第93話 ちいさな2人、ちがう過去 |
「 ……あれ?」 眩しい光にはっとして目を開けると、龍麻は柔らかな緑の草地に横たわっていた。 「 ここ、は…」 チチチと明るくさえずる小鳥の声。 爽やかな風にそよぐ雲。 ふと視線を首ごと横へやると、牛や羊が放牧されている牧草地の向こう、見慣れた教会や民家が見えた。 「 まさか!?」 思わず目を見張り、声をあげる。龍麻は急いで立ち上がり、そのまま駆け出した。 まさか、まさか…。 頭の中でその単語だけを繰り返していた龍麻は、しかしその目的の建物の前で思わず息を呑んだ。 「 俺の…家?」 そこは、外れ村の龍麻の家。 忘れるはずもない。父から追い出されもう何百年もその姿を見ていないような気がしたが、そこは間違えようもなく龍麻が生まれ育った一軒家だった。 周囲の道も、教会も。 全部知っている。 ここは外れ村。龍麻の故郷だ。 「 うわ〜ん!!」 「 !?」 その時、前方の道から何やら激しく泣き喚いている声が近づいてきて、龍麻はぎょっとし仰け反った。 やってくる姿は2つ。ひくひくと泣きじゃくる少年と、その少年の手を引きながら必死に慰めの言葉を紡ぐ、同じく少年。 「 な…」 龍麻は徐々に自分に近づいてくるその2人を前に動く事が出来なかった。 この2人を自分はよく知っている…否、知っているも何もない、この2人は…。 「 龍麻。いい加減、泣き止めよ」 「 だって…だって焚実…うう…」 茫然として立ち尽くしている龍麻の横を通り過ぎ、2人は龍麻の家の前にまで来るとぴたりと立ち止まった。お互いがお互いの事を見ているせいなのか? それとも龍麻の姿が2人には見えていないのか? 幼い頃の龍麻と比嘉は、その場にいる青年の龍麻にはちらとも視線をやらなかった。 「 龍麻」 驚きでただ固まっている青年の龍麻を背に、幼い比嘉が幼い龍麻をもう一度呼ぶ。まるで小さな弟にやるように、よしよしと頭を撫でながら。 「 おじさんは偉い学者さんだし、その上強い武道家だから。皆がおじさんを必要としてる。忙しいんだよ、仕方ないだろ? おじさんだって、本当は仕事で龍麻を置いていくのは辛いんだ」 「 嘘だよ…っ。お父さん、いっつも普通の顔して僕の事置いていっちゃう…。いつも急にいなくなって、ずっと…ずっと帰ってこない…。その間、僕一人ぼっちなのに…」 「 龍麻…」 ぐすぐすと泣きべそをかく龍麻に、小さな比嘉も困ったような顔をしている。 「 ………」 そんな2人の様子を未だ声も出せず見つめていた龍麻は、「ああ、この風景には見覚えがある」と思った。 確かに昔、こんな風に泣いて幼馴染の比嘉を困らせた事があった。龍麻の父親である冬吾は息子である龍麻を残し、ひと月の半分以上は家を留守にするのが常だった。理由は「仕事」。龍麻は父の仕事が何なのかは未だもってよく知らない。父が「学者」としか言ってくれないからだが、村人たちはそれ以外にも父の事は「とても強い武道家の先生」と言って慕っていた。 しかし龍麻は人々に尊敬される父のことを時に恨めしく思う事があった。父のいない家でいつも一人でいる事が寂しくてならなかったからだ。母親は龍麻が物心つく前からおらず、父も「死んだ」としか教えてくれなかった。それは龍麻をより一層寂しい気持ちにさせた。 「 龍麻、俺がいるだろ」 いつまでも泣いているチビ龍麻に比嘉がそう言っているのが聞こえ、青年の方の龍麻ははっとして我に返った。 俯き、両手を目頭にあててぐずぐずしている龍麻を辛抱強く見守っている比嘉。そうだ、親友の焚実は、こんな小さな時から実にしっかり者で自分を支えてくれていたなと、龍麻はひどく胸の締め付けられる思いがした。 「 おじさんが帰ってくるまで、俺と遊んでようぜ。な、龍麻。遊んでればきっとすぐだよ。おじさん、すぐ帰ってくるよ」 「 ……そうかな」 「 そうだよ。龍麻は俺と遊んでるのは嫌か?」 比嘉の強い言いようにチビ龍麻は激しくかぶりを振った。 「 ううんっ。僕、焚実と遊ぶの大好きだよ! 僕の友達は焚実だけだし…!」 「 俺だってそうだよ。年の近い奴、この村には俺たちだけだ。俺たちは親友だろ?」 「 うん」 「 よしっ。それじゃ、一緒に遊ぼう? 何して遊ぶ?」 「 えーっとねえ…」 比嘉の元気の良い声にチビ龍麻もさっきまで泣いていたのが嘘のようにぱっと笑顔になると、真剣な顔で何をして遊ぼうか考え始めた。 「 ………」 龍麻はそんな幼い頃の自分の姿と親友の比嘉を改めてまじまじと見つめながら、これは夢なのかと思った。 「 変なの…」 一体いつの間に寝入ってしまっていたのか。そもそも、眠る前は何をしていたっけ? ぐるぐると考えるが思い浮かばない。ただこの故郷の風景に圧倒されてしまって、幼い自分を見た事でたくさんの過去の思い出がスコールのようにザーザーと自分の頭に思い浮かんできてしまって、龍麻は「静かに」混乱していた。 懐かしい。美しい。故郷。友達。 そう、自分はこの世界以外の事を旅に出るまで何ひとつ知らなかった。いつも外界へ旅に出る父でさえ、息子である龍麻に外の話を聞かせてはくれなかったから。 自分にはいつも狭い、けれど安心なこの土地だけがあって。 「 憎メ!」 そんな思い出に耽っていた龍麻を突然真っ暗な闇が襲った。 「 !?」 はっとして瞬きをすると、いつの間にかその風景は一変していた。 「 な…?」 あの素晴らしい景色はもう見る影もない。龍麻の目の前にはただしんとした静寂と黒い世界が広がっていた。 否、たった一つだけ…。 「 椅子…?」 それは闇の玉座。神々しい幾つもの宝玉をつけた豪奢な椅子だ。 しかしその玉座を取り囲む周辺は、ただひたすら真っ暗な闇に彩られていた。 「 あ……」 そしてその椅子には一人の少年が座っていた。赤い髪を有した鋭い眼をした少年だ。しかし喪に服しているのか、その身に纏っているのは真っ暗な闇に溶け込んでいるかのような、同じく漆黒の服だった。 「 我らがこのような地に追いやられたのは、全てあの憎き徳川のせいだ!」 闇の中からそう言う声が響いた。 龍麻の目には玉座にいる少年しか映し出されていない。しかしその少年に向けてだろう、どこからともなくやってきたその重々しい声は次々と陰の篭った言葉を降り掛けてきた。 「 徳川を滅ぼすのだ!」 「 憎め! そして皆殺しだ!」 「 我らが同胞が味わった痛みを、奴らにも味合わせてやるのだ!」 「 呪え! 奴らに永遠の苦しみを!」 それはまるで少年自身に向けて言っているかのような、ひどく暗い、悪意に満ちた声だった。龍麻はその声を聞いているだけで胸が苦しくなり、その場に立っている事すら困難になってきた。 「 ………」 けれど玉座に座っている少年は平然としてその声を聞き入れている。 別段拒絶もせず、かといって同意している様子もない。ただ静かな迫力のある色を湛えて、どこか遠くに目をやっていた。まるでそこにはない、闇の向こうの世界を見ているかのようだった。 「 ……俺にはそんなものは必要ない」 その時、玉座の少年が突然そんな事を言った。 「 え…?」 その言葉に龍麻が目を見張ると、少年の傍にゆっくりと掛かる影が見えた。 龍麻はぎくりとして倒れ込みそうになる体勢をその場に持ちこたえ、前方の少年とその「影」を見つめた。 「 ………いらんと言っているだろう」 少年は傍の影に何やら話しかけられてひどく迷惑そうな顔をし、そう答えていた。先刻あれほどの声の嵐にびくともしていなかった少年が、その得体の知れない影には逆らいきれないというように、うざったそうにしつつ口を開いている。 龍麻はどくどくと早くなる心臓の音を耳に入れながら、もう目が離せなかった。 少年の横にまとわりついているような影が、徐々に人の形になっていく。 「 あ…」 がっしりとした体躯。獅子の鬣のような豊かな髪。そうしてその影は段々と色を帯び、不穏な氣を放ち、少年の横に立ってどことなく楽しそうに肩を揺らした。 龍麻のところからはその人物のことは後ろ姿しか見えない。しかしその「色」を見て龍麻はもう震えていた。 あの紅い影には見覚えがあった。 以前にも、夢に出て来たあの男――。 「 いらぬなら仕舞っておけば良い。だが…くく、いつか必ず、お前はこれを必要とする」 紅い男が少年にそう言いながら何かを差し出すのを龍麻は見た。 「 あ…!」 その手の平にはあの「珠」があった。 「 何だこれは…」 少年が虚ろな目をして男の手に乗る珠に視線を落とす。興味がないという声をしながら、自然手がそちらにいくのを龍麻ははっきりと見た。 瞬間、龍麻はもう叫んでいた。 「 駄目だ! 天童!!」 「 ――………」 「 それに触…!」 しかし龍麻がそう言いながら少年に駆け寄ろうとした時だった。 ぴくりと肩先が揺れ、少年の傍にいた紅い男がゆらりと振り返った。 「 …っ!」 目が合った、と思った瞬間。 何ヲミテイル…… 「 う…わああぁー!?」 にゅっと差し出されたその掌が突然巨大な壁になったかに見えた。同時に龍麻はその壁に押し潰されぺしゃんこにされてしまう錯覚に陥った。 「 ぐ、あ…」 男の姿を見たと思ったのも束の間、龍麻は男によって発せられた何か魔法のようなものに弾き飛ばされ、悲鳴を上げた。 「 あ・あああッ、天、童ー…ッ!」 それでも龍麻は吹っ飛ばされながら必死に目を開け、男から珠を受け取ろうとしていた少年である天童を…間違いなく幼い頃の彼であろう姿を追い、その名を呼んだ。 それを手にしてはいけない。取ってはいけない。 ただその事を伝えたかった。 「 ……龍麻」 その時、途切れる意識の向こうで少年の天童がぽつりとそう呟くのを龍麻は聞いたような気がした。 《現在の龍麻…Lv20/HP30/MP45/GOLD117950》 |
【つづく。】 |
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