第90話 今はもう…

  未だ覚醒しきれない意識の中で、何だかやたらと切羽詰まった声が聞こえた。

「 寝るな岩角ッ。起〜き〜ろ〜!」
「 うぅ駄目だど…。おでもう眠いど…」
「 バカ野郎ッ! お前、ひーちゃん様がどうなってもいいのか!? あの恐ろしい御方にひーちゃん様の貞操を奪われてもいいというのか〜!?」
「 ううう…嫌だど…。そんなの嫌だど〜」
「 そうだろうっ。だったら我慢して起きてるんだ! ここは俺たちでしっかり死守だ…!」
「 うう〜。その割に風角の目も半分閉じてるど…」
「 くっ…! 我慢だ我慢! ブラックコーヒー追加!」
「 もう30杯目だど。胃がちゃぽんちゃぽ〜んだ…」

  どうやら声はドアの向こう側からしているらしい。龍麻はゆっくりと目を開いた。
「 あ…」
  ここは寝室の、ベッドの上だ。場所は天童の城。
  そう、龍麻が牢屋に入れられる前にあてがわれていた豪奢な寝室。
「 頭いた…」
  上体を起こしてズキンとした痛みに龍麻は顔をしかめた。こめかみを抑えて呟いた後、改めて辺りを見回す。
  一体いつこの部屋に戻ってきたのか、全く覚えていない。
「 風角さん…っ」
  思い切り声を出したつもりだったが、ほんの僅かな音しか出なかった。
「 えっ!?」
  それでもドア向こうの風角には龍麻のその声がきちんと届いたらしい。大慌てて立ち上がりドアを開く音がすぐ後に響いて、外から鬼道衆の1人、風角がやってきた。続いて傍にいた岩角も。
「 うおー! ひ、ひーちゃん様、やっと目が覚めたんだなっ」
「 ひーちゃん様〜。よぐ寝てだなあ! おでたち、待ってたど〜」
「 岩角さんも…」
  龍麻は嬉しそうな2人の顔をまじまじと見やった後、ああ本当に元の彼らだと実感して肩をなでおろした。意識を失う前の事を確かに覚えている。あの不穏な光を発する珠を壊し、元に戻った雷角たち。
  そして何故か無事だった水角と岩角の姿。
「 岩角さん…。ホントに無事だったんだね」
  改めて龍麻が言うと、岩角は得意気な様子で厚い胸板をどんどんと叩いた。
「 おおう! おで、ちゃんと無事だど! ちょっと眠くでフラフラなんだけどな〜!」
「 眠いって…」
「 ひーちゃん様が全然目覚めないから、俺たち交替で寝ずの番をしてたんだよ。何せ今この城には恐ろしいみさ…じゃなかった、げほげほっ。あーえーと…っ。そう! いつ何時怪しい輩が忍びこんでくるとも限らないからな!」
「 美里様がひーちゃん様を夜這いしないようにおでたちで護ってだ」
「 岩角、お前はそうはっきり言うなって【焦】!」
「 美里…?」
  ああ、そうだ。美里もいた。確かにいたのだ。
  龍麻は徐々に記憶に蘇ってきた先刻までの出来事を反芻しながら、もう一度部屋の周囲を見渡した。窓からキラキラとした光が差し込んできている。日は高そうだ。一体自分はどれくらいの間こうしてここで眠っていたのだろう。
「 天童は?」
「 御屋形様? えーと、数時間前まで美里様と喧嘩してたけどなぁ…。岩角、お前知ってるか?」
「 うん。御屋形様、美里様の事うるざいって言って怒ってだ。だからちょっと出てくるって」
「 天童と美里って…知り合いなの? そういえば美里が親戚とか何とか言ってたような…」
「「う…」」
  龍麻が依然としてぼんやりとした調子のままそう訊くと、2人は何とも言い難いような微妙な空気を発して互いに顔を見合わせた。
  風角が代表して言う。
「 ひーちゃん様、あの2人の事はあんまり詮索しない方がいいよ。怒らせるとおっかねえから」
「 はあ…」
「 それより腹減っただろ!? ゴハン用意してあっから! な、ひーちゃん様起きられるか!?」
「 うお〜ゴハン! ゴハン!」
「 あ、うん。ありがとう…」
  元気いっぱいの岩角と、龍麻が目覚めた事によって浮かれたようにしゃきしゃきと動き出す風角。龍麻も自然笑顔になって頷いた。





「 まあ龍麻。おはよう。よく眠れた?」
「 あ、美里」
  だだっ広い食堂に入ると、そこには優雅に紅茶を飲んでいる美里の姿があった。いつもは怪しげな黒衣を纏っているのに、今日はまるでどこぞの王宮貴族のような華やかなドレスを身につけている。そして、長い豪奢なテーブルの角に腰を下ろしている美里の傍には、果物やらお菓子やら、豪勢な食べ物がズラリと並んでいた。
  龍麻はその風景に目をちかちかさせながら近づいた。
「 美里…何だかお妃さまみたいだ」
「 あら。うふふ…。それじゃあ私の王様は龍麻、貴方ね?」
「 え? いや、そのう…」
  相手は勿論この城の主、天童のつもりで言ったのだが。
  しかし龍麻はそれを説明しようとして、しかし背後の風角が「それだけは言うな」という無言の圧力を掛けてきているのを咄嗟に察知し、口を閉じた。
「 んまあ〜ひーちゃん様! お目覚めで!」
  そしてそれと同時のタイミングで、またしても新たな食べ物を盆に乗せた水角が龍麻たちがやってきたのとは違う扉からやってきて叫んだ。その背後にはステップを踏んでいる炎角もいる。
「 ひーちゃん様、グッモーニン! イエ!」
「 あ、う、うん。水角さんも炎角さんも元気そうだね」
「 元気元気イエ!」
「 はい、ひーちゃん様! まあひーちゃん様のお陰で…!」
「 貴方たちは喋らなくていいのよ」


  しーん。


  またしても龍麻を4人で囲みそうな鬼道衆をさっと制し、美里はにっこりと笑った後龍麻に自分の傍の席を促した。
「 さ、龍麻、座って。ずっと眠り通しだったからお腹が空いたでしょう? 私も今は丁度ティータイムの時間だったの。料理が来るまでここにあるお菓子でも食べて待っているといいわ。……お前たち!」
「 は、はいーっ。ただいま!」
「 ひーちゃん様っ。急いでゴハン持って来るな!」
「 待ってて待っててイエイエ〜!」
「 おでも食べた…」
「 バカ岩角! ほら行くよっ!」
  美里の一声で風のように去って行く鬼道衆たちを唖然として見送りながら、龍麻は言われるまま大人しく美里の傍に座った。
「 うわあ…。美味しそう…」
「 うふふ…。そうでしょう。遠慮しなくていいのよ。たくさん食べてね? 今、紅茶を淹れてあげるわね」
  美里は言って傍にあった空のティーカップを引き寄せ、ポットからこぽこぽと良い香りを放つ紅茶を淹れ始めた。
  龍麻はそれをじっと見やりながら、改めて傍の美里を見つめた。そしてようやく訊く。
「 美里…。今まで何処へ行ってたの? 突然いなくなるから心配したよ。マリィだけ秋月に寄越してさ…」
「 龍麻、私のことを心配してくれていたの?」
「 当たり前だろ。マリィだって寂しがってたし…」
「 そう。そうね、またあの子に寂しい思いをさせては駄目よね。でも…」
  美里は湯気の立つ紅茶を龍麻の方へ差し出しながら悠然とした笑みを浮かべて言った。
「 所用を済ませている時に、マリィが龍麻の探している4神の1人…朱雀だと分かったものだから。私は理由があって徳川へは行けなかったから、仕方なくマリィだけ向かわせたの。あの子が必要だったでしょう、龍麻は」
「 あ、うん。俺…最後の4神…翡翠のことも見つけたよ。仲間になってくれた」
「 そうでしょうね」
「 鍵も貰って…」
  言いかけて、けれど龍麻はそのまま声を萎ませて黙りこんでしまった。
  あれからどのくらいの時が経ってしまったのだろう。壇上門に巣食う地下のモンスターを倒す為にマリィたち4神と共に徳川へ戻らなければならなかったのに。時の扉で天童の城へ来てしまい、龍麻はそのままいたずらに時を重ねてしまった。
  皆、無事だろうか。
「 龍麻が元気を出してくれないと私も元気が出ないわ」
  美里が言った。
「 私と離れている間に色々な事があったのね。はじめ、龍麻がこの城にいると分かった時は本当にびっくりしたのよ。私はてっきり九角くんに誘拐されてここに監禁されてるんだと思ってたのだけど」
「 ち、違うよ…。俺が勝手に来ちゃったんだ」
「 そのようね」
  あっさりと認めた後、美里はカチャリとティーカップを持ち上げた。一口やり、龍麻をちらと見る。
「 龍麻をここから連れ出そうとしたのだけれど…。私の力ではどうにもできなかった」
「 え?」
「 九角くんがこの城一帯に掛けている魔法のせいだと思ったの。彼は龍麻、貴方の未知なる力を欲しているから。だから貴方を閉じ込めて逃げ出せないようにしているのだと…。でも、違ったの。結界を破っても、貴方を連れ出せなかった」
「 美里…?」
「 連れ出せないはずだわ。貴方は、貴方の意思でここにいるのだもの。龍麻…。貴方、どうやってここに来たの?」
「 どうって…」
  美里に訊かれ、龍麻は瞬時に比良坂の顔と、あの不思議な青い泉のことを思い浮かべた。
  そしてあの青い光に誘われるままにここへ来た経緯も。
「 あの…比良坂さんは、俺が本当に必要としている所へ俺を連れて行くって。俺…最初は翡翠の所へ行くんだと思ってた。だって徳川へ戻る事が今の俺がやらなきゃいけない事だったから。でも…本当は、俺はそれをしたくなくて…」
  この《力》を放棄したかったから、自分はここに来た。
  でも、今は?
「 ………」
「 龍麻。その時の女神はこうも言っていなかった? 貴方が帰りたいと思った時に、扉はまた開くって」
「 あ。うん…」
  自分の独り言のようなこんな説明に、何故美里は何もかも分かっているような顔をしているのだろう。不思議だ。
  そう思いながら、けれども龍麻は美里に頷き、ただじっと見つめ返す事しかできなかった。美里の放つ空気がそうさせているのだと思った。
「 そう…それなら…」
  そんな美里は龍麻の様子を見てからがたりと椅子を立ち、そうして入口にまで行くと振り返りざまふっと小さく笑んだ。
「 それじゃあ龍麻が帰りたいと思った時、龍麻はこの城を出るわけね。分かったわ。ならその時は教えて。私も本来ならこんな所に長居していたくないもの。……でもここに龍麻だけを置いておくのは心配だから」
「 み、美里…」
「 何?」
「 美里ってさ…。何者なの?」
「 ………」
  龍麻の問いに美里はただ静かに微笑しているだけだ。龍麻はそれでますますじりじりとしてしまい、風角の忠告も忘れて思わず口にしてしまった。
「 天童とはどういう関係なの?」
「 龍麻」
「 あっ…」
  しまったと思ったがもう遅い。龍麻は慌てて自らの口を両手で塞ぎ、恐る恐る美里を窺い見た。
「 ……うふふ」
  けれど美里は別段怒った顔は見せず、改めて綺麗な顔でにっこりと笑うと言った。
「 私と関係のある人間なんて…。私には龍麻…貴方と、そして私たちの子ども…マリィだけよ」
「 え、そ、それは…(汗)」
「 うふふふふ…」
「 ………」
  結局はぐらかされてしまった。
  扉の向こうへ消えて行く美里を見送った後、龍麻は彼女が淹れてくれた紅茶を一口やり、それからはっと息を吐いた。





  あんまりたくさん寝たせいで眠れない。
「 みんな…さすがに今夜は寝てるみたい…」
  龍麻が眠っていた間は鬼道衆たちと美里との間で何やら不穏な牽制が行われていたらしいが、今日は妙に静かだ。
  龍麻は寝室の扉をそっと開くとこっそりと外の廊下へ出た。
  長い通路を通り、龍麻はまるで何かに誘われるようにして「あの広間」へ向かった。もしかすると眠れないからというのは口実で、自分ははじめからあそこへ行くつもりだったのかもしれない。そんな風に思いながら、龍麻は歩を進めた。
  そう、最初にこの城へやって来た…否、「落ちてきた」王座の間へ。

「 あ…」

  そしてそこには天童がいた。
「 天童…」
  外へ出ていたという事だが、いつ城に帰ってきていたのだろう。驚いた声で呼ぶと、当の天童はその玉座の間に足を組んで座ったまま、頬杖をついた格好で黙って龍麻のことを見やっていた。天童も龍麻がここへ来る事を予期していたような顔をしていた。
「 眠れないんだ…それで」
  龍麻が先に口火を切った。天童の真正面に立って真っ直ぐに相手を見る。何だろう、静か過ぎる。天童の気配にいつもと違うものを感じながら見つめ続けた。
「 はっ…」
  すると天童は暫し黙った後、軽く鼻で笑った。
「 あんだけ寝てりゃ、そりゃあな」
「 天童は?」
「 あん?」
「 何でこんな暗いとこに…1人で座ってんの」
「 ん……」
「 眠れないの?」
「 ああ」
  あっさりと答えたその返答に意外なものを感じながら、それでも龍麻は何となく嬉しくて少しだけ笑った。
  天童に無視されていない事にほっとした。



  《現在の龍麻…Lv20/HP110/MP95/GOLD117950》


【つづく。】
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