第56話 宿屋の主があてがった

  ターフ村、その外れ。
「 ん〜…。ああ、何だか腰が痛いや…」
  外気に触れた事でどっと力が抜けたのか、龍麻は思い切り身体を伸ばして声をあげた。
  辺りは既にほの暗い。一体どれほどの時間をあの暗い地下通路で過ごしていたのだろうかと思う。
「 ……アランたち、心配しているかな」
  龍麻がぽつりと呟くと、地下通路の入口を石の扉で封鎖していた如月が振り返って言った。
「 青龍を仲間に引き入れたのかい」
「 え? あ、ああ、アランのこと? うん。元々アランとは知り合いだったし、事情を話したら…」
「 白蛾の森へ向かっていたそうだが」
「 う、うん。ウゴーってモンスターを仲間にしたんだ。モンスター爺さんから鑑札ってのを貰わないといけないって聞いたから、そこへ寄って…。如月の所へ向かう途中に立ち寄ったのが名もない村で」
  そこから地下通路で如月に出会うまでの経緯は知っての通りだ。
  だからだろう、龍麻に最後まで言わせずに如月は言葉を出した。
「 それじゃあ君は…4神の鍵を3つまで集めたのか」
「 あ…え、えーと、それが…」
  如月の問いに龍麻は口篭った。
  如月には「青龍のアランを仲間にし、鍵を3つまで集めたら自分の所へ来い」と言われていたが…。
  集めるどころか、その3つとも謎な鬼道衆なる集団に奪われて失くしてしまった。
  モンスター爺さんの龍山はそれでもこの如月の元へ行けと言ったけれど、実際言われた事を満足に果たしていないのに、この頑なな人物から何らかの助けを求めるのは難しいように感じられた。
  龍麻が答えないのを見ると如月はくるりと背を向け、前方に見える仄かな明りを指差した。
「 とりあえず村へ行こう。人里近くとはいえ、最近はこんな所でもモンスターとよく出くわす」
「 あ、うん」
「 それから」
  龍麻を振り返る事なく如月は続けた。
「 村の者は僕たちの出自を訊ねてくる。僕は嘘をつくが、決して顔色は変えないように」
「 え?」
  驚いて問い返したが如月は答えなかった。
  龍麻は胸に嫌な予感を抱きつつも、後をついていくよりなかった。



「 いらっしゃい。お疲れで」
  村の入口近くには、古ぼけてはいるが割と造りのしっかりした宿屋が一軒あった。
  如月は迷わずそこへ入り、早速空き部屋の確認をした。
  龍麻はきょろきょろと辺りを見渡している。二階建ての宿屋は、一階は受付と食堂。その食堂は酒場も兼用しているようだった。村の者らしき数人のグループに、同じく旅人風情の人間が幾人か。皆、好奇の目でこちらを見やっている。
  何だか居心地が悪い。
「 1部屋だけだが空いていますよ。ちょいと高いが、いい部屋でね」
「 それでいい」
  如月は簡素に答え、酒場の方の人間たちには見向きもしなかった。
  しかし金を出している如月に構わず、恰幅の良い宿の主人はじろじろと探るような目を向けて言った。
「 しかし1つ質問させて下さい。お客さん、お国はどちらで?」
「 秋月だ」
  淀みのない如月の言いように龍麻はどぎまぎする気持ちを必死に抑えながらその場にいた。何を持って自らの出自に嘘をつくのかは定かではないが、どうやら徳川の名前を出すのはマズイらしい。
  これは口裏を合わせるよりない。
「 そっちの坊やは?」
「 ぼっ…!」
「 同じだ。剣の修行中でね」
  主人の失礼な言い様に抗議しようとした龍麻を抑え、如月は淡々としていた。
「 そんな細腕で? ご苦労なこった」
  まるで信用していないという風に主人は微かに笑みを漏らしたものの、黙って部屋の鍵を渡した。如月はそれを受け取り、龍麻に目だけで「行くぞ」と合図をする。龍麻は渋々それに従った。
  するとその背中に、酒を煽っていた一人の荒々しい声が聞こえた。
「 剣が使えるってなら、あのゴミ共を掃除してくれればいいのによ…!」
  龍麻は振り返ってその言葉の意味を問いただしたかったが、如月の背中はそれをよしとしていなかった。



  宿の主人の態度も横柄なら、部屋もとても「いい」ものとは言えなかった。窓が1つにベッドと簡易机、箪笥。それらは今まで見てきた宿と大差ないが、しかしどれもボロボロな上に埃をかぶっていた。
「 掃除してるのかな」
「 この村の人間は他所者が嫌いなのさ」
  荷物を机の端に置いてから如月は言った。
「 特にここ最近は用心深くなっている。……無理もないが」
「 何かあったの?」
  部屋の中央に立ち尽くしたままの龍麻に如月は平然と返した。
「 ここ数週間で村の人間が何人も行方をくらませている」
「 えっ」
  それはあの地下通路でここと繋がっている「名もない村」と同じではないか。龍麻が驚いた顔をして如月を見つめると、意を察したように如月は続けた。
「 大抵は夜のうちに姿が見えなくなるようだ。名もない村の連中はそれを何か良くない事の前触れだ、異形の所為だ呪いだとさんざ怯えているようだが…ここの連中は違う。これらは人による所業だと思っているんだ」
「 どういう事?」
「 …………」
  龍麻の問いに如月はすぐに答えなかった。
  そして傍の椅子に腰を下ろすとふと口調を変え、立ったままの龍麻に向き直った。
「 さっきは適当に答えてしまったが、実際君は何処の出身なんだ?」
「 え…。ああ、俺は外れ村の出身で…あの名もない村よりも小さい、何にもない所だよ。でも、とっても長閑で良い所でさ…」
  故郷を思い出すようにして龍麻は口元に笑みをこぼし、目を細めた。
  懐かしい。早く帰りたいと思う。
「 生まれた場所が好きかい」
  訊かれて龍麻は我に返り、ハッとなって顔を上げた。如月の静かな目がこちらを見ている。途端どきりとしたが、必死にそれを隠しつつ、龍麻は頷いた。
「 う、うん。俺、自分の村が好きだよ。父さんは勝手な人でしょっちゅう家を空けてさ…。殆どいないも同然だったけど。でも、嫌いじゃないし。友達の焚実は本当にイイ奴だし…」
「 それなのにどうして村を出たんだ」
  如月の当然の問いに龍麻は苦笑した。
「 父さんがある日突然俺を追い出したんだよ。『お前は今日から勇者になるんだから、こんな所にいつまでもいたら駄目だ』なんて言って。俺、全然訳分からないうちに村から出て…その後はもう流されるままに……」
「 ………」
「 如月は?」
  自分ばかり訊ねられてズルイと思い、龍麻は訊いた。
「 さっきはどうして…秋月の出身だなんて言ったの?」
「 ……歓待されない事は勿論、下手をすると追い出されるからな」
「 それは…またどうして?」
「 ここで起きている行方不明事件の犯人が徳川の、しかも王の仕業ではないかと噂されているからさ」
「 ええっ?」
  あまりの事に龍麻は大声をあげた。
  徳川国の王様の事などよくは知らないが、それにしても一国を担う王が近隣の、恐らくは自分の領土であろう村の者たちをわざわざ夜中に攫ったりするものだろうか。普通に考えてそんな事はありえない気がする。
「 そんなバカな…」
  だから思ったことをそのまま伝えると、如月は心底不快な顔をした。
「 ああ、そんなバカな、さ。それでもこの村の連中は徳川をよく思っていない。それどころか、憎んですらいる」
「 と、徳川は豊かで大きな国だと聞いたけど…」
  仲間である桜井小蒔が言っていた事を思い出しながら龍麻は恐る恐る言った。
  年に一度のマガミカップ、優秀な馬を競う大会にはいつも徳川が優勝すると言っていた。豊かな愛情、完璧な環境があってこそ、馬は育つ。つまり良い国こそがマガミカップを…その栄光を戴けると人々は信じているのだ。実際そうだろうと龍麻も思う。
  しかしそんな龍麻に如月は皮肉な笑みを浮かべた。
「 しかし君も九角から徳川の過去の所業を聞かされて、この村の人間同様、あまり良い印象を持っていないんじゃなかったか?」
「 あ……」
  それもそうなのだが。
  しかしその考えを隅に置きつつ龍麻は首を左右に振った。
「 確かにあの時はそう思ったよ。でもそれはあの時の如月の態度があんまりひどかったから頭にきてつい口走っちゃったってだけで…。ごめん。でも本当は、ちゃんと自分の目で確かめるまではどっちがどうだなんて結論は出さないよ。…出しちゃ駄目だよな」
「 ………」
「 如月?」
  何事か考えこんでいる風な相手に不安を覚え、龍麻はそっと声をかけた。
  するとやがてぶっきらぼうな声が返ってきて。
「 ひどい態度で悪かったね」
「 あ……」
「 僕こそ頭にきてたんでね。大事な結界を破られたってことと…」
「 だ、だからそれは…っ」
「 その君が、九角の懐へ転がりこむ寸前だったからな」
「 え…?」
  探るような目を向けられて龍麻は思い切り狼狽した。
  如月は自分のことを信じていないのかもしれない。その考えに龍麻の胸は痛んだ。
  恐らくだが、天童は自国を滅ぼされた恨みから徳川を憎んでおり、如月もまた母国を憎むそんな天童のことを憎んでいる。つまり互いに敵対しているわけだが、そのせいでこの如月が天童と一緒にいた自分まで憎むというのなら、それはとても悲しい事だと龍麻は思った。
  龍麻は天童のことも如月のことも別段嫌いではなかった。天童には殺されかけたが、何故かそれほどひどい奴だとも思えなかったし、常に冷たい態度の如月も、こうして一緒にいると実はそれほどひどい奴というわけでもない事が分かってくる。だから龍麻は如月に嫌われるのは嫌だと思った。
  今、裏密のカードがあったなら、如月のカードが何色をしているのか確かめられるのに。
「 ……つまらない話をした」
  不意に如月が口を開いた。えっとなって視線を向けると、そこには心底困ったような顔をした如月がいた。
「 緋勇、君を困らせるつもりで言ったわけじゃない。気分を害したのなら謝るよ」
「 お、俺は別に…」
  相手に心配されるほど落ち込んでいたのだろうかと思い、龍麻は慌てて首を振った。
  これ以上足手まといに思われるのは避けなければならなかった。
「 お、お腹空いたね。下へ行って食事にしない?」
  精一杯明るい調子で誘ってみたが、しかし如月はそれを無碍に断った。
「 悪いが遠慮する。あの雰囲気で食事を取る気にはなれない」
「 た、確かに…」
  冷ややかな店の空気を思い出して、龍麻は苦虫を噛み潰したような顔をした。
  しかし如月は懐から財布を出すと銀貨を出し、それを龍麻に投げて寄越した。
「 君は平気さ。村の人間もすぐに慣れる。行って来るといい」
「 えっ。な、何で?」
  投げられた銀貨を反射的に受け取りながら龍麻は慌てた。
  そういえば、今夜の泊まり賃も全て払ってもらっている。しかし口を開こうとして、また先んじられた。
「 君は周囲の人間を仲間にするのが得意なようだから、村人ともすぐに打ち解けられる」
「 ……そんな事は」
「 立派な魔物使いになれるよ」
「 人間は魔物かよっ」
  突っ込みのつもりですぐに返したが、しかし如月は依然として真面目な顔のままその言葉を肯定した。
「 ああ。魔物より恐ろしいよ。……人間は」
「 如月……」
「 さあ、食事をしてこい。僕はここで少し書き物をしているから」
「 あ、あの……」
  しかしくるりと背を向け、鞄を引き寄せながら机に向かい出した如月に、龍麻はどうしても訊いておきたいと思っていた事を口にした。
「 あのさ、ところで…。一つしかないベッド、どうやって寝るの?」
  龍麻たちが割り当てられた部屋には、ベッドが一つしかなかったのだ。
  気まずそうにしながら、龍麻は壁際にある小さな一人用の簡易ベッドをちらりと見つめた。



  《現在の龍麻…Lv13/HP65/MP50/GOLD7490》


【つづく。】
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