第82話 存在価値

  天童が龍麻を連れてきた四角い小部屋には、天幕の張られたベッドと書き物ができる小机に椅子、それに立派な鏡台があった。
  それと、外へ通じるテラス。
「 わあ…海…?」
  促されるようにして中へ入った龍麻は月の光に誘われるまま、真っ直ぐにそのテラスのある窓際へ向かった。
  近づくと確かに聞こえるザザンと波打つその音に、龍麻は思わず息を飲んだ。
「 逃げようとしても無駄だぜ。この城は切り立った崖の上におっ建てられているからな。飛び降りれば間違いなく海の藻屑だ」
「 お、俺…別に逃げたりしないよ」
「 ……まぁそうだな。テメエから来たんだし」
  龍麻の台詞に得心したようになり、天童は頷いた。それから途惑った風になり俯く龍麻を不思議そうに見やる。
  それで龍麻もそっと自分を見やる天童に視線をやった。
「 ………」
  怖くはない。
  けれど初めて出会った時は出し抜けに殺されかけたのだ。特に悪意もなく、何の予感もさせずに。
  そんな天童を自分は何故必要としたのだろうか。
「 ……っ」
  先に目を逸らして龍麻は再び俯いた。
  静かな薄暗い部屋に波音だけが木霊すると、何だか一気に不安な気持ちがした。
「 おい」
「 えっ」
  その時、ようやっと天童が口を開いた。龍麻が弾かれたように顔を上げると、すぐ傍にはもう天童の姿があり、片手で強引に引き寄せられたかと思うと顎先も強く掴まれた。
「 な…ッ」
「 ………」
  先刻と同じように見つめられて龍麻は声を失った。怖くはないのだ。怖くはないのに、この鋭い瞳で見据えられると全ての動きを封じられてしまうような、そんな気持ちにさせられた。
「 て、天童…?」
「 俺はな龍麻……」
「 何……?」
「 ………」
  しかし天童はそう言ったきり、暫くは何も言おうとしなかった。
  やがて。
「 ……むかつくぜ」
「 え……」
「 さっさと寝ろ」
「 あっ…」
  言われた瞬間、乱暴に身体を突き飛ばされるように離されて龍麻はガクンとバランスを崩した。幸い転びはしなかったが、すかさず抗議しようと顔をあげた時には、もう天童は部屋を出て行ってしまっていた。
「 何…だよ…!」
  1人きりになった部屋で龍麻はぽつりと呟いたが、勿論その声を聞いた者はいない。
  ザワワと波打つ音が龍麻の耳を叩いた。
  あぁ、あの時に見た夢と同じ音だと思った。


×××


  翌朝。
「 わ、わああああ!!!」
  窓から差し込む清清しい日の光と龍麻の叫び声でその日は始まった。
「 な…ななな…」
「 ひーちゃん様おはよう〜!!」
「 おはようございます、ひーちゃん様っ」
「 ひーちゃん様の寝顔ゲッツ〜。な〜んて愛らしいんだろうねえ〜うふふ…」
「 ご飯だどひーちゃん様〜!!」
「 ゲラッ! ゲラップひーちゃん様イエ〜!!」
「 な、何なんだよあんたら!!」
  ベッドにいる自分をぐるりと取り囲むようにして立っている鬼道衆たちに、龍麻はあわあわと指をさした。
「 何ってモーニングコールだぞよ。ひーちゃん様、このお城の中の事はまだご存知ないだろうから、わらわたちでご案内しなくちゃって」
「 だから5人でいきなりは失礼だと言っただろうが。ひーちゃん様が驚いてしまわれたぞ」
「 だったら雷角、お前だけでも来なきゃ良かっただろっ。ジャンケンしても皆あいこで勝負が決まらなかったんだから」
「 おでだってひーちゃん様起こしたかったんだどー」
「 ひーちゃん様ッ。俺たちがいきなり来て迷惑だったかイエ〜イ?」
「 そ、そ、そうじゃなくてさ…」
  龍麻は妙にどもりながらぐるぐると踊り狂う炎角や、その他4人の鬼面たちを見つめた。
  「今夜はこれを着てお休みになって下さい!」とイチゴ柄のパジャマを差し出す雷角。しゃっしゃしゃっしゃとスケッチブックに筆を滑らせている水角。それを覗き込んで何やら興奮している風角。そして「飯だど飯だど」と騒いでいる岩角。
「 あ、あのさ…」
  必死に冷静さを取り戻そうとしながら、龍麻は努めて押さえた声で5人に向かい言った。
「 何でそんなヘンな格好してるの…? それでよく普通に動けてるね?」
  龍麻が驚くのも道理だった。
  彼らは何事もないかのように龍麻に話しかけ、てきぱきと好き勝手に動いていたが、実は身体中に鉄の鎧を着込み、同じく鉄色のバネのようなものをくくりつけてギギギギギと金属音を軋ませながら行動していたのだ。
「 あ、これなー、《ビッグリーグ養成ギプス》ってんだよひーちゃん様。俺が開発したんだぜー? すげーだろ?」
  ギギギギと不自由な腕を振り上げながら風角が胸を張った。
「 すげーだろと…言われても…」
  龍麻は妙な物を見る目でその「ぎぷす」とやらをまじまじと観察した。関節を伸ばす度にそれは軋み、見るからに苦しそうだ。鬼道衆は至って平然としているのだが。
「 痛くないの?」
「 慣れてしまえばこのようなもの。己を戒める為にも丁度良い道具なのです」
  今度は雷角が龍麻にパジャマを手渡しながら言った。
  そして次に岩角。
「 おでたち、この間はご飯抜きもやったんだど! 御屋形様にお仕置きされる前に全部自分たちでお仕置きしたんだ。おでたち、反省しだがら!」
「 …それはつまり…昨日の宙吊りと同じ理由で?」
  龍麻が恐る恐る訊くと5人は一斉に「イエッス!!」と即答した。
「 我ら5人、以前から九角の宿敵である飛水をはじめ、4神の行動を押さえる役目を担っておったのです。奴らが近いうちに菩薩眼と遭遇するだろう事は分かっておりましたし、4神の鍵を奪えれば我らが御屋形様に新たな《力》が得られる事は必至でしたからな!」
「 それが任務失敗でさ〜。こりゃタダじゃ済まないなって感じじゃん?」
「 だから先手を打って反省してみたんだぜイエ〜」
「 でも意外に御屋形様、あんまり…というより、全然わらわたちのこと怒らなかったのよねえ…。それはそれで何だか寂しい気が…」
「 ホントだど。御屋形様、元気なかったど。おで、心配〜」
「 しかーしっ!!」
  口々に言葉を出す鬼道衆たちに龍麻が呆気に取られているのも構わず、雷角がびしりと指を天に掲げてヘンなポーズを取った。
「 ひーちゃん様がいらして下さったのだから、これで御屋形様も安心ですっ。4神の鍵は我らの元に返ってきたし、何よりひーちゃん様が御屋形様のお傍にっ。これほど嬉しい事がありましょうやっ!!」
「 ホントホント〜!!」
  雷角のその嬉々とした台詞に4人も一斉に頷く。炎角は更に腰を捻り回転を加えて踊っている。
「 かっ…鍵は渡さないよっ!?」
  5人の様子に龍麻はやっと我に返り思わず胸元を押さえた。首から掛けていた4つの鍵は確かにまだある。寝ているうちに取られなくて良かったと思いながら、龍麻は改めて鬼道衆たちを見やった。
「 へ、ヘンだよ…。俺さ、皆の敵だろ…?」
「 へ…何で?」
  きょとんとしている風角に龍麻はかっとなってベッドの上で立ち上がった。
「 だ、だって! 俺が皆から4神の鍵を取り戻したから天童に怒られるような事にもなったし! なのに何でそんなに歓待すんの? ヘンじゃん!」
「 だって…だから、心を改められて我らが元に来て下すったんでしょう?」
「 そうそう。そりゃ確かに一時は飛水の愛人だったかもしれないけどな〜」
「 愛人じゃないっ! け、けど、心を改めてもいないっ!!」
  ゼエゼエと息を切りながら龍麻は叫んだ。
「 俺っ、俺だって何でここに来たのか分からないんだ! けど! 俺は悪い事してる鬼道衆さんたちの味方はしないよ!? 勿論、天童もそうなら天童の味方だって―」


「 おい」


「 あ…!」
  しかし、叫ぶ龍麻に不意に扉が開き、天童が現れた。
  天童は5人に囲まれ上気しているような龍麻を冷めた眼で見やった後、無機的な表情のまま言った。
「 煩ェよ、テメエ。起きたんなら早く来い」
「 て、天童、俺は…!」
「 死にたいのか。いいから来い」
「 ……!」
「 あ、あの〜御屋形様、お食事の方は…?」
「 消えろ」
「 ひ! ひええええ!!!」
  昨夜とは明らかに違う。
  何やらただならぬ様子の天童に、5人は蜘蛛の子を散らすようにして逃げ去って行った。
「 ……!」
  部屋には天童と、ベッドの上に立ち尽くしたままの龍麻だけが取り残された。
「 ……来い」
  天童がもう一度言った。
  龍麻はごくりと唾を飲み込んだ後、精一杯虚勢を張って答えた。
「 何処へ…? 俺、お前の言うなりには…」
「 余計な事は喋るな」
  天童はぴしゃりと言い、踵を返した。
  そして一向に動こうとしない龍麻に背中を向けたまま続ける。
「 一晩寝かせてやったのはテメエの体力を完全に回復させる為だ。……その状態で俺と戦ってもらう」
「 え?」
  その台詞に龍麻は反射的にゾクリと背筋を凍らせた。天童は静かだ。
「 何ならここで戦っても構わねェが…。お前もどうせなら広い所がいいだろう? 長い呪文の詠唱をするのに便利な死角もたくさんあるぜ」
「 お、俺は魔法なんかそんな使えない…」
「 そうだったな」
  別段嘲笑するような事はなかったが、侮蔑した風ではあった。龍麻はそんな天童の暗い態度に胸がざわざわとするのを感じながら、しかし言い返す事ができなかった。大した魔法が使えないのは事実だし、それをバカにされたとて代わりに自慢できるものも龍麻にはないのだ。
  しかし悔しさで沈黙する龍麻に天童はくるりと振り返ると素っ気無く言った。
「 だがテメエの武器は魔法だろう」
「 え?」
「 その貧相な拳で何が救える? お前は、何も救えやしないだろ」
「 ………」
  ざわついていた胸の高鳴りがしんとなって消えた。
「 天童…」
  しかし龍麻が口を開きかけた瞬間。
「 ただお前が無意識に出す魔法…魔法かは分からねえがな、《あの力》だけは使える」
「 あの力…」
  龍麻が繰り返すと天童は頷いた。
「 ああそうだ。俺はあれをもう一度見たいんだよ。でなきゃむかつくテメエなんざ昨夜転がり込んできた時点で殺してる」
「 ………」
「 何だ?」
「 何で…」
「 あ?」
「 何でそうやって…気軽に殺すなんて言えるんだ…」
  掠れた声でやっとそれだけ言うと、今度こそ天童はバカにするように鼻で笑った。
「 俺にとって他人なんてそんなもんだ。必要か必要でないか。必要でないなら殺す」
「 必要なら…」
「 生かしてやる。言っただろう。褒美だってくれてやる」
「 ………」
「 お前に選択権はねえよ」
「 ……天童」
  龍麻はようやくいからせていた肩をおろし、はっと息をついた。
  天童の望んでいるものが何なのかは、鈍い龍麻にもさすがにもう分かっていた。実際に《あの力》が何なのかという事自体は分かっていないが、それでも自らの感情が昂ぶった時にその「何か」が身体から出てきて、そして自身にも想像ができない程の力を出す事だけはもう理解しているつもりだったから。
「 ………」
  しかし、つまるところはそれだけなのだ、今の自分の存在価値は。
  だから。
「 きっとそれがあるから…。天童は今だけ俺が必要なんだよな…」
「 あ? …さっきからそう言ってるだろうが」
「 翡翠も…」
「 ……何?」
「 結局そうなんだよ…」
  龍麻はじんわりと胸に広がる悲しみを感じながら必死に唇を噛み締め涙を堪えた。
  今頃心配しているだろうか。自分がまた突然いなくなった事を。きっと皆慌てている。
  翡翠は心配というより、怒っていそうだが。
「 それも…俺が勇者だから…。それだけなんだよ…」
「 ……龍麻、俺をイラつかせるな。さっさと来い」
  ぽつりと呟く龍麻に天童が眉を吊り上げた。確かに不快になってきているようだ。しかし龍麻はそんな天童の態度にいっそ安堵した。
  これがきっと正常な反応だろうと思うから。
「 確かに、俺は力がなきゃ何の価値もないよな…」
「 おい龍麻、テメエいい加減に―」
「 天童」
  天童に言わせずに龍麻は言った。
「 俺、お前と戦うよ。俺だって自分の力、知りたいから…」
「 ………」
「 俺、強くなりたいから」
  龍麻のしっかりとした口調に天童はぴくりとも表情を崩さなかった。



  《現在の龍麻…Lv15/HP85/MP70/GOLD8090》


【つづく。】
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