第53話 滅びの国

  あれほど強かった水の匂いは、気づくともう感じられなくなっていた。
  水脈からは離れたのだろうか、そもそもここは一体何処なのだろう。
「 ………」
  それでも龍麻は前を歩く天童にもう声をかける事ができなくなっていた。
  向こうもそれを望んでいるのが分かったから。
「 ……っ」
  魔法で治癒したとは言っても、一度傷つけられ痛めつけられた腕はまだシクシクと痛む。龍麻は顔をしかめながらその傷跡を眺め、それからはっと小さく息を吐いた。
  何処までも続く地下の階段。人1人分がやっと通れるほどの細いそこは、ただひたすらに暗く、そして不気味だった。
「 あ……」
  そして、どれほどの時間が経ったのだろう。
「 着いたぜ」
  天童はようやく足を止め、それから再度ぱちんと指を鳴らした。
  辺りが先刻よりもまた一回り明るくなる。周囲の外壁がより鮮明になった。途端、あれほど狭かった空間がみるみる開け広い場所に出た事が分かった。
「 ここは…!」
  龍麻は思わず声をあげた。


  そこは巨大な地下神殿――。
  強固な、そして強大な石柱が左右に6本ずつ。そしてその中央奥には見た事もない大きな石の彫像が実に見事に象られているのが見えた。
  そこに在るのは、黒き竜。


  ただ、その石の彫像はところどころひび割れて破損し、元の形を留めてはいなかった。
「 こ、これは一体何?」
「 黒竜の神殿だ。…まぁ神殿跡、と言った方が正しいがな」
「 え…?」
  龍麻が聞き返すのにも構わず、天童はさっと歩き出すと開かれた空間の一番奥に奉られているその彫像へと近づいた。
  龍麻も慌てて後を追った。
「 こんな地下神殿は世界中どこにでも転がってる。だが、ここまでの規模を誇るもんはそうはねえ。……特にこの―黒竜の方を中心に崇め奉ってるやつはな」
  天童は言いながら目の前にある巨大な彫像を顎で指し示した。龍麻はそれに倣って自らも顔を上げ、改めてそれをまじまじと見やった。
  なるほど、確かにどんと鎮座し、翼を広げて飛翔しているのはこの黒き竜1匹だけだ。白い竜もいることはいるが、背後にある石壁の端の方に小さく描かれているだけに過ぎない。
「 な、何で…?」
「 何が『何で』、なんだ?」
  龍麻の問いに天童は眉をぴくりと上げた。龍麻は怯まずに続けた。
「 どうして平等に彫られていないの?」
「 それはこの神殿を造った奴らが黒竜の方をより強く信仰してたからに決まっているだろうが」
「 それが珍しいことなの?」
「 あ?」
  龍麻のその立て続けの質問に、今度は天童も不可解な顔をしてじっと視線を向けてきた。龍麻はそんな天童の疑念の方こそが不思議だと言わんばかりの顔をした。自分の訊いている事はそれほどおかしい事だろうかと思ったのだ。
「 だから。さっき、こっち…黒い竜を崇め奉ってる人はそうはいないって」
「 ああ、ねえよ。黒き竜は人間に呪いをもたらす畏怖の象徴だ。世界に災厄をもたらし、女子どもでも容赦なく食い散らす。破壊の権化、だとな」
「 う、嘘だよ! 俺は龍山のおじいさんから黒竜は人々に安らぎをもたらす存在だって教えてもらったもん。白い竜と並んで世界を護る神様だって」
  必死にそう食い下がる龍麻に、天童はここで目を見開くと心底驚いたような声を出して言った。
「 はっ! そりゃイマドキ信じられねえ化石野郎だ! まだそんな大昔の話を喋くってる奴がいたとはな…!」
「 え…」
「 だがな、世間の定説はそうじゃねえ。ここら一帯の信仰するカミサマってやつはそこのしけた白竜と、そいつを助けて悪を滅ぼしたっていう勇者様の―徳川だけだぜ。そいつだけが人間に富とシアワセを持ってくるってよ」
「 と、徳川…?」
  突然出てきたその名前に龍麻は思い切り面食らった。
  しかしそんな龍麻には構わず、天童は静かな眼をして言った。
「 だからここは――これを造った奴らは滅ぼされた」
「 え…?」
  龍麻が殆ど反射的に彫像から視線を外すと、隣の天童はもう当に龍麻のことを見下ろしてきていた。
  そのどことなく殺気立っている雰囲気に龍麻は再び背中が凍るのを感じた。
「 天、童…?」
「 ………」
  乾いた唇で恐る恐る呼びかけてみたが、やはり返事はない。
  代わりに天童はさっと踵を返すとつかつかと石柱の横をすり抜け、崩れた石壁の一角にまで進んでいくと「見ろ」と龍麻に呼びかけた。
  後を追ってそこへ近づいた龍麻は天童が指し示したものに目を凝らした。
  壊れた石壁には落書きのような、それでいてどこか温かみのある絵柄が彫られていた。
「 これは…何かを運んでる…?」
  その絵を覗き込んで龍麻は独り言のようにつぶやいた。
  たくさんの人の群れが何か石の塊のようなものをそれぞれ肩に背負ったり牛馬で引いたりしている。
「 昔、この辺りでは銀がよく採れた」
「 銀…?」
「 銀だけじゃねえがな。これを造った奴らの国は…豊かだった」
「 そう、なんだ…」
  よく訳も分からず龍麻が頷くと、天童は突然声色を変えて訊いてきた。
「 おい龍麻。お前は考えた事があるか。もしもテメエの土地が貧困で、隣に住む奴の土地が豊かで潤っていたとしたら。そしたら、お前は一体どうする」
「 ど、どうするって…。別に、どうも…」
「 何故だ。そいつをぶち殺してそいつが持ってた財産全部、テメエのものにしちまえばいい」
「 そ…! そんな事はしないよ!」
  唾を飛ばしてすかさず反論する龍麻に、天童は嘲笑の色を浮かべ笑った。
「 だろうな。だが、そう言うのはテメエに力がないからだ。力のある奴はそうは答えねえ」
「 そ、そんなこと…っ」
「 現に今の世の中は強いモン勝ちだ。そうだろうが? テメエがこの世界の事をどう捉えているかは知らねえが、この地下神殿を造った国をぶち壊した徳川も、それと同じようなことをしてデカくなっていった他の大国も、皆似たりよったりだ。黒竜が破壊の神なんて話は、この国を体よく滅ぼす為に作った奴らの法螺に過ぎねえ。だがな、強い奴はどんな嘘も本当にできる。そして相手から何もかも奪える。それがこの世界の全てだ」
「 それが…全て…」
  龍麻の掠れたように絞り出された声に対し、天童はただ鼻で笑うだけだった。
  そうしてやがて天童は神殿の中央にまで歩み寄ると、声をあげ軽快な口調で言った。
「 ここは墓場で宝の山だ」
  それはどことなく嬉々としたものだった。
「 部下共はともかく、俺がここまで来たのは後者の為よ。ここには、俺らの祖先が残したという強大な力を秘めた何かが眠っているはず。俺はそれを掘り起こしてえ。そして、この世界を俺の意のままに動かす」
「 世界を…?」
  未だ茫然と石壁の落書きの傍にいた龍麻は、天童のその自信に満ち溢れた声にようやく我に返った。
  頭が混乱する。
  彼の言っている事の半分も、自分は理解できたのだろうか。
「 天童…。君……」
「 龍麻。お前、俺と来い」
  そして唐突にそう言った天童に、龍麻は声を失った。
  しかし数メートル離れた位置に颯爽と立っているその男は、揺るぎのない瞳で再度言った。
「 お前の力を俺の為に役立てろ。お前は腹の立つ奴だが、まるきり使えねェって事もない。俺が見せてやる。お前に、ホンモノの世界をな」
「 ……ホンモノの、世界?」
  それでは、今の世の中は嘘だとでも言うのだろうか。
  龍麻がただ躊躇した瞳を向けていると、天童は笑みの含んだ眼光をくゆらせながら唇の端を上げた。
「 10秒やる。考えろ。俺と来るか、ここで死ぬか」
「 ………ッ」
  本気の目。
  また、あの恐ろしい目だった。
「 天……」
  しかし声を上げようとして、龍麻は再度失敗した。何を語りかけようと、何を問いかけようと無駄な気がする。
  天童が今欲しているのは、YESかNOか。
  そのいずれかのみだから。
「 ………俺」
「 10秒だ。答えろ、龍麻」
「 お、俺――」


「 答えは、NOだ」


「 !!」
  しかし龍麻が唇を開きかけた、その時。
  ズズーン……。
「 な…ッ!?」
  突然、物凄い轟音と共に壮絶な地響きが起こり、龍麻は立っていられないほどの衝撃を全身から受けた。
  天井から次々と落ちてくる石の欠片。倒れ崩れる石柱。
「 ひ…ッ。何が…!」
  しかし、惑い混乱して動けずにいる龍麻に、不意にぐいと腕を引き後方へ下がらせる者がいた。
「 あ…っ!」
「 そこの隙間を潜ってここを出ろ」
  龍麻にそう言い、前方にいるであろう天童の方に剣を向けたその青年は。
「 き、君…?」
「 さっさと行け!」
「 あ、う、うん…っ」


「 徳川のイヌ…飛水か…!」


  割れんばかりの轟音が続く中、天童の通る声が避難する龍麻の耳にじんと木霊した。
  ただぐるぐると回る頭の中で、それでも龍麻は必死に逃げ出していた。心臓が破れんばかりにどくどくと激しく波打っているのが分かる。それでも龍麻は振り返らなかった。
  振り返るのが怖かった。



  《現在の龍麻…Lv13/HP2/MP12/GOLD6940》


【つづく。】
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