第54話 星は出逢う

  自分の吐き出す息の音がやけに煩い。
  天童が灯した明かりのある神殿跡から離れれば離れるほど、暗闇はどんどんと迫ってきた。
  それでも龍麻はひたすら身を屈め前へ進んだ。
「 くっそ、何て狭さだ…!」
  轟音と共に崩れ落ちる壁。けれどその一角に明らかに人の手によって開けられた風穴があり、龍麻は突然現れた如月に言われるまま、その隙間へと飛び込んだ。立って歩く事ができないくらい狭い空間だったが、屈みながらなら何とか動く事はできた。
  龍麻はただ必死に、出口など考えずにただ進んだ。もっとも曲がり角などないからただ真っ直ぐ行くしかなかったのだが。

『 キシャシャシャ―――――!!』

  その時、前方から昆虫のような形をした牙の鋭いモンスターが現れた!!
  龍麻に突然襲いかかる!!
「 何でこんな時にっ!!」
  ミス!! 龍麻は死に物狂いで避けた!!
  ちなみに現在のHPは2である!!
「 ホイミ!!」
  龍麻はホイミを唱えた!!
  龍麻のHPが少しだけ回復した!!
『 ギシャー!!』
  モンスターの攻撃!!
「 うわっ!?」
  龍麻は暗闇に目が慣れていない!! けれど当たれば死が待っている!!
「 うわあっ…!」
  ミス!! 龍麻は奇跡的な回避を見せた!!
「 はあはあ…くっそう…!」
  龍麻の攻撃!!
『 ギシャー!?』
  モンスターは8のダメージを受けた!!
「 はあ…っ、はあ、駄目だ、こんなんじゃ…!」
『 ギシャシャシャー!!』
  モンスターの攻撃!!
「 うわっ…」


「 飛水八相…ッ!!」


『 ピギャアアー!!』
  モンスターは80のダメージを受けた!!
  モンスターを倒した!! 
  45の経験値を獲得、250ゴールドを手に入れた!!
  やくそうを手に入れた!!
  戦闘終了。


「 え…?」
「 こっちだ、来い」
「 あ、あの…!」
  背後から現れ、モンスターを斬りつけたのは如月だった。
  如月翡翠…浜離宮の道具屋で初めて出会い、そうしてあの徳川王国の骨董品店で龍麻に無愛想な表情を向けていた青年。
  その如月は龍麻の手首を掴むと、あとは振り返りもせずに早足で狭い地下の抜け道を進んで行く。
「 あ、あの、ちょっと…!」
「 ………」
  龍麻が呼びかけても如月は返答をしなかった。龍麻は痛む手を離してくれと言う事もできず、ただ引っ張られるままに如月の後をついて歩くしかなかった。
「 ………っ」
  一瞬迷った末、龍麻は一度だけ後ろを振り返った。
  耳をすませば聞こえるような気がした。神殿の石壁が未だ崩れ落ちている音。
  九角天童の自分を呼ぶ声が。


××××××


  暫くすると、再び広く開けた場所に出た。
「 はあ…疲れた…」
  思わず弱音めいた言葉が零れたが、龍麻はそんな自分自身の言葉に構っていられないほどに疲弊していた。
  どっかと腰を下ろし、それからようやく辺りを見渡す。如月が魔法で灯す小さな明かりだけでは周辺もはっきりとは見えないが、ごつごつした岩が辺りにひしめいているのは分かる。数メートル先には今いる空洞から先へ進めそうな穴が数箇所あり、天井は低いが地上へ向かう道もそこから見出せそうな気配があった。
「 途中何度か上り坂みたいになっていたところを歩いたし…上に向かってるのかな…」
  沈黙が怖くて龍麻はぽつりと呟いた。それからちらと前方にいる如月を見やる。
  如月は龍麻には構わず、その数箇所の入り口に何やら魔法を掛けている最中のようだった。結界だろうという事はさすがの龍麻にも分かった。
  結界。恐らくは、あの天童が追ってくる場合を想定して。

『 龍麻。お前は俺と来い』

  天童がそう言ったあの時の姿を龍麻は思い出していた。
  あの男が何を考えているのか、それははっきりしない。何か禍々しいものを感じたのは確かだ。力あることが全てだと言い切り、世界を思うままにすると言い切った天童。その眼光が、姿が、龍麻はただ怖かったけれど、それでも一方であの滅びた神殿跡を見つめる彼に何か破壊とは別のものを感じ取ったのも事実だった。
「 ね、ねえ…」
  だから龍麻は如月に訊いてみたかった。
  如月が咄嗟に自分をあそこから逃がしてくれた事それ自体は素直に嬉しかった。自分は天童に何と答えていいか分からなかったし、あのまま口ごもっていたらあの場で殺されていた事はほぼ間違いなかっただろうから。
  それでも突然現れ、恐らくはあの神殿の一部を更に破壊して天童に剣を向けた如月は。
  龍麻の目から見て、決して「正義の味方」には映らなかったのである。
「 ねえ、如月…さん」
  如月は何者なのか。そして何をしようとしているのか。
  あの九角天童とはどのような関係にあるのか。
  そして黒竜と白竜の話は。
  訊きたい事がたくさんあった。
「 如月さん。聞いてる?」
  しかしこちらに背を向けたまま全く答えない相手に、龍麻は眉をひそめ声を大きくした。
「 如月さん!」
「 …………」
  それでも相手は答えない。
  龍麻は重い身体を無理に動かし腰を浮かしかけながら、尚も洞窟の一部に手を掛け何事か調べているような如月に声をかけた。
「 ちょっと、ねえ、答えてよ? 俺、貴方に訊きたいことが――」
  しかしやや唇を尖らせそう言った龍麻は。
  振り返った如月の顔を見た瞬間、固まった。
「 ………あ」
  声を出そうとして失敗し、更にツカツカとこちらに歩み寄ってきた如月から反射的に逃げようとして、それにも龍麻は失敗した。
  先ほどまで寄りかかっていた岩場に更に背中をぶつけ、龍麻はぎくりとして背後を見た。けれどそれすら一瞬で。
「 手を出せ」
「 え…?」
「 いいから見せろ!」
「 ……っ」
  半ば怒鳴りつけられるようにそう言われて龍麻は慌てて手を出した。如月はそれにきっとした目を向けながら、龍麻が差し出した方とは反対のそれをさっと掴んだ。
「 いった…!」
「 ……毒か」
「 あ…で、でも…」
  天童がキアリーをかけてくれたと言おうとして、しかし龍麻は再度黙り込んだ。
  相手の相当に怒っているような様子がひたすら怖かったのと、唖然としている間にその如月がしてきた事がただただ驚きだったから。
「 あ、あの…」
  如月は途惑う龍麻には構わず、自らの懐から布と小さな薬入れを取り出すと実に手早い仕草で傷の手当てをし始めた。
「 何でもかんでも魔法、魔法だ…」
「 え……」
  如月の頭にきたような声に龍麻はびくりとなって聞き返した。如月はただ龍麻の傷口に集中して顔を上げなかったけれど。
  そして如月は尚も言った。
「 ……そのせいで完全に治るものもこうやって痕を残してしまう」
「 あ、とが…?」
「 暫くはこうしておくんだ。汚い傷跡が残っても知らないよ」
「 ………」
「 少し休んだら…地上へ戻る」
「 う、うん…」
  はっとため息をつかれ、龍麻は素直に頷いた。相手が呆れているのが分かったし、どうあってもこちらの話など聞いてくれそうにない事が分かったから。
  そういえばこの人は最初から自分のことを「勇者などとは認めない」と言って冷たい態度を取っていたっけ。嫌われていたんだという事を思い出し、龍麻は一気に気持ちが沈んだ。
「 ………あ」
  しかし龍麻は自分の横に座った如月をちらと見て、ここでようやく気がついた。
「 き、如月さん…! 怪我、してるの!?」
「 ……静かにしてくれ」
「 で、でも!!」
  龍麻は慌てて如月の傍にまで近づき、両手を地面についた格好で相手の所作を見つめた。
  如月は自身の肩口の傷にも素早い応急処置を施すと、別段苦しそうな顔も見せずにすぐに剣に手をかけた。いつ誰が襲ってきても大丈夫なように。
  そう、如月は一時も気を抜いてはいなかった。
  龍麻などはあの神殿から退避してすっかり安心しきっていたというのに。
「 き、傷…大丈夫?」
「 ああ…」
「 それ…天童がやったの?」
「 ………」
  天童と呼んだ龍麻に如月はちらと不快な瞳を寄越したが、別段そのことを責めてはこなかった。
  しかし龍麻が焦ったように如月の傷口に手をやろうとすると、再び牽制するような声をあげた。
「 君は」
  その凛と響く声に龍麻はびくりとして動きを止めた。
  如月は言った。
「 あの男について行くつもりだったのか」
「 え…」
「 九角…鬼道衆の頭目に、だ」
「 え、天童が…!?」
  驚き目を見開く龍麻を如月はただ静かな目で見つめていた。そしてやがて更に落ち着いた口調で言った。
「 もしそうなら僕はこれから君を殺さなきゃならない。嘘でもいいから、その気はなかったと言って欲しいね」
「 どうして…」
「 どうして? 君を殺したくないからに決まっている。どんな人間だろうと人殺しは気分が悪いだろ。それだけさ」
「 そ……」
  あまりの言い様に龍麻は絶句した。天童と大差ないような、否、いっそそれよりも酷薄なものを龍麻は如月から感じた。
「 だったら…殺せば?」
  だからだろうか、らしくもなくカッとしていた龍麻はぎっとなって如月を厳しく睨み据えた。怪我人だろうが何だろうが関係はない。
  こいつは嫌いだと、龍麻は思った。
「 俺、天童がどんな奴か知らない。今日知り合ったばかりだし…確かに何か危険な感じはしたんだけど、正直来いって言われて、絶対嫌だとは思わなかった。だって知りたかったんだ。世界のこと」
「 ………」
  龍麻の言葉に如月はただ眉間に皺を寄せていた。
  龍麻はそんな如月を見つめながら続けた。
「 あいつは怖いけど…でも、それなら俺のこと殺すなんて物騒な事言う如月さんも同じだし。貴方たちがどういう関係なのかは知らないけど、 どうしてそうぴりぴりしてるんだ? 俺が一体何をしたって言うんだよ?」
「 君は僕がかけていた結界を解いた」
「 え?」
  毅然として言う如月に龍麻の勢いはぴたりと止まった。
  如月は龍麻の方を見ていなかったが、前方を厳しく見据えながら尚も淀みのない声で続けた。
「 今、あの地下神殿を奴に探られるのはまずい。だからあの水牢には奴らが手を出せない陽氣を込めた念で鍵をかけていた。それを君が開けてしまった。……簡単にね」
「 簡単って…わけでも、なかったけど…」
「 彼に何を聞いた」
「 え…」
  その探るような目が龍麻は嫌だった。思わず目を逸らしてしまう。
  如月は続けた。
「 あいつは黒竜を信仰していた九角国の生き残りだ。いつまた徳川に攻め入り、この土地を荒らすか分からない。そんな危険な男を君は――」
「 それなら徳川だって同じだろ?」
「 何だって?」
  如月の厳しい視線に一瞬怯んだものの、龍麻は負けずに続けた。
「 徳川だって同じじゃないか。天童の国が豊かだったからって、適当な理由つけて侵略して滅ぼしたんだろ。銀が欲しかったから? 邪魔だったから?」
「 ………黒竜が破壊の象徴だというのは本当だ」
「 嘘だよ、だって…!」
「 君に何が分かる」
「 分からないよ!!」
「 何……」
「 分からないよ、何が何だか! だって誰も教えてくれないし――」
「 だったら自分で探ればいいだろう。なら訊くが、君は僕が何か話したとして、それを真実だと信じるのか? 九角に黒竜の話を聞いたんだろう? 僕がこの後それとは全く逆の話をしたとしたら。君は一体どちらの言う事を信じるんだ?」
「 それは……」
「 奴か。それとも僕か? ……その様子じゃ、君が僕の話を信じるとはとても思えないけどね」
「 …………」
  そうかもしれないと龍麻は思った。
  この冷たい目をした美しい青年がこの後自分に今何を話したところで。
  果たしてそれをそのまま信じられるかどうか、龍麻には自信がなかった。
  それなのに如月に何かを説明しろというのも確かに勝手な言い分だ。
「 ……ごめん」
  思わず口をついて出た言葉に龍麻は自分自身で途惑った。それでも、恐らくはそう言う事が必要だと感覚では分かっていた。
「 ……何故謝る」
  しかし如月はそう言った龍麻に実に嫌そうな顔を向け、それきり黙りこんでしまった。
  龍麻も沈黙した。
  しんとした洞窟の中、2人は互いに傍にいながらただその吐息だけを聞いていた。
  静かな、静かな空間。
  龍麻は黙って前を見据える如月の横顔を見つめた。
「 ………」
  不思議だった。頭の中では自分に冷たいこの如月翡翠という青年のことを苦手だと思っている。嫌だと思っている。頭にきている。
  それなのに、どうしてか目を離す事ができない。
  龍麻は自分自身にただ困惑していた。

「 ……緋勇」

  その時、不意に如月が口を開いた。
「 え…?」
「 これをやるよ」
  そんな龍麻に如月が差し出してきたのは小さな小さな赤い実だった。龍麻が驚いてじっと視線をやると、如月はどことなく困惑したようになって横を向いてしまった。
  そうして変わらぬ不機嫌な声で如月は言った。
「 体力、もう殆どないんだろう? 悪いが僕は地上に戻るまでMPを消費したくない。君に回復魔法はかけてやれないから」
「 い、いいよ」
「 よくはない。ないよりはマシだ。それを口に含んでおけ」
「 だ、だって、なら…」
  それなら如月の方が消耗しているようなのに。
  どうやって撒いてきたのか、いずれにしろあの天童をかわしながらここまで来る為には相当の《力》を消費したに違いない。龍麻は赤い実を見つめながら首を横に振った。
「 勘違いしないでくれ」
  それでも如月は納得しない。殆ど強引に龍麻にそれを渡すと、後は少しでも身体を休めるように目をつむり、そして言った。
「 それは君の為にやるんじゃない。足手まといになられては困るからやるんだ。……僕自身の為だ」
「 なっ…」
「 だからさっさと食べてくれ」
「 なん…わ、分かったよ!」
  さすがにそうまで言われ、遠慮していた龍麻もむっとして声をあげた。
「 食べればいいんだろっ」
  やけくそのようにそう言って、龍麻は如月に向かってあてつけるような所作でその赤い実をぽいと口に放り込んだ。
「 あっ…!」
  けれどその瞬間、龍麻は思わず声を漏らした。

  その実はこの上なく甘く、そして美味しかったのだ。



  龍麻のHPは全快した!!
  《現在の龍麻…Lv13/HP65/MP09/GOLD7490》


【つづく。】
53へ55へ