第94話 解放

  気づくと龍麻は「ある場所」でうつ伏せになり、倒れていた。
「 いっつ……」
  あちこち痛む身体に眉をひそめつつも手足を動かし、頭を振った。どうやら命に別状はないらしい。
  地に伏せていた身体をゆっくりと起こした後、龍麻は自分が置かれている現状にはっとした。
「 こ、ここは…」
  そこは初めて天童と出会った地下道の奥。元は天童の国が築いたという黒竜を崇める神殿、その跡だった。
「 俺…何でいきなりこんなとこ…。……あっ!」
『 ぐ…く、う……』
「 天童っ!?」
  神殿奥にあった黒竜の彫像前に天童がいた。
  否、「天童だった人」、だ。
  今は鬼となっているその姿は、目の前にある黒竜のように漆黒で、そして深い闇をその身に纏っているように見える。
「 て、天…」
  しかし今の龍麻にはその天童も後ろ姿しか見えない。躊躇しながら恐る恐る歩み寄ると、微かに漏れるうめき声が再度聞こえた。
『 ぐ…ウウウ…』
「 天童…」
『 ………』
  もう一度呼ぶと、相手はぴたりと押し黙った。
「 ………」
  それで龍麻も息を呑んで相手の反応を窺った。どうしてここへ来たのか分からない。美里の攻撃を止めようとした瞬間、あの青い扉が突然現れたのだけは見えたし、覚えている。けれどその後の記憶はひどく曖昧で、ただぼんやりと自分の幼い頃と、そして。
  天童の子どもの頃を夢見たような気がする。
  そう、多くの人間に囲まれ、しかし闇に包まれていた天童の。
「 ……俺、自分はいつも独りだって思ってた」
  だから龍麻は既に人の姿をしていない天童の背中にゆっくりと語りかけた。
「 母さんは元々いなかったし…父さんもいつも家を空けていて…。俺はいつも家で1人だったから」
  どうしてそんな話を口の端に乗せているのか龍麻自身でもよく分からなかった。それでも何かに急かされるようにして龍麻は語り続けていた。
「 でも本当は違ったんだ。俺には友達の焚実がいたし、村の人だって親切だった。無理やり村を出されて旅に出てからだって、俺には皆がいた。皆親切で…俺はただそれに甘えるだけで…」
『 ………』
「 世界の事なんか何も知らない…。お前の、国の事も…」
『 ………』
「 お前の事も…」
『 ………』
  相手はただ静かだ。微動だにしない。
  龍麻ははっと息を吐き出した後、もう一歩を踏み出した。自分の言葉が耳に届いているかは分からない。また先刻のようにいきなり攻撃されるかもしれない、そうしたらもう今度こそ駄目かもしれない。そう思いつつ、龍麻は言った。
「 俺…天童のこと…お前のこと、知りたいよ…」
  ピシリ、と。
  その時、黒竜の彫像の方から何かが裂ける音がした。
  しかし龍麻は気づかない。
「 なあっ…。元に戻ってくれよ…天童っ…」


  コロセ……!!


「 !?」
  ピシピシピシ、と。
  龍麻が必死の想いで放った言葉とほぼ同時、突然激しい亀裂音が天童の立つすぐ傍で鳴り響いた。
「 な…っ」
  龍麻が驚いて一歩後退すると、その音のした方向…黒い竜の彫像から重く厚い黒雲の固まりのようなものがどばっと天井に向かって放たれた。同時、黒竜の彫像の双眸が怪しく光り、そこからまたおどろおどろしい怨念の篭った声が辺り一体にはっきりと響き渡った。


  コロセ…!!
  復讐シロ…!!
  コノ世ノスベテヲ闇ニ帰セ…!!
  憎イ…憎イ憎イ憎イィ…!!


「 な、な…」
  あまりの負のオーラに龍麻は思わずよろめき、そして尻餅をついた。今さら何にも驚かないと思っていたというのに、せっかく起こした身体がまた地についてしまうと、龍麻はもうそのまま立ち上がれなくなってしまった。
  そのあまりに恐ろしく、しかし哀し過ぎる多くの氣に龍麻はただショックを受けた。
「 こんな…」
  そう、それは誰か一人だけのものではない。黒の竜の彫像が喋っているように見えるが実際は違うだろうと直感で分かった。
  これらの氣は。

  我ラノ無念ヲ晴ラスノダ…!!

「 こんな…こんな氣を」

  滅ボセ! 徳川ヲを! 全テノモノヲ!

「 こんな氣を、お前は…」

  コロセ…!! 何モカモ!! コワセ!!

  それは滅びを強いられた者たちの魂の叫び。負のオーラ。
「 天童…」
  龍麻はただ震え、そして唇を戦慄かせた。
  お前はこんなにも重いものをずっと背負っていたのか。背負わされていたのか?
  子どもの頃から、ずっと?
「 う…」
  黒い氣に晒され続けているのは彫像のすぐ傍に立っている天童も同じはずだった。
「 ……ッ」
  龍麻は必死に立ち上がろうと地につけていた両手に力を込めた。それでも立ち上がれない。悔しさに涙が滲んだが、今は泣いている場合ではない。
  天童を助けなければ。
「 くっそ…!」

  コロ……セエエエ…!!

「 !?」
  しかし、龍麻が1人でもがき奮闘している間に、黒い怨念の塊は遂に明確な意思を持って龍麻に勢いよく襲いかかってきた!!
  自分たちの悲願を妨害する者。
  よくないモノ。
  そんな憎しみと怒りの混じった想いが直接龍麻の思念に入り込んでくる。龍麻は依然それに縛られながら、それでも何とか立ち上がろうとした。
  どうしても天童を助けたかった。
「 うっ…!」
  けれど間に合わない。
  意思を持った負の氣は激しい黒炎となって龍麻の心臓を貫いてきた!!
「 うう…なん、で…動かないんだ、俺ーッ!!」
  けれど龍麻がそう言って叫んだ時だ。


『 ……ツマ』


「 あっ!!」
  黒い炎が突き刺さる、と思った瞬間、突然目の前に黒い影が覆いかぶさった。
「 天…ッ!」
  龍麻は咄嗟に叫んだ。
  天童の顔は見えない。依然として背中しか。それでも彼が龍麻に襲い来る氣を片手で受け止め、そしてそのままそれを自らの掌の中でじりじりと押し留めているのは分かった。
「 天童!!」
  龍麻が声を上げる。しかし相手はその強力な氣を受けているだけで精一杯なのか、やはり何も発しないし動かなかった。
「 天童!!」

  死ぬな!!

  けれど龍麻がそう心の中で強く念じた時だった。


「 ………クソ野郎」


「 あ!?」
  あのはっきりとした悪態が耳をついた。
  同時、パリンとどこまでも突き抜けていきそうなガラスの割れる音が龍麻の耳に飛び込んできた。
「 ……珠、が」
  天童の中に取り込まれてしまったはずの珠が割れる音。
  ただ唖然として目の前の光景を凝視する龍麻に、みるみる天童の姿が元に戻っていく。
  そして、それと共に天童の掌に留まっていたはずの黒い氣が……龍麻に襲い掛かろうと激しい憎悪の念を向けていた者たちが、突如として白く眩い光を発してあちこちに飛散し始めた。
「 ………」
  あれほど禍々しかった空気が一気に清浄なものとなっていく。
「 た、魂が…」
  龍麻が思わず呟くと、白い氣はそれに呼応するように天童の手から龍麻の元でくるりと回り、何事か囁き合うようにした後次々と天へ向かって上がって行った。
  白い光は1つ、また1つと天童の手から離れ、ただ昇って行く。
  気づくと黒竜の彫像の双眸がそれを手助けするかのように、今はひどく穏やかな光を纏い、それらの魂を包み込むようにして輝いていた。
  それは不思議な光景だった。
「 ………」
  腰が抜けた状態のまま、龍麻はただそれを見つめていた。
  あれほど憎しみに満ち満ちていたものが、何故いきなりこうも白くなって天に昇って行くのか。まるで全てのしがらみから解放され、自由になった喜びに皆が歌っているように、白く。
  復讐の念に縛られていた者たちの魂が次々と解き放たれて行く。
「 ……これが…こんなものが…」
「 え?」
  その時天童がぽつりと呟く声が聞こえ、龍麻ははっとした。
  天童は最後の光を掌から放した後、ただじっと下を見つめていた。促されるようにして龍麻もそちらへ目をやると、そこには先刻まで天童の体内にあったはずの珠が…ただし、今は真っ二つに割れたそれがただの石となって転がっていた。
「 ……天童」
  龍麻が呼ぶと声はすぐに返ってきた。
「 言っただろう。ここは墓場で、宝の山だと」
「 あ…うん」
「 ………」
「 天童…」
  もう一度呼ぶと天童は微かに肩を揺らした。笑っているのか。
「 墓場だ。昔、俺の国の奴らはここでたくさん死んだ。こんなチンケな神殿やテメエらの国を守る為にな。だが俺はこの場所をただの墓場じゃなく、それ以外の何かがある場所だと思ってた。ずっと…それが何かも分からずにな。この俺の《力》を解放させる何かがあると」
「 ………」
「 間抜けな話だ。宝は…《これ》だったのか」
「 天童…?」
「 くだらねえ…。何で…俺はさっさと眠らせてやれなかった?」
「 ………」
「 お前なんかに手を借りなきゃ、テメエんとこの民も解放させてやれなかった。いや、俺自身の呪いさえ…」
「 天童、お前は…」
  独りきりだった幼い頃からあの珠に支配されていたんだ。
  あの「紅い」誰かに囁かれて。
「 ………」
  その事を言いかけて、けれど龍麻は黙りこんだ。それを言う事は天童のプライドを傷つける事になるだろうし、何よりあの黒い珠の呪縛を断ち切ったのは天童自身の意思の強さだ。自分は関係ない。
「 天童の力だよ…。ちゃんとあの人たち、天国行った」
「 ………」
「 俺、もう駄目だと思ったんだからな…。でも、天童はやっぱり凄いよ。ちゃんと…元に…」
「 バカ野郎」
  すると言いかけた龍麻を遮って、この時初めて天童が振り返った。
「 あ…」
  気のせいか天童の氣が変わっているような気が龍麻にはした。憑き物が落ちたような顔をしていた。
  その天童は龍麻を真っ直ぐに見据えると、静かな、そして物憂げな口調で言った。
「 天国なんかはねえ。……そんなもんは」
「 ………」
「 だが…」

  この世には地獄がある。俺はずっと何かに縛られ、そこで自分を殺していたのかもしれねえ。

「 ………」
  天童は別に何も発していない。黙っている。けれど龍麻には天童のそう言った声が聞こえたような気がした。
  天童は再び龍麻から踵を返し、ヒビ割れた黒竜の彫像に目をやっていた。
  龍麻は黙ってその背中を見つめた。



  《現在の龍麻…Lv20/HP30/MP45/GOLD117950》


【つづく。】
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