第83話 ニセモノの勇者

  真っ暗な風景の中に、龍麻は1人きりで立っていた。
「 う……」
  ズキン、と。
  胸の奥が不意に痛み、その後、どくんどくんと心臓の音が激しく高鳴り出す。それを意識して片手で胸元をぎゅっと抑えると、今度は頭が重くなり、そして身体の節々が、全ての部位が痛み出した。
「 あ…ああ…」
  一体何なのだ、この不快感は。
  この苦痛は。
「 苦し…」
  息をつごうと口を開いたものの、それもうまくいかない。ああ、駄目だ。もしかして死ぬのかもしれないと咄嗟に思った。
  けれど、そう思った瞬間――。

「 起きろ」

  その冷徹な声に龍麻ははっとして目を見開いた。





  龍麻が九角天童の城へやってきてから、既に5日の時が経っていた。
「 いって…。何だここの傷。膿んじゃってるみたいだ…」
  殆ど気絶状態でその場に寝転んでいた龍麻は、はっと起き上がるとその痛みで我に返った。一体どのくらい気を失っていたのだろう。でも、この草の匂いはまだ何となく記憶に新しい。地面もそれほど荒れていないし、大した時は経っていないだろうと何となく思った。
「 あーあ…」
  むくりと起き上がり、龍麻は地面に座り込んだままの格好で特に痛みの激しい肘の辺りを伺い見た。そしてその傷跡を、ほんの慰めにとぺろりと舐める。本当は肘だけではない、腹も足も、それに顔も。そこかしこ生傷が絶えない龍麻は、よくこんなになっても耐えていられる、少し前の自分だったら考えられない事だと思った。
「 龍麻」
  その時、茂みの向こうから天童がやってきた。
  いつもの黒い戦闘服に身を包んだ天童は、今日も龍麻をいたぶるつもりなのか、あの刀剣も手にしている。龍麻が黙って自分の元にやってくるその相手を見つめていると、天童はすぐ傍にまで来てからぱちんと指を鳴らした。
  すると今まで緑一辺倒だった森の景色があっという間に城の広間へと姿を変えた。
  龍麻は「あれ?」という顔をして首をかしげた。
「 今日は闘らないの?」
「 気が変わった」
  天童は素っ気無くそう言ってから何もない広間に座り込んだままの龍麻をまじまじと見下ろし、皮肉な顔をして見せた。
「 見る度に男前が上がっていくじゃねえか。今日は何戦やった」
「 まだ昼前だろ? 20戦とちょっと、ってところかな」
「 は、それでも早々に泣きの入った初日に比べれば、まあマシになったというところか。それで、《あの力》は出せるようになったか」
「 ……悪いけど、鍛えれば鍛える程あの感覚はつかめなくなってる気がする」
「 使えねえな」
「 悪いね」
  この数日の間で天童の嫌味にはすっかり慣れてしまった。龍麻はふんとそっぽを向いた後、再びぺろぺろと肘の傷口を舐め始めた。
  天童の城にやって来た翌日、「俺と戦え」と言われるままに彼と拳をあわせた龍麻は、その数分後、ものの見事に倒されてしまった。天童や、事によると龍麻自身も期待していたあの未知の《力》は、遂に表出する事はなかった。
  目覚めた時、目の前に立ち尽くしていた天童はただ一言。

『 テメエは、レベルが低過ぎる』

  ――そう「文句」を言い、地下の広間に天童自身が作った所謂「修行場」で龍麻に拳の特訓をさせ始めたのである。
  役に立たない者はすぐに殺すと言っていた天童が龍麻を殺さず、況してやその能力を向上させる為に何かをするなど実に奇妙な事と言えた…が、それでも龍麻はその天童のする事に大人しく従った。
  強くなること、己を磨くこと。
  それは龍麻自身が今何よりも望んでいた事だったから。
「 は〜あ。それにしても腹減ったなぁ。なあ天童。ご飯まだ?」
「 お前は戦うかメシ食うか寝るかだな」
「 だって。ここで他にやる事なんかあるの?」
「 ああ、あるぜ」
  天童はそう言うと龍麻をちょいちょいと指で誘うと、先に元来た道を戻り始めた。
「 ? え、ちょっと…何処、行くんだ…?」
「 来れば分かる」
「 分かるって…。なあメシは?」
「 んなもん後だ! 今あいつらが作ってるから、戻る頃には出来てんだろ」
「 ええ〜。なら先にメシにしても…。あのさ、鬼道衆の皆って本当料理上手いよね。俺、凄くびっくりしたよー。この間雷角さんが作ってくれた《なぽりたん》には感動したー」
「 ……煩ェな」
  階段を上りながらうきうきした調子の龍麻に天童はぽつりと毒づいたが、当の本人には聞こえていないようだった。何にしろ龍麻はこの目の前を歩く天童には何かと辛く当たられてどつかれているが、雷角以下あの陽気な鬼道衆の面々には何故か異様に好かれて大切にされ、まるでお城の王様のような扱いを受けているのだ(彼らにしてみれば龍麻は王様ではなく「お姫様」なのであるが)。
「 あはは、そういえばさ、知ってる天童? 昨日なんか鬼道衆さんたちの反省グッズさ〜。根性棒ってやつで。皆で交互にお尻ぺんぺんしあってるの。それもやっぱり天童の命令遂行できなかった事の反省なんだって」
「 そうかよ」
「 皆さあ、天童凄い大事なんだな。天童が自分たちをちっとも怒らないからって凄く心配してたよ。何か言ってあげた方がいいんじゃない?」
「 言うって何をだ」
  天童は歩きながら淡々と龍麻の相手をしている。もう不快な声にはなっていなかった。
  それで龍麻も調子に乗ってどんどんと口を継ぐ。
「 だからー。天童は皆に四神を見張って鍵を奪って来いとかいろいろ命令してたんだろ? それを守れなかったから怒ってるんじゃないかって言って、皆勝手に逆さづりになったり色々してるわけじゃん。でも天童が一言別に怒ってないって言えばさ」
「 ……ここでいいな」
「 え?」
  結局天童は龍麻の話など半分も聞いていなかったのだろう。
  いつの間にか城の外に出た天童は、海と面した場所に立つとくるりと龍麻に振り返った。
  龍麻はそんな相手をきょとんとして見つめた。
「 ここって…。外で何するんだ? 外で戦ってみるのか?」
「 そうじゃねえ。ここなら移動魔法が使えるからな」
「 え…」
「 ルーラ」
「 !?」
  天童はルーラを唱えた!!
  龍麻と天童は城から離れた!!


×××××


「 こ…ここは…」
  その連れて来られた場所を見て龍麻はあからさまに狼狽した。
「 来い」
  それでも天童は構わない。さっさと馴染みの地下階段を使って下へ降りていく。そして、恐らくは以前にもやったようにそこの通路からあの神殿へ向かうつもりなのだろう、迷う事なく歩を進めて行った。
「 て、天童…っ」
  一応呼び止めてみたが当然の事ながら無駄だった。
  龍麻はどんどんと先を行ってしまう天童の背中を戸惑いがちに見つめながら、しかし仕方がないというように慌てて後を追った。
  龍麻が天童の魔法で共に降り立ったその場所は「名もない村」。昔九角国が作ったとされる地下神殿へと通じる階段がそこにはあった。
「 天童、どうして…」
「 ……確かめたい事があってな」
「 確かめたい事…? で、でも俺…」
  ここにはいたくない…そう言おうとして、けれど龍麻はその言葉を慌てて抑えた。
  何故かそれを声にしてしまうのは憚られた。
「 ………」
  黙って歩く2人の間には、カツンカツンと石の通路を叩く靴音だけが響いた。龍麻は居た堪れない思いを抱きながら、ただ先を歩く天童の後についた。
  そして思った。そういえばあの時、天童とはあの神殿で別れたのだ。自分についてくるかこないか今すぐ決めろと言われ、躊躇している間に如月がやって来て…。逃げる背後で随分と派手に何かが壊れる音が聞こえていたが、あの神殿はあの後どうなったのだろう。確かにそれは気になる。
「 でも……」
「 あ?」
「 えっ…。何?」
「 お前が今何か言ったろうが?」
「 あっ…。何でも、ないよ…」
「 ………フン」
  何やらうじうじと考え込んでいるらしい龍麻に天童はちらとだけ冷たい視線を送ったが、後はもう何も言わなかった。
  そして長い時間をかけ、2人はあの時訪れた神殿跡にまでやって来た。
「 ……うわ」
  破損がひどい。当たり前だ、天童と如月の力が交錯したのだから。柱の一部はは崩れ落ち、壁にはところどころ大きな穴が開いていて、通りの通路が顔を見せたりしていた。ただ幸い、龍を象った彫像は無事だったようだ。龍麻は以前来た時にもやったように、その中央奥に歩み寄って九角国の人間が奉ったという黒い龍の彫り物を見上げた。
「 龍麻」
  その時、背後に立った天童が言った。
「 お前は何かを感じるか」
「 え…。何かって」
「 ここにいて、何かを感じるかと訊いてるんだ」
「 感じ…? 別に、何も…」
「 ………」
「 な、何で…?」
「 ………」
  探るような眼を向けられて龍麻は途惑い、身体を揺らした。天童が自分に対して求めているものが何なのか、龍麻には量りかねた。以前はこの神殿に入る前に如月の張った結界があって、龍麻はそれを破る事で一応天童の手助けをしたが、今回はその結界も破られた状態のままだった。ここにはすんなりと入れた。だから仮に天童がここに来る事を必要としていたとして、別段龍麻を連れてこなければならない理由はないはずだった。
  しかし暫くの沈黙の後天童は言った。
「 雷角たちから訊いたんだが、お前はあの飛水の愛人らしいな」
「 なっ…!」
「 ああ、元・愛人か? まあどっちでもいいけどな、俺は」
「 あ、愛人なんかじゃない…っ」
  一体彼らは自分たちの主に何という事を吹き込んでいるのか。龍麻が真っ赤になってそれを否定すると、天童は片眉を上げてそれを見つめた後、素っ気無く言った。
「 どっちでもいいって言ったろうが。ただ、お前が奴と近しい者なら訊きたい事がある。ここに隠したもののこと、だ」
「 隠した…?」
  龍麻は訳が分からないというように眉をひそめたが、天童は深く説明してこなかった。
  しかしその時、龍麻はハタと思い出した。

『 ここは墓場で、宝の山だ』

  そういえば、以前天童はこの神殿をそういう風に言っていなかったか。
「 ここに何か隠されてるの?」
「 だからそれは俺が訊いてんだよ」
「 お、俺は知らないよ…。天童が知ってるんじゃないの? だからここへ来てたんだろ」
「 ちっ」
  どうやら龍麻が何も知らないらしいと気づいて天童は舌打ちした。ふいとそっぽを向き、ぼそりと言った。
「 奴がここに何かを隠したのは間違いねえ。ここには何かがあると確かに感じられるんだ。だが、俺にはそれが何なのかまでは見えねえ。……俺の力じゃな」
  そう言った天童の顔はどこか物憂げだった。龍麻は途端不安になり、無理に明るい声を出した。
「 天童が見えないもん、俺が見えるわけないだろ?」
「 いや」
  すると天童はその龍麻の言葉をすぐに否定し、はっきりと言った。
「 お前の力なら見える」
「 ………?」
「 お前にはそういう力がある」
「 な、何で…そんなの分かるんだよ…」
「 ……ここを開いたのはお前だろう」
「 だからって……」
「 本当に聞いてないのか。飛水の奴から」
「 聞いてないよ」
「 愛人なんだろ」
「 しつこいな! 違うって言ってんだろ!」
「 だが、奴がお前に入れ込んでるのは確かなようだ」
「 なん…」
  何故、と言おうとして龍麻は口をつぐんだ。
  その答えを龍麻はもう知っていたから。如月翡翠が緋勇龍麻を必要とするのは。その理由は。
  知りたくない、そんな事実は。
「 ……翡翠は…別に俺自身のことなんかどうだっていいんだ…」
「 ………」
「 天童と同じだよ」
「 ……またいじけやがった」
「 もう帰ろうよ! ここにいたって俺は何も分からないよ! 何も見つけられない!」
「 何焦ってんだ」
  天童が不機嫌そうな顔をした。それでも龍麻は縋るように天童の胸倉を掴み、ゆさゆさと無理に揺すった。
「 いたくないったらいたくないんだって! もし翡翠―…!」
「 ……何だ?」
「 ……っ。別に…!」
  慌てて口をつぐむ龍麻に天童は冷えた視線を向けた。
「 飛水の奴がここに来たらまずい事でもあんのか」
「 な、ないよそんなの…っ」
「 奴に会いたくないわけか」
「 何でもないって言っただろッ!」
  天童の見透かしたその台詞に龍麻はカッとなって声を荒げた。
  けれど、その刹那―。
「 痛っ…」
「 調子に乗んなよ」
  ぎりと天童に手首を掴まれ、龍麻は痛みで顔を歪めた。鋭い視線を落とされあっという間に萎縮してしまう。
  氷のようなその声と表情には、龍麻はいつだって逆らえずにいたのだ。
  その天童は言った。
「 俺がテメエを生かしてやってんのは、テメエのその力が使えると踏んだからだ。いつまでもそう無能なら…覚悟だけはしておくんだな」
「 お、俺、強くなってる…! お前にだって…!」
「 はっ」
  龍麻の強がりを天童は一笑に付した。
  そして更に龍麻の事を引き寄せ顔を近づけると、凛とした声で言い放った。
「 テメエが俺に勝てる事なんざ万に一つもねえ。いつでもいいぜ、試してみな……偽勇者さんよ」
「 ………っ」
  天童のバカにしたような言葉に、龍麻は何も言い返す事ができなかった。


  その時、龍麻の背後で龍の彫像が微かに光を放ったのを……この時、龍麻は気づけずにいた。



  龍麻は天童の城で修行をし、大幅にレベルを上げた!(ただし魔法は覚えていない!)
  《現在の龍麻…Lv20/HP110/MP95/GOLD117950》


【つづく。】
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