第60話 5人目

  龍麻がふと目覚めた時、まだ部屋の中は真っ暗だった。
  朝にはまだ少し早いらしい。
「 今…何時なんだろ…?」
  呟くようにそう声を出した後、龍麻はベッドに如月の気配がない事ではっとして起き上がった。
  辺りを見回す。部屋にもその姿はない。
「 如月…?」
  龍麻は焦って声を出したが、当然の事ながら返答はない。
  1つしかないベッドをどのように使うのかと龍麻が訊いた時、如月はあっさりと「君が使うといい」と言った。それでは悪過ぎると龍麻が猛烈抗議をすると、如月は深くため息をついた後言ったのだ。
「 それなら先に休んでいろよ。僕は後で横になるから」
  …今思えば、如月はハナから龍麻とベッドを共有する気などなかったのだ。
  龍麻が納得しないからそう言ったまでで。
  しかしそれならば一体何処へ行ったのだろう。
「 如月…」
  返事を期待しないままに、龍麻は再びその名前を呼んだ。
「 ………」
  しんと静まり返った空間。
  龍麻は何だか途端に不安な気持ちになった。
  トイレかもしれない。湯を浴びに行っているのかもしれない。或いは、少しだけ外の空気を吸いに出た?
「 あーもう!」
  色々な考えに眩暈を覚え、それならと龍麻は思い切って立ち上がり、上着を羽織ると部屋の外へ出た。
  廊下も暗い。まだ皆寝静まっているのだろう。
  なるべく大きな音を立てないよう気をつけながら階段を下りる。
  そうして外へ続くドアの前にまで辿り着いた時、龍麻はようやく辺りのおかしな空気に気がついた。
「 何だろう…?」
  夜だから暗い。
  夜だから誰もいない。
  当たり前のはずだ。当たり前のはずなのに、この胸を過ぎる違和感は一体何なのだろうと思う。
  ふと、受付横に続く食堂兼酒場のフロアに目をやる。
「 わ…っ」
  龍麻は思わず声をあげた。
  いつからだろう。暗闇の中、フロアの中央に位置する丸テーブルの席に人影があった。
「 だ、誰…?」
「 ……あら」
  人影はゆらりと揺れて振り返ってきた。どうやら龍麻の存在に気づいていなかったようだ。
  声色から女だと分かった。
「 おかしいねぇ…。この<眠りの笛>が効かないなんて、何か護符でも身につけているのかえ?」
「 ね、眠りの笛って…」
  警戒しながらも、龍麻は女の姿を確認しようと一歩二歩と近づいた。
  明りのない空間なれど、窓から差し込む月の光と徐々に慣れてくる夜目で段々と相手の事が見えてくる。
  黒いマントを目深に被っているが体躯は細身だ。そして、その女の顔には。
  怪しげな鬼の面がついていた。
「 あ、貴女は…」
「 ちょいと待っておくれ」
「 ………?」
  龍麻の問いを片手で制し、鬼の面を被った女はまたくるりとテーブルに向き直るとむしゃむしゃと何かを口に入れた。龍麻が怪訝な顔でそちらをそっと覗き込むと、そこには宿屋の女将が作った夕飯のおかずがズラリと並べられていた。
「 ご飯…食べてるんですか?」
「 ……んぐ。ごくり。…ふー。ああ、そうだよ。わらわはもうここ数日の間、本当にまともな物はまるで口にできないでいたんだ。もうハラペコでハラペコで…」
「 そ、そうなんだ」
「 いくらわらわが食べ物にはそれほど執着しないと言っても、ここ最近の激務と想像を絶するプレッシャーを跳ね除けるには、それ相応の物も摂取しないとねぇ……」
「 はあ……」
  背中を向けながら尚ももしゃもしゃと食事を続ける謎の女性に、龍麻はやや呆然としながらじっとその様子を見つめていた。女を放っておいて如月を捜しにいくべきかちらと思うも、とりあえずはその場に留まる。
  するとようやく人心地ついたのか、女が龍麻をちらと振り返り、言った。
「 ところで坊やはこの宿の宿泊客かい」
「 ぼ…坊やってのやめてくれない? 俺、そんなガキじゃないし!」
「 ほほほ…そりゃ失礼したねえ…。あんまり可愛い顔をしているからさ。で、どうなんだい? 客なのかい?」
「 うん、そうだよ。旅をしてるんだ」
「 そうかえそうかえ…」
「 貴女は? 俺、その鬼の面がすごく気になってるんだけど…。あ、あと、お面しながらよく食事できるね?」
「 わらわほどの人物になると面をしながらでも食事ができるようになるんだえ」
「 そういうもんなの?」
「 気合でどうにでもなるもんさ」
「 ふうん…」
「 で? この面が気になるというのは?」
「 あ、そうだった」
  自分で訊ねておいてすっかり訊きそびれていた龍麻は、今はもうお茶を啜って食事の締めに入っている女の横に立ち、じっと見つめつつ言った。
「 貴女は…もしかしなくても鬼道衆じゃない?」
「 ……そういう坊やは緋勇龍麻だね」
「 !!!」
  驚いて飛び退ると、女は手にしていた湯飲みをゆっくりとテーブルの上に置き、すっと立ち上がって龍麻の方に向き直った。それからおもむろに懐から竹でできたような笛を取り出す。
「 わらわは鬼道衆が1人、水角」
  面の女―水角は艶やかにそう名乗ると手にした笛を高らかに掲げた。
「 これは眠りの笛。この音を聴く者に安らかなる眠りと夢をもたらし、時には笛を吹きし者の思うがままに動く…」
「 え?」
「 話は雷角らに聞いておるぞよ、緋勇龍麻とやら…! おぬしがわらわ達の仲間になってくれれば、我が御屋形様もさぞやお喜びになるであろう。さすれば飛水を抑えられなんだわらわの罪も多少は軽減されるはず…!!」
「 な、何言ってんの、一体…?」
「 ほほほ…分からなくても良いのじゃ。とにかくはこの笛の音を聴け! そしてわらわと共に行かん!」
  水角はそう言うと、途惑う龍麻の前でさっと笛を吹き始めた。

  不思議な音色が辺りにじわりと響き渡る。

「 き、綺麗な音だなあ…」
  龍麻は水角が吹く笛の音を聴きながら、そしてフロアいっぱいに溢れる音の姿を追うように天井を見上げながら、感心したように呟いた。
「 ………」
「 これ何て曲ですか?」
「 ………」
「 あ、そうか。演奏してるから答えられるわけないか」
「 ………」
「 でも音楽っていいよな。俺好き。俺の村には太鼓くらいしかなかったけど…」
「 ………」
「 ……? あれ、何か音が…狂ってきてるよ?」


「 何で効かないー!?」


「 えっ…!?」
  突然笛を口から外して絶叫する水角に龍麻はぎょっとしたようになって目をぱちくりさせた。
  水角は水角で、息継ぎなしでずっと演奏していたのだろうか、ぜいぜいと荒く息をつぎながらやや前のめりになっている。
「 あの、大丈夫…?」
「 だ、大丈夫って…優しいその言葉にほろりと…じゃなくってー!!」
「 はあ…」
「 な、何故じゃ何故なのじゃ!? 眠りの笛が効力を発揮せん!! この宿の者はこれで皆寝入ってしまっているというのに! 何故緋勇龍麻! そなたには効かぬ!! わらわの演奏が!!」
「 そ、そんな事…言われても…」
「 わらわの腕が未熟だからか!? レベルの高い者には効かないのだろうか…っ」
「 いやぁ…俺、レベル13だけど」
「 じゅ…13!? そ、そんなに弱いのかえ!?」
「 う…き、傷つくなあ。でも、そうだね。強くはないよ」
「 それならば…やはりわらわの力不足故か…」
  がっくりと肩を落とす水角に龍麻は気の毒そうな顔を向けた。
「 そうじゃないよ。俺、水角さんの笛好きだよ。とっても綺麗な音色だったし」
「 ……お、お世辞など食えはせぬ。そのようなものはいらぬ」
「 お世辞じゃないよ。本当、ずっと聴いていたいなあって程の音色だった。上手いんだね」
「 ………」
「 ……? どうしたの?」
「 ならばわらわと共に来てくれるかえ…?」
「 え? あ、ああ、鬼道衆さんたちの所へ? ごめん、前にもそんな事言われたけど。俺、今度ははっきり自分の意思で断るよ。俺にはやらなくちゃいけない事があるし、それに…」
  如月を探さなきゃと言おうとして、龍麻ははっとして窓の外へと目をやった。
  何者かがいる。
「 何だ…?」
  村人だろうか。それにしては足取りが覚束ない。ふらふらと暗い夜道を動いている。
  嫌な感じがした。
「 そうかえ…それは残念だねえ…」
  その時、背後でゆらりと水角が動く音がして、龍麻がはっとして振り返ると。
「 ならば力づくで来てもらうしかないねー!!」
「 紅井!!」
「 ヒーローパーンチ!!」
「 ぎゃ!!」
  突然、紅井が現れた!!
  紅井ことコスモレッドの不意打ち攻撃!!
  水角に10のダメージを与えた!!
「 う、うぐぐ、な、何するんだえ〜…?」
「 龍麻、離れろ!! 思いっきりアヤシイ奴め!! 正義の鉄槌を食らわすぞ!!」
「 あ、じゃあここは任せた! 俺は外へ出る!!」
「 へ? お、おい龍麻!! どうしたんだよ…っ!!」
  驚き呼び止める紅井を振り切り、頭をさすりながら床にへばっている水角も顧みず、龍麻は外へ飛び出した。
  そうだ、この場面。
  あの名もない村で見たのと同じだ。
  突然消える村人。
  黒い人影。
「 何かあるんだ。きっと2つの村の事件に共通する、何かが…!」
  手甲も何も身に着けていない、殆ど寝巻き姿の状態のまま、龍麻は夜の村を疾走した。
  頭で考えるよりも先に、ただ身体が動いていた。



  《現在の龍麻…Lv13/HP65/MP50/GOLD7490》


【つづく。】
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