第86話 白い閃光

  ぴちょん、ぴちょん、と。
「 ………」
  何処かから水滴の落ちる音が聞こえる。
  それは断続的に行われ、いつしか龍麻は目を瞑りながらその水の音だけに意識を集中させていた。
  横になる気もせず、かと言って立ち上がりたくもない。
  ただ膝を抱えて、龍麻は水の雫のことだけを思っていた。勿論、その時はそれほど長くはなかったのだけれど。
「 ……―様っ。ひーちゃん様って!!」
「 イエイエイエ〜。ラブリ〜ラブリ〜ひーちゃん様〜いえ〜」
「 ………」
  前方からしきりに自分を呼ぶ声。龍麻はゆっくりと顔を上げた。
「 あっ! やっとこっち見てくれたよ! ひーちゃん様大丈夫か!?」
「 ひーちゃん様、大丈夫かイエイエ〜」
「 ………」
  格子越し、心配そうな様子でそう言ってきたのは風角と炎角だった。

  現在、龍麻がいるのは城の地下にある岩牢だ。

  周囲は真っ暗で、仄かに明りがついているのは見張りの下忍が座っている辺りのみ。目を凝らして闇に慣れていけば鉄の格子くらいは認識できるし、また視界が遮断されている分、嗅覚は鋭くなった。だから龍麻はじっとそこに座り、錆びついた鉄の匂いやカビの匂い、それにこの付近を流れているのだろう地下水の匂いを鼻で追っていた。
  それは炎角が持ってきた松明の明りで全て掻き消されてしまったのだけれど。
「 どーしたんだよひーちゃん様っ。一体何があったんだ!?」
  風角の威勢の良い声もこの場にはひどく不釣合いだと龍麻は思った。
  炎角のダンスも同様だ。
「 イエイエ〜。俺たちっ。ひーちゃん様を探すついでに大陸で偵察してたら〜イエッ。遅くなったぜイエイエ〜! そしたら〜帰っきてたひーちゃん様が牢屋にいるって聞いて〜もうめちゃびびったびびったぜ〜イエ!」
「 そうなんだよ!!」
  回りくどい炎角の台詞とステップを鬱陶しそうに払いのけてから、風角は自分が話すとばかりに格子に更に近づいた。
「 下忍共に聞いても埒あかねーしっ。けど御屋形様がひーちゃん様をここに入れろって言ったんだろ!? 一体何やらかしたんだよひーちゃん様っ。事情聞こうにも御屋形様はどっか行っちまったみたいだし、雷角たちはいねーし!!」
「 皆いないイエ〜。お買い物イエ〜?」
「 バカか炎角! ひーちゃん様をこんな所に閉じ込めて皆で買い物とか行くわけねーだろっ」
「 もしかして新しいプレイなのかもしれないぜイエ〜」
「 あっ、監禁陵辱系な! 俺もそれはちょっと思ったんだけど…って炎角! お前はもういいから黙ってろ! 今はそんなギャグ路線に持ってっていい展開じゃねーんだよっ!!」
「 これこれ俺の性分イエ〜」
「 ……ったく。………ってあれ?」
「 ……っ」
「 !! ひ、ひーちゃん様っ!?」
  風角の驚く声が耳に響いたが、龍麻はもう止められなかった。
  龍麻は声を殺したまま泣いてしまった。
  風角たちの明るい会話で、龍麻は先刻まで必死に押し留めて無になろうとしていた自分をあっという間に崩してしまった。我慢の糸はいともあっさり切られてしまったのだ。
  勿論、これに動転したのは風角、炎角の2人だ。
  風角と炎角は精神的ショックを受けた!! 体力にも影響、それぞれ10のダメージを受けた!!
「 ひーちゃん様〜!? どどどどうしたんだよ〜!! ひーちゃん様に泣かれたら俺らじたばたするぜ!?」
「 お〜イエ〜! 俺らどうにもできなくてアセアセしちゃうぜイエ〜!!」
「 ……げて」
「 え? 何だ、何て言ったんだひーちゃん様!?」
  格子の向こうでわたわたと動く風角たちに龍麻は掠れ声ながらも必死に言った。
「 2人とも…逃げて…。俺の近くにいないで…」
「 へ? ……そりゃまたどういう……」
「 風角、お前、アブナイ奴って思われてるんだぜイエ!」
「 それを言うならお前だろーがッ【怒】! あ、分かった! 御屋形様がお留守の間にお前みたいな危険人物が思い余ってひーちゃん様を押し倒したりする事がないよう、ひーちゃん様はここに閉じ込められたんだ! そうだそうに違いねえ!! そうだろひーちゃん様!?」
「 俺は危険じゃないイエ〜。俺は九主派だからイエ〜」
「 俺だってそうだぜ!! くーっ。それにしても俺ら御屋形様にホント信用ねえなーっ!!」
「 ……違う。本当に…お願いだから逃げてくれよ…!」
  言い争う風角たちの顔を龍麻はまともに見られなかった。
  しかし、これだけは言える。
  自分の近くにいるのは危険だ。またいつあの《力》が出るとも限らないから。
  そしてまたいつ水角や岩角のように……。
「 ……水角さんたち」
「 へ? あ、ひーちゃん様、あいつらの居場所知ってるのか?」
「 ………」
  呟いた龍麻に風角がぴたりと動きを止めて訊いた。
  続いて炎角も腰を捻りながら龍麻に問う。
「 おうっ。あいつら何処なんだひーちゃん様イエ〜? 俺ら、御屋形様から命じられてた任務についてもちょっとした手がかりを見つけたから、それについても話さないといけないんだイエ〜」
「 あー…そうそう。これがまた恐ろしく骨の折れそうな事態に……」


「 おぬしら……その者から離れろ」


  その時。
  風角たちの背後から聞き慣れた、しかしやはりいつもとはどことなく違う雰囲気を持った声が辺りに響いた。
「 ………」
  龍麻は顔を上げ、風角たちもその声に応じるようにして一斉に振り返った。
「 あ、雷角」
  不意に現れた人物の名前を風角が呼んだ。
「 お前何処行ってたんだよ、探したぜ? 城中見渡しても…」
「 その者から離れろと言っておるのだ」
「 はぁ?」
「 おい風角。雷角がシリアスバージョンだぜイエ!」
  炎角は風角よりも早く雷角の不穏な空気に気がついた。ステップを踏みつつ、龍麻を雷角から隠すように格子のすぐ前へ移動する。
「 ……忘れたか。我らは鬼道衆……」
  そんな炎角の動きを見やりながら雷角が静かに言った。
  その掌には、既に激しい稲光がパチパチと勢いよく生まれ出ていた。
「 ……お、おい。雷角?」

「 殺セ」

  途惑う2人に構わず、雷角が言った。
「 ……ッ!」
  龍麻は思わず立ち上がった。
  あの時と同じだったからすぐに分かった。
「 ………珠が」
  恐らくは懐に隠し持っている、あの金の珠が雷角を動かしている。龍麻はじりりと後退った。
「 コロスノダ……。ソコナ勇者ヲ葬リ、我ラノ悲願ヲ成就サセル…!」
「 ……やべえ、何かイッちまってんぞコイツ……」
  さすがに風角もこの異常事態に気づいた。背後の炎角に目配せすると自分は戦闘態勢に入った雷角と対面した。
「 ひーちゃん様逃げろイエ!!」
「 !!」
  そして炎角は自らが生み出した炎で龍麻を捕らえていた牢の格子を焼き切った。中で怯えた風の龍麻にガッツポーズをし、「早く早く」のダンスをする。
「 ひーちゃん様出た出たイエ!」
「 駄目だ…。俺は……」
  途惑う龍麻に今度は風角が叫ぶ。
「 ひーちゃん様っ。何か知らねーけど、雷角の奴がどっか違う世界にいっちゃってるから、俺らで目ェ覚まさせる! ひーちゃん様は危険だから避難しててくれ!」
「 風角さん、炎角さん…。駄目だよ…戦ったら……」
「 大丈夫だって、別に殺しゃーしないから。最近家事ばっかだったからストレスたまってんだろ!」
「 ………っ」
  この状況に呑気な態度の風角たちが龍麻には却って不安だった。
  雷角が既にこんな風に変貌しているのだ。
「 コロス…コロスコロス…。邪魔スルモノハミナ…!」
  こんな風に自分に向かって殺気を放っているのだ。
「 何なんだその悪者の台詞は〜」
「 風角、俺ら悪者じゃなかったかイエ〜」
「 まあそうだけどな…。ひーちゃん様を相手に悪者になる事ないだろ〜?」
  龍麻は既に脱出できるはずの牢屋から一歩も動けずに、ただ風角たちの背中を見つめていた。
  自分を護ろうとしているその背中を。
  安心?
  違う。
  恐怖?
  それもちょっと違う。
  今、思っている事はきっとひとつだけ。
「 ………っ」


  彼らだって変わるかも。


「 あれを…あの珠を壊せれば…」
  雷角が持っているだろうそれは胸のところで光っている。あれを壊せば雷角は元に戻るかもしれない。
「 あれさえなければ…!」
「 え? 何だひーちゃん様どうした?」
「 何を壊すんだイエ〜?」
「 あれだ…。あの珠さえなければ…」
  別に龍麻は風角たちに言ったのではない。それは殆ど独り言だった。
「 ……?」
  しかし龍麻のその台詞で2人は一斉に雷角の胸元へ視線をやった。雷角自身が放つ稲光で意識がいっていなかったのだろう、今更にその光に気づいたような風角が半ば呆然としたように呟いた。
「 あれ…? あの光には、何か見覚えがあるな…?」
「 おう…あるぞ…。何かあるぞ見覚えが……」
  すると炎角もらしくもなくステップをやめ、ぽつりと呼応するように呟いた。


「 殺セ…コロスノダ、ソイツヲ殺セ…!!」


  そして雷角がその光に誘われるようにそう叫んだ時だった。
「 あ…!!」
  くるりと振り返った風角たちに龍麻ははっとして目を見張った。


「 コロス……」
  風角の懐から。
「 コロス……」
  炎角の懐から。



  あの珠が光った!!



「 死ネ!!」
「 !!!!」
  風角、炎角が一斉に龍麻に向かって攻撃を仕掛けてきた!!
  風角の攻撃!!
「 うわ…!!」
  龍麻は10のダメージを受けた!!
  龍麻は身を守っている!!
「 死ネ!!」
  炎角の攻撃!!
「 ……っ!!」
  龍麻は11のダメージを受けた!!
「 ハッハハハ!! ハハハハハハ!! ソウダ、ソレデイイ!! 殺セ殺セ!! コロスノダ!!」
  2人の豹変に雷角は嬉しそうに笑声をあげ、そして自らも龍麻に向かって飛びかかってきた!!
  雷角の攻撃!!
「 !!!」
  しかし龍麻が観念して目を瞑った時だった!!


  ピカッという音と共に、白く眩しい閃光が龍麻たちのいる場所に突然降りかかった!!!


「 ぐわああっ!?」
「 ぎゃあっ!?」
「 ぬおっ!?」
  風角、炎角、雷角たちにその白い閃光は襲いかかった!!
  彼らはそれぞれ100のダメージを受けた!!
「 ぬ…ぐぐぐぐぐ……」
  白い閃光は3人の鬼道衆たちを攻撃している!!
  彼らはその光を浴びているだけで体力を奪われている!!
  3人の動きが完全に止まった!!
「 な、何……?」
  苦痛によりばたりばたりと倒れこむ3人を龍麻はただ唖然として見やった。牢の奥の岩陰に寄りかかり、歩み寄る事も座り込む事もできず、ただその場所で。
  すると、声が。



「 何て身の程を知らぬ者たち…。龍麻に手を出そうなんて、神を敵に回そうというの…。そう――」



「 あ!!!」
  その白い光のベールから現れた人物に龍麻は思わず声をあげた。それは龍麻がよく知っている人だったから。
「 うふふふふ……」
  光と共に表れたその人物、それは。
「 そう、この美里葵を敵に回すなんて…ね…」
「 み、美里!!」
「 うふふ…久しぶりね龍麻。怪我はない? もう大丈夫よ安心して……」
「 ……!」
  驚き呆然としている龍麻を前に、その聖女はにっこりとあの美しい笑みをその口元に浮かべた。


  美里葵が現れた!!!



  《現在の龍麻…Lv20/HP29/MP95/GOLD117950》


【つづく。】
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