第85話 理由

  あの時、父は「龍麻」と呼んで、実に唐突に言ったのだ。

『 お前は今日から勇者となり、魔王を倒す為の旅に出るのだ』

  また、無理やり村を追い出される直前、親友の焚実はこう言って笑った。

『 龍麻は特別な奴だと思う。俺、前からそれは思ってた。きっとお前はこんな小さな村の百姓で終わる奴じゃないって。いつか何かでっかい事をやらかす奴だって。そう、思ってた』

  言われるままに旅をして、目的も分からぬまま何か大きな運命の渦に巻き込まれていった。そんな感じを覚えた。

『 ひーちゃん様って何者なんだい?』

  何者か? そんなの、俺が知りたい。

『 お前がここへ来たという事は、竜は再び動き出すか…』

  それ何、先生? 犬神先生? どういう意味か俺に教えて。

『 ボクたちの仕事、龍麻を全力で護る事ネ。たとえ自分タチ、死んデモ…』
『 その通りだ…!』

  嫌だよ、アラン、翡翠。どうして…どうしてそんな事を……。

『 だからッ! あの時危険だったのはあの化け物じゃない! 龍麻さんから危険なものを感じたんだ!』

  俺が危険? 何だよ…だって、だってあの時は俺だって夢中で何が何だか分からなくて…覚えてなくて…。

『 その貧相な拳で何が救える? お前は、何も救えやしないだろ』

  天童。
  ああそうだ。そうなんだ。自分は、自分は何も救えないんだ。
「 う…うぅ、う、あぁッ…!」
  その負の感情は身動きの取れない龍麻の身体を面白いように貪っていた。
「 苦し…はぁ、は、やッ…!」
  龍麻がせいぜい抵抗を示せるのは口元から漏らす微かな呻きだけだった。そしてそうやって喘いでいる間も「何処からかやってくる何か」は始終龍麻を攻め嘲笑った。父の声が、友の声が、そして旅先で知り合った人々の声が聞こえ、そうしてやがて。
  イタイ。クルシイ。サビシイ。
  一体誰の声だろう。いや、個人の者ではないだろう。これは、不特定多数の大勢の声。自分の知らない誰かの声。
  ニクイ。クヤシイ。
  シンデシマエ。
「 ……や、め……」
  どうして、どうしてそんな風に言う。俺が一体何をしたって言うんだ。
  オマエハ、ダレダ。


『 ……俺の思念に入ってきたのは、お前か……』


「 え……?」
  その時、龍麻の脳に直接話しかけてくる声があり、龍麻は自分が何処に立っているのかも分からない場所で必死にその姿を追った。
「 ………」
  そこには以前の夢でも見た、あの人物が立っていた。
  あの、紅い影が。





「 …………」
  目覚めると、そこはベッドの上だった。
  ここ数日の間にすっかり馴染んでしまった、天幕付きのフカフカベッド。
「 ………天童」
  龍麻はその柔らかい絹に身体を預けたまま、天井を眺めていた。
  けれど横にいる人物の事には気づいていた。だからその者の名前を呼んだ。
「 天童」
  相手が答えてくれないので龍麻は仕方なくもう一度呼んだ。
「 何だよ」
  声が聞こえる。龍麻はようやくはあと息を吐き出して、それから依然上を見つめたまま言った。
「 怖い夢、見たよ…」
「 ………」
「 真っ赤なんだ…。大きくて怖い紅い人がいてさ…。その人が…いや、その人がやっているのかは分からないけど、いろいろな事を俺に見せるんだ…。俺を脅すんだ…」
「 ………」
「 ……天童」
  三度目、名前を呼んで、龍麻は再び嘆息した。
「 夢……だったら、良いのに」
「 何がだ」
  聞き返されたのが嬉しくて龍麻はすぐに答えた。視線は未だ天井だったが。
「 全部はじめから夢だったらいいんだ。父さんから無理やり勇者をやれって村から追い出された事も。皆と会っていろんな騒動に巻き込まれたことも。全部……」
「 ………」
  すぐ傍に座っているはずの天童からは何の反応もなかった。物足りなくて龍麻はようやく首を動かし、相手がいるだろう方向を見やった。
  やっぱり天童はすぐ傍の椅子に座ってじっとこちらを見やっていた。
  ただ、さぞかし不機嫌な顔をしているだろうと思われたその表情には何も浮かんではいなかった。
「 水角さん、たちは?」
「 ………」
「 ……俺、何で無事なの?」
「 ………」
  天童は何も言わない。龍麻は無理に起き上がろうとして、けれど激しい痛みに顔を歪めた。
  身体中が痛い。よく見るとあちこちに擦り傷や切り傷があり、そこら中に白い包帯が巻かれていた。……丁寧な処置だった。
  しかしあの時の状況を考えれば、よくもこれだけの傷で済んだものだと思う。あれほどの攻撃、死んでいても不思議はなかったから。
「 あの…」
  一体どうやって助かったのだろう。天童が助けに来てくれた?それとも、あの2人が直前になって自我を取り戻したのだろうか。
「 ……なあ、2人はどうしてるの? 俺は何で助かってんの?」
「 お前は」
「 え……うっ!?」
  やっと天童の声が聞けたと安堵したのも束の間、龍麻はその突然の事態に思い切り息を詰まらせた。
「 か…はっ…!」
  さっと伸びてきたと思った天童の片手は、そのまま龍麻の首を容赦なく絞めつけてきた。ギリリと冷酷に加えられる力に龍麻は驚きのあまり目を見開いた。
「 ……ッ」
「 そうだったな。お前は、<勇者>とかいう奴だったな」
  声の出せない龍麻に天童は静かだ。今はもう立ち上がっていたが、そのまま体重を落とすように自らの片腕に力を込め、そして龍麻の首を締め付ける。
  その状態のまま、抑揚のある声で天童は続けた。
「 確かに、あいつらも以前そんな事を言っていた。お前は秋月が募集していた勇者に名乗りをあげて《力》ある者を集めていたと。……周囲には常に四神がいた事も」
「 うっ…ぐ、ぅ……!」
  息が吸えない。苦しい。
「 ……!」
  必死に懇願の瞳を向けたが、天童はまるで動じなかった。冷たい眼のまま、ただぎりと龍麻の首を絞め続ける。苦しくて訳が分からなくて。龍麻はただそんな天童を見つめ返す事しかできなかった。
  天童は言った。
「 テメエが黄龍かどうかなんて、この俺にはどうでもいい事だ。大体、そんな法螺ははじめから信じる気にもなれなかった…。テメエは弱くて小さい。非力な餓鬼だからだ」
「 …か…ッ」
「 ……だが、いつの日かこの俺の脅威になるのなら…お前はここで殺す」
「 ……!」
  天童は本気だ。
  龍麻はその猛烈な苦しさ故に顔を歪めたまま、ぎゅっと眼を瞑った。そして同時に、これで終わりだろうと思った。如何な能天気な龍麻も、今まで何の覚悟もなかったわけではない。いずれこんな時が来る事も何となくだが分かっていた。自分は天童が言うように非力で、何も出来ない子どもだ。それが勇者などと言って危険な事に関わっていけばいつかはこうなる。自分だけがいつも助かるなんて都合の良い話があるわけがない。
 それに。
「 ………」
  龍麻はふっと肩から力を抜いた。
  天童たちは自分とは相容れない場所にいる人間。彼らが嫌いではない、むしろ好きだと思うけれど、違う立場にある自分がこうやって彼らの懐に入っていったのには「理由」があった。あるはずだった。
  その答えが今ここで出ただけ。
「 ………このクソ野郎が」
  しかし龍麻のそんな態度を見下ろしていた天童は、一言侮蔑の言葉を投げつけると自らの手に込めていた力を緩め、離した。
「 そうやってテメエは1人で楽をする気なのか。逃げて終わりかよ」
「 ……っ。げほっ…! ごほごほっ!」
  出し抜け気道が解放された事で、龍麻は咳き込みながら自然奪われていた酸素を身体いっぱい取り込んだ。そうしてむせながら身体を起こし、ぜえぜえと喉元を押さえつつ傍の天童に潤んだ瞳を向けた。
  天童の表情は、今は怒りに満ちていた。
「 て……どう…っ」
「 テメエの思い通りにさせてたまるかよ…。そう簡単に殺してたまるか」
「 な…で…?」
「 くそっ!」
  くるりと踵を返し、天童はつかつかと窓の傍へ歩いて行ってしまった。その背中を眺めながら龍麻は未だ何度か咳き込んだ後、掠れた声で聞き返した。
「 水角さんと…岩角さんは…?」
「 テメエが倒したんだろうが」
「 ……ッ!?」
「 くたばったよ」
「 そ…な……?」
  あまりの事態に心臓が飛び出しそうになった。龍麻が震えた声で聞き返すと、逆に天童は冷たく嘲笑った。
「 はっ、何がそんな、なんだ? テメエで手を下しておいて信じられないってか? 奴らを倒したのは間違いなくお前だ。お前のその《力》だ。お前は奴らの陰氣を全て跳ね返し…この辺りの結界の一部までぶち壊しやがった」
「 ……お、俺…俺、そんなの…」
「 知らない、か? だが事実だぜ。俺がこの眼で見た」
「 ………」
「 なるほど飛水がお前を囲っていたのはそういうわけだ。テメエはあの徳川の救世主足り得る存在なのか」
「 ちがう…」
「 何が違う? お前自身言ってたな。飛水が自分を必要としているのはその《力》が必要だからと。納得だぜ。あんな人外の《力》をほいほいと出されたんじゃ、確かに奴らには救世主…俺たちにとっては忌むべき存在ってわけだ」
「 ……だったら…殺せばいいじゃないか…」
「 ………」
  沈黙する天童に龍麻は動くままに言葉を零した。
「 天童なら殺せる…。殺せるだろ? 俺は嫌だった…。自分でも分からないこんな《力》…。誰かを傷つけるこんな《力》なら、いらない」
  龍麻はわなわなと震える拳をもう片方の手で押さえながら言った。
「 俺…翡翠を助けたくて、そう思った時、分からないままにあの《力》が出かけて…。でもそのせいで、もしかしたら傍にいた違う人たちを巻き込んでしまったかもしれなくて…。でも、その《力》が必要だから、翡翠は俺を助けようとして…」
「 ………」
  天童にこんなあの時の話をしても分かるわけがない。分かっていたのに龍麻は喋っていた。
「 翡翠…アランも…みんな俺の為に死のうとした…。俺の《力》がいるから…。俺なんか、俺自身のことなんかいらないのに…。だから、だから、俺は…」
「 何だよ」
  やっと反応が。
  龍麻は促されるままに叫んだ。
「 だから俺はもう皆…翡翠には会いたくなかったんだっ! 俺の為に死ぬなんて、そんなの絶対嫌だったから!」
  そうだ。
  だから自分はきっとここに来たのだ。龍麻はその理由を理解した。
  頭では翡翠に会わなくてはいけないと思っていた。けれど、心では会いたくないと思った。会えばまた翡翠は自分を護ろうとし、そして今度こそ命を落とすかもしれない。自分自身ですら理解し得ないこんな《力》を護るために、彼は。
  こんな自分の為に誰かが死ぬくらいなら、いっそ。
  いっそのこと。
「 龍麻。テメエは俺に殺されに来たと言うのか?」
  天童が言った。
  龍麻の想いなど分かるはずもない天童が見事にその意を当ててしまった。
「 そう…だよ…」
  だから龍麻は答えた。顔を上げると、相手ももう自分のことを見つめていた。
「 俺……。誰も傷ついて欲しくなかったから…」
  それなのに水角たちを傷つけたなど矛盾している。そんな愚かしい自分に龍麻は泣くよりも先に笑みが零れた。もう訳が分からなくなっていたから。
  でも、これだけは言える。
「 俺が俺でなくなるなら、俺なんかいらないよ…」
  全ての人の迷惑になるのなら、こんな存在消えてしまえばいいのだ。


《 龍よ――》


  その時。
  どこからともなく自分に呼びかけているような、そんな声が耳の奥で響いたような気が龍麻にはした。
「 ………」
  けれど龍麻は一旦瞳を閉じた後、それを無視した。
  この身体に囁きかけるその声が何であろうと誰であろうと、そんなもの知りたくもなかった。



  《現在の龍麻…Lv20/HP50/MP95/GOLD117950》


【つづく。】
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