第72話 魚人と勾玉

  入り組んだ階段を闇雲にどんどん上って行った龍麻は、気づくと最上階にまで上り詰めていた。
「 ハア…。もう龍麻さん、どうしたんですか。急に走り出したりして…」
  後をついてきたさやか姫が荒く息を継ぎながら多少恨めしい声を上げる。
  霧島王子も背後を気にしながら龍麻に言った。
「 ここは一本道ですし、見張りの兵士がいたら鉢合わせになります。早く戻った方が…」


「 誰かおるのか」


  その時、最上階にあるたった一つの部屋、重い扉の向こうからいやに荘厳な声が響いた。
  龍麻は何ともなしにここまで来てしまった自分に戸惑いながらも、ドア向こうの人間の声に息を呑んだ。
「 あ、あの…。貴方は…」
「 ……城の者ではないな。遂に化け物がここまで上ってきたか……」
「 え?」
  半ば諦めたようなその静かな声に龍麻は眉をひそめた。扉を開こうか、迷いながらも咄嗟に手が出ない。
「 開けましょうよ」
「 あっ!」
  しかしそんな龍麻の躊躇いを嘲笑うかのように、さやか姫がさっさと扉を開いた!
  扉はいとも簡単にギギギイ…という音と共にゆっくりと開かれた。
「 ………あ」
  部屋の奥には、豪奢な椅子に寄りかかって窓から見える半月を眺めている何者かの後ろ姿があった。
「 ………」
  龍麻が何とも言えず部屋の入り口で突っ立っていると、その人物は振り返る事なく言った。
「 これ、この通り…。この西の塔の住人は、最早何の力も持たぬ老人1人…。喰らうのなら喰らって、さっさとここから立ち去るがいい…」
「 え…いや、俺たちは…」
「 私たちは化け物じゃないです」
  さやか姫が澄んだ声でさっと言った。
「 む…?」
  それに誘われるように、人物がゆっくりと振り返る。
  真っ白い豊かな髭を顎に蓄えた老人。しかし、その威厳ある風貌とは裏腹に頬はこけ、どことなく疲弊している姿はいっそ哀れを誘った。
  しかし着ている物からも相当の地位にある者だという事くらいは龍麻にも分かった。
「 あの…すみません、いきなり訪ねたりして…」
「 ……おぬし達、何者じゃ?」
  老人は相変わらずの平静さで龍麻たちに訊ねた。その穏やかな物腰に龍麻は少しだけほっとする。
「 あの俺…僕は、緋勇龍麻と言います。外れ村の出身で」
「 緋勇?」
  龍麻の名前に老人がぴくりと反応を返した。
  龍麻はそれに気づかずただ頷く。
「 はい、それでこっちは…」
「 鳳銘国第一王女、さやかです。こちらは第二王子の霧島諸羽ですわ」
  すかさず霧島王子の分の自己紹介も済ませるさやか姫。霧島王子はそれに倣い黙って目礼した。
  老人はさやか姫の言葉で病人のようだった瞳を微かにくゆらせた。
「 鳳銘国…。おお、あの国の音楽は本当に素晴らしい…。以前は我が国にもたくさんの音楽家が訪れ、その素晴らしい音色を聴かせてくれたものだ…」
「 まあ…」
「 そうなんですか…」
「 しかしそれも今は遠き昔のこと…」
  感心したように頷く3人に対し、老人は物憂げに首を横に振った。
「 新しい王は芸術を忌み嫌い、徐々にそれらを廃棄する動きを見せておる…。楽譜や楽器は勿論、多くの歴史や物語を綴った書物までな…」
「 そ、そんな…!?」
  城下町はあんなに賑やかで色々なお店が並んでいるのに。龍麻が驚いて二の句を継げずにいると、老人は再び窓の方へと視線を向け、深くため息をついた。
「 あれも昔はあのような人間ではなかった…。音楽を愛し、詩を愛し、何よりこの国の民を愛していたのだ…。それが…王になって暫く後、まるで別人のように人が変わってしまったのだ…」
「 王が…?」
「 王宮の者も徐々にその数を減らしておる…。誰も口にはせぬが、皆恐れておる…。だが、どうする事もできぬのだ…。抗う力を我らは持たぬ…」
「 あ、あの、一体ここで何が起きているんですか!?」
  まるで独り言のように嘆きを呟く老人に、堪らず龍麻は声を上げた。
「 ………」
  老人はそんな龍麻に暫くは答えなかったものの、やがてゆっくりと立ち上がると立ち尽くす3人の前に堂々と対した。その様子は思わず目を見張るほどに立派なものだった。
  黙りこくる龍麻に老人が言った。
「 おぬし、緋勇と言ったか」
「 は、はい…」
「 不思議な因縁じゃ…。古の時代、闇に潜む暗黒竜を封じ込め、我らに安息をもたらしてくれた勇者の名もまた緋勇と言った…。今ではその名も、徳川の作った偽りの歴史書によって失われつつあるがな…」
「 は、はあ…?」
「 緋勇とやら…。今日この日、おぬしが私の前に現れた事にもきっと意味があるのだろう。頼みがある」
「 頼み…?」
  老人の言葉に龍麻はただその台詞を繰り返した。
  老人は言った。
「 私は愚かなる子を持つただの親だ…。情けない話だが、この土地に住む多くの国民よりたった一人の息子が愛しい。故に私は城を出ろという飛水の進言も無視し、ただここで朽ちていくのを待っている。だから伝えて欲しいのだ、我が息子に。この国を潰すつもりならば、まずはこの父から…殺して欲しいと」
「 な…。い、一体何を言ってるんです!?」
「 もしかして貴方は…」
  さやか姫が口に手を当てて驚いたように呟いたが、それは龍麻には聞こえなかった。
  ただ力なくそれだけを言い、後はまた背を向けてしまった老人に、龍麻は何故かどうしようもない憤りを感じた。
「 何だかよく分からないけど…。そんな頼み、聞く事なんてできませんよっ。親不孝者に説教するくらいならしてもいいけど」
「 た、龍麻さん、この方の息子さんって…」
  慌てる霧島王子に龍麻は聞く耳を持たない。老人に向かい、威勢良く言った。
「 何処にいるんです、貴方の息子さん!」
「 ……東の塔、最上階だ。そこが寝所」
「 分かりました。何だか分からないけど、貴方のせいでお父さんがひどく悩んでるって言ってきてあげます。それでいいですか?」
「 あ、ああ…」
「 ちょっ…龍麻さん!」
  袖を引っ張る霧島王子に龍麻は「何すんだよっ」と小さく責めてから、改めて老人を見やった。
「 あ、でも1つ教えて下さい。昼間、ここに如月翡翠が来たんですよね?」
「 ん…。ああ、飛水の倅か」
「 今何処にいるんですか」
「 さあな…。王に面通りが叶わないと一旦私の所に寄ったが…。すぐにまたどこぞへ行ってしまった。あれにも苦労をかける…」
「 そうですか…。分かりました、それじゃあ」
「 あ、龍麻さん!」
  さっさと部屋を出て階段を下りていく龍麻に、霧島王子たちが慌てて後をついた。
「 何処へ行くんです、龍麻さん!」
「 何処って。東の塔だけど」
「 本当に行く気ですか?」
「 何で?」
  呆れたように言う霧島王子に龍麻が不審な顔を向けると、さやかが苦笑気味に答えた。
「 龍麻さんってお顔通りの天然さんなんですね。あの方の話から、東の塔におられる方がどなたかくらい分かっても良さそうなものです」
「 分かってるよ。あの人の息子さんでしょ」
「 そして徳川王でもあります」
「 へえ…って、徳川王〜!?」
  ようやくびっくりする龍麻に2人は顔を見合わせて今度こそ苦笑した。
  龍麻がぽかんとしていると、霧島王子が階段の所で立ち止まったまま考えこむように顎に手をやった。
「 どうやら現在の徳川王はあまり良い政治を布いているとは言えないようですね。この城の様子が尋常ではないのも、きっとその王の豹変ぶりと…あとは何人かが口にしていた《化け物》のせいではないでしょうか」
「 化け物…。そういえばさっきのお爺さんも城の人も随分と怖がってるみたいだった…」
「 何だか事件の臭いがします!」
  さやか姫が妙に張り切ったように言った。
「 龍麻さん、私たちでその化け物を退治しましょう!」
「 へ…いや、でもそんな急に…」
「 王が誰ともお会いにならないのも、きっと何か訳がおありなんですよ。急に怖い政治を断行しているのにも…きっと何かどうしよう〜もない深い理由があるに違いないです」
「 さやかちゃんはあくまでも徳川王を信用するわけだね」
「 何よその言い方。霧島君は信じてないの」
「 龍麻さん」
  さやか姫の事を無視し、霧島王子は龍麻に向き直って真面目な顔で言った。
「 その通りです。僕は徳川王の事を信用していません。何か嫌な感じがするんです。このまま東の塔に行くのは危険だと思います」
「 え…でも…」
「 何よ、さやかは行くわよ!」
「 駄目だよさやかちゃん!」
「 どうして!」
「 し、しーっ。人が来ちゃうよ、静かに!」
  龍麻は慌てて指を口にあて、2人を黙らせた。
「 ………」
  それから何を思ったのか、龍麻はふっと何もない天井を見上げて黙り込んだ。2人がそんな龍麻を不思議そうに見つめる。龍麻自身何故そうしようと思ったのかは分からなかったが、それでもそうする事によって周りの空気を身体全体で感じ取る事は、今この時必要だと思った。
  そうなのだ。確かにこの城はおかしい。不穏な空気、何か異質なモノを感じる。
「 そう、この感じ…。まるで、呪いにかかってるみたいな…」
「 呪い?」
  霧島王子の問いかけに龍麻は「うん」と気のないように答えてから、「やっぱり行くよ」と簡単に告げた。
「 龍麻さん!」
  責めるように名前を呼ぶ霧島王子に龍麻は笑った。
「 うん、確かに何があるか分からないし、3人で行くと目立つから。2人は先に舟の所に行っていてよ。俺、1人で東の塔に行ってくるから」
「 な…そんなのは駄目です! 貴方を1人にするなど…!」
「 そうです龍麻さん! さやかも徳川王にお会いしたいんですから!」
「 でも…」
「「 駄目ったら駄目です!!」」


「 お前たち、そこで何をしている!?」


  その時、いい加減3人の騒ぎ声に気づいたのか(遅っ)、2人の人間が階段下で叫んだ。
  しかし衛兵ではないようだ。格好から察するに、王宮内の神官たちだろうか…?
「 見つかっちゃった」
「 冷静に言わない、さやかちゃん!」
「 あの、俺たちは怪しい者じゃ…って、ん…?」
  苦しい言い訳をしようと試みつつ、龍麻はふと神官たちが手に握っている物にはたと動きを止めた。
  2人共、何か金色のピカピカした勾玉を持っている。
  龍麻はその玉に見覚えがあった。
「 あれ…は、確か…」
「 !? 何だ貴様!!」
  すると神官たちは龍麻のその視線に鋭く気づいたようだ。自分たちが手にしていた勾玉を一斉に見つめると瞬間カッと眼をぎらつかせ、物凄い殺気で睨みつけてきた。
「 き、貴様…! やはりこの玉を狙うコソ泥か…!」
「 我らからこれを奪う略奪者か…!」
「 え? 違いますよ俺は…」
  しかし龍麻が慌てて否定しようとした時だった。


「 ゆゆゆゆるゆる許さん〜〜ッ!!」
「 ギギギギ…ころころころ殺す〜〜〜ッ!!」
「 !!!?」


「 ……ねえ霧島君」
  さやか姫が霧島王子の背後に隠れながら服の裾を引っ張って訊いた。
「 大国の神官さんって、怒るとモンスターになっちゃうの…?」
「 バカな事言ってないで、下がってさやかちゃん!!」
  霧島王子はもう既に短刀を抜いている。同時に狭い階段で一歩前にいる龍麻にも切羽詰まった声で言った。
「 龍麻さんも僕の後ろに隠れて下さい! 危険です!」
「 魚人…」
「 龍麻さん!!」
  必死に呼ぶ霧島王子に龍麻は答えられなかった。
「 ギギギギキキイ―――ッ!!
  そう、彼らはあっという間に自らの姿を魚人に変えたのだ。そしてもう人語を話さない。意味不明なうめき声を上げながら、ただこちらに迫ってこようとしている。
「 何が…一体何が起きてるんだ…」
  鋭い牙と爪で襲いかかる魚人を前に、龍麻は暗く悲しい予感に身体を震わせた。



  《現在の龍麻…Lv15/HP75/MP70/GOLD7510》


【つづく。】
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