第89話 安堵

  龍麻の手の中にあった3つの金の珠は、割れた瞬間、その力を失った。
「 消え…た?」
  あれほど禍々しい光を放っていたというのに、龍麻の足元に転がった珠の欠片は、今はもうただの小さな石塊のようだ。ちりじりに散らばったそれをぼうと眺めた後、龍麻はへたりとその場にしゃがみこんだ。
「 龍麻、大丈夫!?」
  そんな龍麻に美里が心配そうな顔で駆け寄る。
「 ………」
  龍麻は美里を焦点の定まらない目で見やった後、ゆっくりと自らの両手に視線を移した。
  未だじりじりと何かがくすぶっているような感触。手のひらは酷い火傷を負っていた。
「 龍麻…まあ龍麻…。こんな痛々しい…。待っていて、私が綺麗に治してあげるから。そうね、私の魔法の舌でべろんとばびゅんと舐めてあげれば…っ!」
「 あ…」
「 龍麻?」
  けれど龍麻は美里の必死な台詞をすぐに耳から耳へと流してしまうと、何かに押されるようにしてゆらりと立ち上がった。
  そうしてすぐに倒れこんでいる雷角たちを見やって青褪めた。
「 み、みんな…」
「 龍麻っ」
  よろけながら鬼道衆たちの元へ向かおうとする龍麻に美里が強い口調で呼び止めた…が、龍麻は答えなかった。
「 みんな…」
  すぐ傍にまで行く。うつ伏せになって倒れている炎角の横で膝を折り、触れようとしてぴたりと止まった。

  息をしていない…?

「 う、嘘…」
  がたがたと震える手が止まらずに、龍麻はもう片方の手で彼らに差し出そうとしていたその震える手を押さえつけた。
  それでも小刻みに揺れるその動きを止められない。
「 ど、どうして…。あの珠は壊したのに…。どうして皆…」
「 龍麻…」
  美里は憐れんだような顔をして自らも龍麻のすぐ背後にまで来ると首を左右に振った。
「 きっと珠に生気を吸われ過ぎたのよ。手遅れだったの。龍麻のせいじゃないわ」
「 そんな…! そんなの…!」
  また助けられなかった。
「 そんな…」
  ただそれだけしか言えなくて、龍麻は無意識に振り返った。
  未だ同じ場所に立ち尽くしたままの天童の姿。
「 天童…」
「 ………」
「 天童、俺…」
  縋るように名前を呼んだが、相手は答えなかった。龍麻は堪らず下を向いたが、何も発しない天童が伝えてくる冷たい空気だけでただもう恐ろしかった。悲しかった。責めてくれればいいのに。何も言ってくれない。それが辛いと思った。
「 テメエは全く役立たずだ」
  するとまるでその龍麻の心を読んだかのように天童がようやく口を開いた。
  龍麻は顔を上げてそう言った天童を見た。
「 俺が求めてたのはそんなチンケな力じゃねえ。何もかもをぶっ壊す絶対的な力だ。テメエはまだ…未完成だ」
「 ちょっと九角くん、私の龍麻に何てこというの」
  美里がぶうたれたように不平を言ったが、天童はまるで動じず、その言葉を完全に無視した。
  しんとした地下の空間。
「 ………」
  龍麻は最早痛みすら感じない傷ついた手のひらをただ眺めた。そうして、この時初めて一体自分の持つ《力》というのは何なのだろう、一体何故あるのだろうと真剣に疑問に思った。
  そして知りたいと心から思った。
「 ………うん」
  だから随分と間を空けてしまいながらも、龍麻はようやく天童の放った台詞に頷いた。
「 俺は本当に駄目な奴で最低だ…。役立たずだし、何の価値もない。本当は…どこかで自惚れていたんだ。翡翠が俺の力だけが目当てだって事を嫌がったくせに、どこかでその力に頼ってるところもあったんだ。俺には何もない、でもこの力はあるって。それがどんなものかも分からずに…。大したものでもないくせに」
「 くだらねえ愚痴だ」
  天童が言った。
  踵を返し、龍麻に完全に背を向ける。そうしてちらとだけ美里の方を向くと、心底嫌そうな顔を向けた。
「 テメエ。いい加減どっか行けよ」
「 行くわよ。龍麻と一緒にね」
「 ………」
  天童が何も言わないと知ると、美里は軽く片眉を上げ、しかし口元には笑みを浮かべて言った。
「 分かっているのよ九角くん。貴方の考えている事なんて。親戚ですもの、貴方の思考回路なんて嫌ってほど分かるんだから」
「 …だったら俺にもお前の考えている事が分かるとは思わねえのか?」
  美里の発言に天童はますます不快な顔をして見せたが、我らが菩薩様は動じなかった。
「 私はやましいところがないから、何を探られても平気よ」
「 よく言うぜ」
「 そんなことより」
  美里はぴしゃりと言い切ると、身体を屈め傍の龍麻の顔をぎゅっと引き寄せると自らの胸に掻き抱きながら続けた。
「 貴方の欲しい龍麻は《まだ》ここにはいないんでしょ? だったら私たちをここから解放してちょうだい。ここは龍麻にとってよくない陰氣がたくさん篭っているから、あんまり長居させたくはないわ。それに九角くん。貴方自身と龍麻が一緒にいるのも嫌。危険過ぎるから」
「 ………」
「 ちょっと。九角くん、聞いてるの?」


「 ………め」


「 は?」
「 ………駄目イエ」
「 駄目イエ?」
  美里がその「声」とも「音」とも判別つかない微かな返答に怪訝な顔をしたのと同時。
「 ……え!?」
  されるがままおとなしく美里に抱きしめられていた龍麻もびくりと肩を揺らし、声を漏らした。
「 あっ!」
  そして。


「 駄目イエ〜。ひーちゃん様、出て行くの駄目〜イエイエー……」


「 え…っ!!」
「 きゃっ!?」
  龍麻と美里が同時に声をあげた。
  ふと視線をやると、美里に抱き寄せられている龍麻の足首をうつ伏せになって倒れている炎角がしっかと掴んでいた。そして彼はくぐもった疲弊したような声ながらも、はっきりと美里の発言に抗議の声を上げた。
「 ひーちゃん様を連れて行ったら駄目だぜイエ〜…」
  するとそれに続いてまた新たな声が。
「 そうだぜ。ひーちゃん様は…ここにいるんだ…」
「 風角さん!」
  龍麻が叫ぶと、更にもう1人。
「 うぐぐ…。そうですぞひーちゃん様…。ひーちゃん様は我らが御屋形様の許婚…」
「 雷角さん!!」
「 な、何なの貴方たち!」
  珍しく美里がぎょっとしたような声を上げた。ゾンビのように次々と意識を取り戻し起き上がった鬼道衆3人組と、彼らの「ひーちゃん様行っちゃ駄目発言」に明らかに動揺したようだった。
  美里は精神的ショックにより、5のダメージを受けた!!
  そして龍麻は。
「 み、みんな…。生きてるの…?」
「 うう〜。どうやら生きてるみたいだぜ。な、雷角?」
「 うむ…。節々が痛むが、命に別状はないらしい。酷く嫌な夢を見ていたような気がする…」
「 俺もだぜイエ〜。ダンスが踊れなくなって死にそうにつらかったぜイエ〜」
「 俺も。ひーちゃん様にひどい事してたような気がする…。うう、イテテ、頭イテ…」
「 みんな…元に戻ってる…」
  思わずうるうると瞳を潤ませる龍麻に、しかし驚きはそこで終わらなかった。


「 もう我慢できなーい! ひーちゃん様ー!!」
「 うおーひーちゃん様、おでたちもいるどー!!」


「 え!?」
  その大きな叫び声に龍麻が仰天して階段の方…天童がいた方向に目をやると、そこには万歳をしながら駆け寄ってくる水角と岩角の姿があった。
  龍麻は驚きのあまり暫し言葉を失った。
「 ひーちゃん様、ご無事で何よりです〜」
  そんな龍麻に水角が寄ってきて言った。
  続いて岩角も。
「 うおーひーちゃん様がおでたちのせいで牢屋に入れられてるって知っで、おでたち悲しかったどー」
「 もうホントですよ。真っ青でしたわ。でも御屋形様がわらわ達が無事だった事は暫く内緒にするとか言うし…。でも! まあこうなったらもう出てきてもいいですわよねえ? って、あれ? 御屋形様は?」
「 え…天童…?」
  龍麻もその声ではっとして顔を上げたが、天童の姿はいつの間にかその場からなくなっていた。
  美里が深いため息と共に言った。
「 きっと居た堪れなくて逃げ出したのね。こういう場面が嫌いなのよ。龍麻、あの人ってかなりの悪党だけど、本当は笑っちゃうくらいの子どもなの。知ってた?」
「 ……て、天童が?」
「 そうよ。…まあ自分でもそういうところが嫌いみたいだけれどね」
「 ………」
「 それよりひーちゃん様っ。お疲れでしょう? さあさ、早く上がってお部屋に行きましょっ。ゴハン用意してありますよ」
「 え?」
  水角の言葉に龍麻が聞き返すと、岩角がぐいと出てきて自分も喋りたいとばかりの様子で言った。
「 いっぱい作ったど! ひーちゃん様にご馳走運ぼうと思って頑張って作ったんだ! おでたち、何だか凄く身体が軽いんだど。何だか変な気分だど!」
「 そうなんですよねえ。何だか変な悪夢から目が覚めたと思ったら妙に清清しくなっていて…。だから岩角とケーキとかクッキーとか作ったり。きっとひーちゃん様、甘い物が好きだと思って…て。あれ? ひーちゃん様?」
「 寝ちゃったぞイエ」
  はしゃぐ水角たちに炎角がステップしながら言った。
  鬼道衆たちと美里に囲まれるようにして、龍麻は深い眠りの淵に沈みこんでいた。
「 ……なあ。ひーちゃん様、何かさっき泣いてなかった?」
  そんな龍麻を眺めながら風角がぼそりと言うと、隣にいた雷角もこくりと頷いた。
「 うむ…。どうにも記憶が曖昧だが…。ひーちゃん様が我らの為に何かして下さっていたような…」
「 貴方たちの為ですって?」
「「「「「びくっ!!」」」」」
「 み、美里さま…。いらしてたんですか!?」
  水角が今更気づいたように言うと、美里は冷めた目をして辺り全体が凍りつくような声を発した。
「 何かしら、その態度は」
「「「「「 びくくっ!!」」」」」
  美里のピキピキきているような視線に震えながら鬼道衆たちが石化する。
「 まったく…」
  けれど予想に反して美里ははあと1つため息をついただけで何もしなかった。ただ自分の胸の中で眠るように気を失ってしまった龍麻を覗きこむ。
  そして美里はそっと苦笑した。
「 龍麻…。貴方って本当に不思議な人ね。この鬼たちをこんな風に白くしてしまうなんて…」



  《現在の龍麻…Lv20/HP1/MP0/GOLD117950》


【つづく。】
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