けれど。 「 ……ごめん」 俯き、ぎゅっと拳を握り締めた龍麻はようやっとの想いでそれだけを言った。床を見つめる視界の向こうで、ぴくりと相手が反応をしたような気がしたけれど、龍麻には分からなかった。そういえば、今は自分がこうして視線を逸らしているからだけれど、如月は最初からちっともこちらを見ようとしなかった。天童がいなくなってからも背中ばかり向けていた。 そう、そして訊いてもくれないのだ。 何処へ行って何をしていたのか、その理由を訊いてもくれない。必要ないから。 ただ要るのは《力》だけ。龍麻自身ですら分からない、龍麻の未知の《力》だけが如月には必要なのだ。 「 あの…」 すうと息を吐き出し、龍麻は言った。 「 ……戻るの、遅くなっちゃって本当にごめん。でも俺、ちゃんとやるから…」 「 ひーちゃん…」 桜井の悲しそうな声が耳にこびりついた。けれど今どうしても聞きたい声は龍麻の耳には入ってこない。 「 ちゃんとやるから…」 泣きそうになる想いを必死に堪えて龍麻は言った。 明日なんか待たず、今すぐ戦いに行きたいと思った。 《現在の龍麻…Lv20/HP110/MP95/GOLD117950》 |
【つづく。】 |
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