初めて志井とキスした時のことをツキトはよく覚えている。 あの頃は自分が同じ男に感じるなど思いも寄らなかったし、そもそもスキとかアイシテルとかいった所謂恋愛感情自体、ツキトにはよく分からないものだった。高校の頃、告白されて付き合った子が1人だけいたが、その子とは結局何もしないまま終わってしまった。手を繋いだりキスをしたり、勿論その後の事もしたいと思っていたはずなのに何故か手が出なかった。そして、そうこうしているうちに相手に泣かれ、フラれてしまった。 ツキトはあたしの事を本当に好きじゃないのよとその子は言った。 そうかもしれないとツキトは思った。 他の女子よりは好きだった。明るくて元気で、どちらかというとのんびり屋の自分をリードしてくれる力強さがあって、一緒にいると楽しかった。それは事実だ。キスくらい、セックスくらいそろそろ経験しておかないと恥だと思っていたし、そういう意味でその子は絶好の相手だった。だからめいっぱい優しくしなければとも思った。 けれどもそれは恋ではなかったのだ。 「好きだよツキト」 志井にそう言われ初めて唇を合わせられた時、ツキトは狼狽しうろたえてただ「どうしよう」と思った。志井が冷静な目をして落ち着いた笑みを向けてくればくるほどに困惑の色は強くなった。抱きしめられて何度も何度もキスをされて。ただ「どうしよう」と。 けれど同時に「ああこれだったのか」とツキトは初めて理解した。 スキ、だと思ったのだ。それを相手に伝えるのには相当な時間を要したけれど、好きだと思った。志井のことを好きだと思った。 触れられた瞬間だ。 その時初めて、ツキトは志井に恋をしたのだ。 ―6― これでもかというほど、ムラジはツキトの唇を貪り続けた。 「ふっ…んぅ、ん…!」 ツキトが嫌がり抗おうとする程に煽られ興奮の熱が高まるのか、ムラジの欲求は募っていった。 「ひゃっ…ひはは…ッ!」 しゃがれた笑声を上げては弄るように唇に吸いつき、ムラジは何度も舌を差し入れては乱暴にツキトの中を舐った。また、ツキトがそれを嫌がり反射的に身を捩ると、途端に拳を飛ばしてきた。 「がっ…」 「逆らうなっつってんだろうがァ!」 ムラジは鋭い双眸を閃かせながらゆらゆらと酔ったように身体を揺らし、ツキトを殴打した拳を見せつけるように何度か振って見せた。ツキトがそれに何も答えられないでいると、イラついたような二発目、三発目を発してくる。 頭に、頬に。 「ぐ…ッ」 ごつごつした指輪を嵌めたその拳が強い衝撃と共に何度も何度も訪れると、ツキトはもう何が何だか分からなくなってしまった。いつの間にか壁に身体を押し当てられた格好で、ツキトはムラジに好い様に殴打され、そして口づけを受けた。 「おらぁ…! おらあっ!!」 「ぐぁっ…」 もう逆らう力などないのに、キスをしては殴られる。 セックスがしたいのか、ただ相手を傷つけたいのか。目の前の男の行動にただ恐怖を感じ、ツキトは茫然としながらただ虚ろな目を向けるしかなかった。本当に殺されるかもしれないと思った。服を脱げと命令されたツキトが石のように硬直して動けなくなっているのをムラジはただの反抗と受け取ったのだろう、暴力は徐々に激しさを増していった。 「生意気なクソガキだぜ…」 「……ぅ」 「仕方ねえ…。俺はぁ…親切だからなぁ?」 やがてムラジはそう呟いたかと思うと、ツキトのズボンを自ら手を掛け無理やり脱がしにかかった。かさついたツキトの肌に何度か布地が引っかかるのを、ムラジはひどくうざったい目で見やりながら長く鋭い爪を持つ指先で強引に下までずり下げた。 ツキトはそれをまるで他人事のように見つめるだけだった。 「随分…大人しいじゃあねえか…なあ、ホモ君?」 「………」 下着だけになったツキトをねっとりとした目で眺めながらムラジはニヤリと笑った。 「やっぱりぃ、テメエは好きモンなんだろう…? 別に刈谷じゃなくてもいいんだろうが? 大人しくしてりゃあ、お前にもいい思いをさせてやる…」 脱がせたズボンを背後に投げ捨ててムラジは自らの薄い上唇を舐めながらツキトに向かってそう言った。そうして早急に自らのズボンのベルトにも手をかける。部屋にカチャカチャと嫌な金属音が響き、ツキトはそれによりようやくはっとなってびくりと肩を震わせた。 さすがに今から自分がされようとしている事を察し、心の底から恐怖した。 「あ……」 「この俺にわざわざ脱がせてもらうなんざよぉ…。焦らすのが好きなんだなぁホモ君はよ…? まあいい。オトモダチの大切な玩具だからぁ…俺もせいぜい優しくしてやるよ……なあっ!?」 「がっ!」 やんわりとした言葉が投げられたと思った途端、また語尾が荒くなって突然殴られた。 「うっぐ…」 ガツンと口元を殴られてツキトは顔を逸らし、その場にドサリと倒れこんだ。ジンジンとしたこの痛みは殴打によるものなのか、それとも熱のせいなのか最早皆目見当がつかない。このまま意識を失ってしまえたら。 なのに、それもできない。 「………」 ツキトはぬるりとする唇を手で拭い、その甲を見つめた。赤い血がべったりとついている。何て色だ。こんな時にそんな些細な事がやけに気になった。 「何かぁ…つまんねえなあ…」 すると不意にムラジがよろりと立ち上がり、冷めた声で言った。 「泣き叫べや…媚びろよぉ…。デク人形みてえにびくともしねえ奴にゃ、俺は勃たねえんだ…。おい…? なあホモ君。俺のパンチは生ぬるいかよ…?」 「………」 「答えろぉ…!」 しかしムラジがそう言って再度ツキトに拳を振り落とそうとした時だった。 「死ね…!」 「ぐはっ!?」 突然の呻き声と共にムラジがその場に倒れこんだ。 「刈……」 定まらない視界の中でツキトがぼんやりと顔を上げると、倒れたムラジの背後に荒く息をついた刈谷が立ち尽くしていた。 同時にごろんと重い音が響いて、台所に置いてあったはずのポットがツキトの足元にまで転がってきた。 「あ…あぁ…」 「ハアッ、ハア…! 死ねっ…! マジで…テメエなんか死んじまえ…!」 まるでうわ言のように刈谷は倒れ伏すムラジにそう言った。ムラジに与えられたダメージですぐに立ち上がれなかったものの、意識を取り戻してツキトがされている事を目の当たりにした刈谷はムラジの頭部を傍にあったポットで思い切り殴りつけたのだ。 ムラジは低く呻いたまま立ち上がろうとはしない。じわりと畳に赤いものが広がる。ムラジの血だと分かった。 「刈谷…」 「ツキト逃げろ! こいつは俺が殺す…!」 「そんな…。だ、駄目…」 刈谷の目もまた、ムラジ同様正気を失っていた。 ツキトはようやく夢から覚めたようになってさっと青褪めた。大変な事が起きる予感。不安で胸が張り裂けそうになる。 「逃げ…逃げ、よ…?」 ふらりと立ち上がって刈谷の元へ行こうとしたツキトは、しかし突然襲った足首のその感触に再度硬直した。 「どこ…行く…?」 ギロリと殺気立った眼をして、ムラジはツキトの足首を掴んだまま低い声を発した。 「て…めえっ!」 それを見た刈谷が再度激昂したようになってムラジに殴りかかる。けれど今度は素早く立ち上がったムラジに逆に拳を振るわれた。 「ぐあっ…!」 「刈谷っ!」 ツキトが叫ぶとムラジはギロリとした視線を寄越し、それから再度倒れた刈谷を見下ろした。 「刈谷ァ…」 ポットで思い切り殴られたのだ。さすがにダメージはあるようだった。けれどもよろけた足取りながらも刈谷に近づくムラジの殺気立った目はますます怪しく光り、ツキトは再び硬直して動けなくなってしまった。そしてその場で固まっているツキトは、ムラジがポケットから出した物に小さく悲鳴を漏らした。 「ひっ…」 それは恐ろしく底光りしているバタフライナイフだった。 「おい…ホモ」 ムラジが怯えるツキトに向かって熱のない平坦な声で言った。 「動くな…いいか…。テメエは俺にヤられる為だけにそこにいるんだ。逃げようなんて考えたらテメエも切り刻むぞ…」 「……っ」 「だが…その前に、テメエだ…」 「う…」 ムラジがそう言った先には、殴られダメージを受けつつも立ち上がろうとしている刈谷がいた。 「ム、ムラ…」 「刈谷よ…さすがの俺も効いたぜ…? テメエ、覚悟はできてんだろうな…?」 「くっ、テメエ…こそ…。死に、やがれ…!」 「刈谷! 駄目だ!」 思わずツキトは叫んだ。 「刈谷、逃げろ!」 この黒い男は完全に異常だ。ツキトは刈谷が殺されると思った。 「刈谷!」 「ツキ、ト…?」 力の差は歴然、おまけに相手は刃物まで持ち出しているのだ。刈谷が冷静でない分、危険もより高まっている。 ツキトは咄嗟にムラジの足に掴まり、叫んだ。 「や、やめて下さい…! 頼むから…やめて…!」 「……うぜえなテメエ…。先に死ぬか…?」 「ツキト…! 離れろ!」 ムラジの低く篭った声に今度は刈谷が叫んだ。 しかしツキトは引かなかった。 「やめて下さい…! 俺なら、いいから…! だから、だから…!」 「ツキト!?」 刈谷の声を無視し、ツキトは切羽詰まった声でムラジに言った。 もうどうなってもいい。 「やめて…下さい…」 ボロボロの痛む身体を押してツキトはただ悲痛な声を上げた。 今分かっていることは、とてつもない危険が迫っていて、そのせいで自分の知っている人が命を失うかもしれないということ。血を流そうとしていること。それだけは何としても阻止しなければと思った。 ツキトは項垂れながらも、しかしはっきりとした声で再度懇願した。 「あんた…俺とヤりたいだけだろう…。だったらさっさとやって出てってくれ…。刈谷を殺したって何の得にもなんないだろ…?」 「何言ってんだ、ツキッ…ぐぁっ!」 「煩ェんだよぉ…!」 「刈谷!」 ツキトは悲鳴に近い声で友人の名を呼んだ。 「刈谷!」 しかし最早返答はなかった。 「このゴミが…」 ムラジはぺっと唾を吐き捨て、自分が放った足蹴りで引き戸に後頭部をぶつけ意識を失った刈谷を蔑んだ目で見下ろした。 「こいつぁ…マジでどうかしちまったらしい…」 そうして先刻までとは違い、やや呂律の回る声で呟いた。 「このゴミ…テメエにマジで惚れてるみたいだぜ…。なあホモ君…?」 「知らないよ…」 自分の方を振り返り笑うムラジにツキトは心底嘔吐感を抱いた。それでも、もう逃げる事は叶わない。 「まあどうでもいい…。やっと続きだ……脱げ」 「………」 ツキトは言われるまま、ぎちぎちに固くなっている腕を何とか動かし言われるままに下着を脱いだ。露になった下半身にムラジの視線が集まるのを感じ、ぎゅっと唇を噛み目をつむった。 「後ろ向け」 無機的な声が部屋に響く。 ツキトは視界を閉ざしたまま言われた通りに後ろを向いた。違う事を考えよう。こんな事はすぐに終わる。そう思った。 「やる事ぁ分かってんだろうが? さっさと四つんばいになれや…。重なれねえだろう」 「………」 「声出せ。俺ァな、キレると何すっか分からねえぞ」 「……はい」 これは自分の声ではない。今は何も考えなくていい。 ツキトはただ機械のように言われたまま、四つんばいになってムラジに向けて尻を向けた。 じわじわと熱くなる身体、同時にゾクゾクとする悪寒。もう何も分からなかった。 「貧相な尻だぁ」 何か聞こえたがツキトは知らないフリをする。早く早く過ぎ去ってくれればいい。それだけを思った。 「ふーう、やっと出せるぜ…」 再びガチャリとベルトを投げ捨てる音が響き、それからジッパーを下げる音も聞こえた。影が身体に被さり、ぴたりと冷たい手のひらが尻に触れられた。 ツキトはぶるりと震える。 「ひゃっは…これが男の尻かよ…? えらく生っ白いぜ…」 「ひっ…」 何の馴らしもなく入ってくるつもりのようで、ムラジは怒張した己の性をそのままツキトの尻に押し付けた。その感触にツキトは思わずびくりと背中を逸らし、反射的に逃れようとした。 「動くなあっ」 しかし途端に叫ばれ、髪の毛を掴まれた。 「うっ…」 「今突っ込んでやるからよお…。大人しくしてろや…なあ?」 「う、うう…」 「お前もイッちまっていいからな? なあホモ君…好きなんだろうが? そうされる事がよ…!」 「い…やだ…」 「へっ…ひはっ…」 「いっ…」 ぎりぎりとムラジの肉棒がツキトの中に入ってこようとしている。 「いやあっ」 ツキトは思わず声を上げた。けれども容赦なく相手は腰を進め、その狭い入口に己の欲を叩き込んでくる。 「小せえ穴だ…狭いぜこいつァ…!」 「ひっ…やあ…あぁっ…」 「堪えろや…なあ?」 「やあっ…あ、あああ――っ!」 「はっ…ははははっ! いいねえ…! お前…お前、美味しいぜ…!」 「ひぃっ…ん、ん…! あ、あぁッ」 なかなか入りきらないのをムラジは焦れながら、しかし楽しそうに何度も強引に仕掛けては腰をズンズンと突いてくる。 「うぅっ…ん、んぐぅっ…」 「はぁ…ひ、ひひぃ…!」 「ひ、ア…ッ」 その時、乾いているはずの中が何故かぬるりと濡れ、ずぶりとムラジのものを受け入れた。血だ。ぼんやりとその単語が頭の中に浮かび、ツキトは自分はまだそんな事を考える余裕があるのかと微かに思った。 「テメエのもよくしてやるぜ…?」 言いながらムラジはすっかり自分のものを挿れてしまった身体を折り曲げ、背後からツキトのものをしっかりと握りこんだ。 「う…」 しかしツキトの性器は萎えこそすれ、とても勃ち上がるような気配はなかった。 身体全部で自分を犯してくるこの男をツキトの心は完全に拒絶していた。 「何だよぉ…ホモ君…。刈谷じゃなきゃ駄目なのかなぁ…? またむかついてきたぜ…」 「あ…? あぁッ、いやぁ――ッ!」 「ほらよっ。喰らえ…!」 「やっ、あ、ああっ!」 ムラジはツキトを喜ばせる事をあっさり諦めると、途端ぐりぐりと腰を動かし始めた。 「もっと食え! 俺のは美味いぜ、食えよオラアッ!」 「やあぁっ」 「ほらよ、もう一発!」 「あぁッ」 ツキトの中を思い切り抉るようにかき回すように、ムラジは激しく攻め弄んでくる。ツキトは気が狂わんほどの痛みと嘔吐感でただ絶叫し、やがて耐え切れなくなるとがくりと肩肘をついて畳に額を擦り付けた。 それでも止まる様子なく荒く息を切るムラジは、楽しそうに目を細めて容赦ない言葉を浴びせてくる。 「うまい、うまいぜ、テメエの中ァよ…! えらく可愛い尻だ…びくびく呻いてやがるぜ…。ひゃはっ。はははっ!」 「あ…ああ…」 「ほらよ、もっとくれてやるっ」 「やあッ!」 そして中を弄くる事に飽きると、ムラジはいよいよ上下に突き上げるように自らの性器を激しく抜き差ししてきた。 その動きは段々と早まっていった。 「フウ―ッ、フ、ハア―ッ」 「ああッ、あ、んっ、んあっ」 「ふ…いいぞ…もっと啼け…! 腰振れ…!」 「ん、んぅ…」 「堪えてんじゃねえ…! 殺されてえのかテメエ! オラッ!」 「ひっ…」 いつの間に再び手にしたのか、ムラジの手にはナイフが握られていた。 「あ……あっ、あんッ、あっ…あぁッ…」 それをちらつかされ、ツキトはぐっと息を呑むと目をつむり、ムラジの肉に奥を突き立てられる度声を出した。 「気持ちいいか、ああ…?」 「……ッ」 「いいかって聞いてんだよっ。言え!」 「気…持ち…」 「ああ? 聞こえねーんだよ、何ダァ? おらっ」 またズンと深く突き入れられ、ツキトは内臓を圧迫される感覚にげほりと咳き込んだ。それでも掠れた声で従順に答えた。 「気持ち…いい、です…」 「へ…どこがいいんだぁ…? どこでも好きに触ってやる…抉ってやるぜ…?」 「……あ」 「おら、啼け!」 「……あんっ…」 「もう一度だ!」 「……あっ、あっあっ」 「まだだっ…まだ、足り、ないぜっ? お前を、滅茶苦茶に、してやる…! 俺なしじゃいられないように…してやるぜェ…ッ!」 「…――ッ」 ムラジはツキトの身体に完全に溺れていた。 我を忘れたように腰を動かし、獣のようにツキトを犯した。そしてツキトが自分に感じない事に腹を立てると益々自棄になったように何度も中に性を吐き出しては、まだだ、まだだと挿入を繰り返した。 「あ…ああ…」 気絶しようにも、意識を失いかける度にムラジに髪の毛を掴まれ無理やり耳朶を噛まれて起こされる。知らない間に乾いていたはずの涙が頬を止め処なく流れ落ちていた。 志井さん。 もうその名前だけだった。 「志井…さん…」 今のこの地獄のような状況から自分を救ってくれる魔法の言葉。 あの人が昔くれた温もりや優しい言葉や視線が、今のツキトを救ってくれていた。 だから今だけは。 「志井さん…志井、さん……」 今だけはその名前を呼ばせて。 「あっ、あ、あっ…。志井さん…好きっ。志井さん…っ」 ツキトは全く別の男に身体を侵食されながら、ずっとその名を呼び続けた。 そうしていればこの時間もきっと過ぎ去るまで耐えていられる。生きていられる。彼は自分に全てをくれて、自分も彼に全て与えてきた。だから今のこの空っぽな身体をどうされようと、その名前さえあれば自分には。 「志井さん…!」 だからツキトは志井の名前を呼び続けた。 救いを求めるように、ただずっと。 |
To be continued… |
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