「ふんわりきらり」
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第10話 別に香坂の社長が言った事など信じてはいなかったが、光一郎は邸宅で昼食を済ませた後、何となく市街中央にまで1人で足を運んだ。専属ドライバーの藤堂は自分が車を出すと言って随分と粘ってきたが、たかだが少し街へ出るくらいで車など使いたくはない。彼の親切はありがたかったが丁重に断りを入れ、光一郎はすっかりラフな格好になって人の多い大通りを悠々と歩いた。 独りで歩くのは好きだった。 「 ん…ここか」 それに全く当てがなかったわけでもない。 光一郎は昔の記憶を頼りに邸宅から徒歩数十分程で突き当たる大きな通りを抜け、駅沿いにあるというその店に1度も迷わず辿り着いた。 「 いらっしゃいませ」 店先に並ぶ色とりどりのシクラメンを何となく眺めていると、店の奥から店員らしき青年が控え目な笑みと共にやって来た。従業員だろうか、随分と若い。いやしかし、確か義弟探しを頼んだ興信所の人間が「あの花屋は年若い青年が1人でやっている」と言っていたっけ。 とすると、この男が「ユキヤ」か。 「 何かお探しですか」 光一郎が何気ない視線しか向けてこないせいもあるだろう、雪也は何を思うでもなく、初めて見る「客」に丁寧に話し掛けた。 天気の悪かった午前中が死ぬほど暇だったというのもある。今もそれ程良くはないが、それでも少しばかり陽も出て来た。涼一が顔を見せなかった今朝は何となくいつもの調子も出なくて、雪也はここで気持ちを入れ替えようと積極的に光一郎の顔を伺った。 「 どうぞゆっくりご覧になって下さい」 「 ああ…」 光一郎はそんな雪也に曖昧に答えた後、歓待されるまま店の中へも何となく足を踏み入れた。別に花を買いに来たわけではないけれど、香坂が言っていた中心街にある「鍵」とは何となくこの場所のような気がしていたから、もう少しだけ様子を見ておきたかった。 それに。 「 ………」 店の奥へと足を進める度、光一郎はその柔らかい雰囲気にほっと心が休まる思いがした。植物に興味などない。生き物は勿論、鉢植え1つ満足に世話をした事がないのだ。 それなのに不思議だ、ここは居心地が良いと感じた。 「 ……あれは?」 そして花屋とはこういうものだろうかと思いながら尚も進んだ先に、光一郎はレジカウンター横の壁にハガキサイズのイラストが飾られているのを見つけた。 「 へえ…」 そのうちの1枚を何となく眺めていると、後からやってきた雪也が嬉しそうに言った。 「 この絵はうちのイチ押しなんです。まだ名前は知られてないですけど、これを描いたのは凄く才能のある子だから、そのうち絶対有名になります」 「 はは…花屋なのに絵の方がイチオシ?」 「 あっ…」 光一郎の指摘をもっともだと思ったのか、雪也はすぐに苦笑したが、それでもツキトの絵を宣伝したい気持ちは強かったのだろう。季節毎、それにあった花をとても綺麗に描いてくれるからうちも助かるのだと、珍しく饒舌に語り出した。 「 ……俺は絵の事はよく分からないんだけどな」 そんな雪也にやや押されたようになりながらも、光一郎はそれを嫌なものだとは思わなかった。むしろはじめに感じたような安心できるような、心落ち着くような、そんな気持ちにさせられた。 光一郎はひとしきり雪也のセールストークを聞いてやった後、ツキトの絵を幾つか買うと言った。 「 あ、ありがとうございます!」 雪也はそれを殊の外喜ぶと、今すぐ包むからといそいそとカウンターに回った。それは本当に嬉しそうな顔だった。特に他意はなかった気紛れの買い物だというのに、どうにも物凄く良い事をしたような気分になる。これなら絵だけではなく、ホンモノの花も買ってやらなければ悪いという気すらしてきてしまう。 「 ……ん」 その時だ。そんな光一郎の視界に「それなら私はどう?」とでも言うように突然色鮮やかに光彩を放ってきたような花が映った。 それは雪也がいるレジから少し離れたガラスケースに納まっていた真紅のバラだった。一体何十本あるのだろう、実に豪快なそれは何故今まで目に入らなかったのだろうという程に目立っている。それにそれがバラだというのは一目で分かるとしても、よくよく観察してみると普段見るやつとは少し花びらの形が違う。小洒落た雰囲気を纏うそれに、花の事がよく分からない光一郎でもこれが相当な品なのだろうという事は容易に想像できた。 値段も……やはり立派なものだ。 「 花もピンキリなんだな…」 「 え?」 思わず呟いた光一郎に雪也が聞きそびれたというように顔をあげた。 「 いや…。そこにあるバラ、他のものと段違いに値段が違うから」 光一郎が素直に思った事を告げると、雪也は「ああ」と納得したように頷き、それを慈しむような目で見やりながら薄っすらと笑んだ。 「 綺麗でしょう。この季節だとどうしても機嫌が悪くなる事が多い品種ですけど、その分他のバラより自己主張が強いんですよ」 「 自己主張?」 確かに先ほどそんなものを感じたような気がする。けれど実際花がそんな事をするのだろうかと訝しんでいると、そんな光一郎に雪也はやんわりと笑った。 「 花だって人間と同じですよ。またバラだけでも色々な種類がありますし…それによって性格も違います。こいつは特にバラの女王様って言われているくらいで」 「 へえ…。そう言われれば生意気そうな顔してるかな」 「 でも、そのお陰かこの花で告白するとうまくいく事が多いって。これはこのバラを育てている園の人が言ってたんですけど」 「 そんなもんかな」 生憎今の自分には告白するような人間がいないので関係ないのだが。 そう思いながらも、光一郎はなるほど人が誰かに愛を囁いたり、それ以外でも何か特別な日にこういう赤い花を買いたがるのは、自分に足りない力を補いたいが為なのかと、何やら分かったような分からないような感想をふっと抱いた。 そしてそう思った後にはもう口をついて言っていた。 「 それ…貰おうかな」 「 え?」 「 先客がある?」 驚いたような反応に光一郎は意表をつかれすぐさま聞き返したが、雪也の方はそれでハッと慌てたようになり、急いで首を振った。 「 いえ、大丈夫ですよ。先客…いた事はいたんですが…」 「 ん…?」 「 あ、でも大丈夫だと思います、本当に! そのお客さん、今日はもう来ないと仰ってましたし、明日入荷の分はもう頼んでありますから」 「 ……大丈夫なのか?」 よくよく考えればこんな豪勢な花がこんな小さな店にほいほいといつでもあるのはおかしい。そうかこれは特別な人間が注文した特別な品だったのだろう。咄嗟に悟って光一郎が自分の気紛れをすぐに撤回しようとすると、雪也もまたそれを察してすぐにかぶりを振った。 「 あの。本当に大丈夫です。すみません、変な態度取ってしまって。すぐに包みますから。何本――!」 「 危ない!」 その時、慌ててレジから出てこようとした雪也が床に置いていたダンボール箱につまずいて前のめりになった。 「 あ…っ」 「 っと…」 ほぼ2人が同時に声をあげた時には、雪也は既に光一郎の腕の中だった。 「 大丈夫か?」 「 は、はい…。すみません」 倒れそうになった雪也を咄嗟に歩み寄って支えた光一郎は、体勢を崩し自分に寄りかかる雪也をそっと見やった。同じ男なのに随分軽いなと思う。 「 すみません、本当に…」 「 ゆ、雪っ!!?」 しかしタイミングが悪いというのはこういう事を言うのだろう。 雪也が光一郎に謝って離れようとした、丁度その時だった。 「 え…?」 「 雪、お前…ッ!」 「 あ……」 背後で鳴り響いた怒声にはさすがの光一郎も面食らってすぐさま振り返った。 店の入口には光一郎よりも若干年下だろうスーツ姿の青年がいて、何やら顔を真っ赤にして憤慨していた。 「 剣さ…。あ、涼一、さん……」 次いで、雪也の驚き途惑ったような声が耳に入った。それで光一郎は再び雪也をちらと顧みて、けれどまたすぐに「涼一」と呼び直された人物へ視線を戻した。 「 雪…お前…っ」 その涼一なる人物はツカツカと歩み寄ってきたかと思うと、呼んだ相手―雪也―ではなく、光一郎の目の前にまで来てひどく殺気立った顔を向けた。 「 あんた!!」 そしていきなりぶっきらぼうに声を飛ばした。 「 え?」 突然不躾に呼ばれた事を不快に思ったものの表面的には平然としていると、涼一はそんな光一郎に更にむっとした声を上げた。 「 何してんだ、一体!!」 「 何って…」 単なる客、なんだが。 「 涼一さん!」 しかしその言葉を継ごうとする前に雪也が焦ったように光一郎から離れ、2人の間に入り込んだ。そうして控え目ながらも涼一の胸を押して光一郎と引き離そうとしながら、必死な声で説明を始めた。 「 あ、あの、すみません! 今日はもう来られないと思ったものですから…。申し訳ありません、こちらのお客様にあの花を…」 「 そんな事どうでもいい!」 けれども雪也に最後まで言わせず涼一は唾を飛ばした。ぐいと雪也の手首を掴んできっと切れ長の目を吊り上げる。 「 何してたんだ、今! こいつと!」 「 あ…だから花を…」 「 だからそれはどうでもいい!」 「 え? あの、でも…」 途惑った風の雪也に、涼一はようやくはっとして慌てて言い直した。 「 あ…いや、どうでも良くはないが…。その花を買って行くの昨日忘れちまったから…だから時間無理に見つけて来たんだけど、でも…! 今はそんな事言ってんじゃなくてだなっ!!」 「 申し訳ありません」 「 ああ何だ。あの花の…」 光一郎は何となく腑に落ちない気持ちながらも、2人の会話の断片を拾って理解したという風に口を挟んだ。 「 俺は気紛れで欲しいと言っただけだから、元の注文主が現れたのならこちらの事は気にしないでいいから」 「 え…でも」 光一郎の気遣いに雪也はほっとしたようになりながらも、済まなそうな顔をした。 するとイライラを一層募らせたような涼一が更に声をあげて「お前!」と光一郎に詰め寄った。 「 何であの花を買おうとした!?」 「 は…?」 「 この店で一番高いからか!? それで雪の気を引こうとでも思ったのか!? ていうか、お前誰だ!?」 「 ……………」 「 涼一さん!」 呆れて半分フリーズ状態の光一郎に雪也だけが困惑して声をあげる。それでも涼一は止まらない。子どものようにカリカリした顔で続けた。 「 いいか、この店を見つけたのは俺が最初だ。雪を見つけたのも俺なんだ。変な目で雪に近づいてみろ、タダじゃ―」 「 ……――ああ」 ぽんと心の中で手を叩いて、光一郎はようやくこの事態の意味が飲み込めた。 どうやらこの客・涼一はこの店の主・雪也にご執心らしい。高価なバラを買い続けているらしいが、それも全てこの雪也に近づく為。雪也自身は気づいていないようだが、だからこそこの涼一なる男は心配で堪らないのだろう。別に自分は妙な下心などがあったわけではないのだが、恋する男からしてみたら先ほどの状況は十分誤解を招くシチュエーションだったかもしれない。 「 ……用事を思い出したから帰る。邪魔した」 とすれば、ここは早々に退いた方が良いだろう。 「 え…あの、お客さん!」 「 あ、その絵は貰っておく。これ金」 光一郎は慌てて紙幣を無造作に置くと、そのまま睨みをきかせる涼一から逃げるようにして店を出た。あの雪也なる店員がこの後あの男にどんな言い掛かりをつけられるか、それが心配といえば心配なのだが、そこは本人に何とかしてもらうしかないだろう。 「 しかし…あんなの久しぶりに見た…」 半ば感心しながら光一郎はハッと息を吐いた。 誰かに執着したり、それの為に必死になったり。何というのか、ああいう熱いオーラは普段滅多にお目に掛かれない。金に対する人間の執着ならば幾らでも見られるし珍しくもないのだが、涼一が放っていた「あれ」はかなり凄い部類に入る気がする。 もしかするとこの店に入り浸っていたという義弟もあの涼一なる男に妙な勘繰りをされて追い払われてしまったのかもしれない。だからこの辺りから消えたのかも。 「 は…俺は何を…」 けれどそんな考えをふと頭に浮かべた光一郎は、そんな自身に一瞬途惑い自嘲した。 まだ見た事もない義弟の事などどうでも良いはずだった。香坂の予言とて話半分に聞いていたのだ。それなのにこうして1人手掛かりらしき場所へ来て、涼一なる激情男と義弟とを結び付けようとしている。 思った以上に自分は突然現れた…そして今は消えてしまったみなし児の義弟を気にしているようだ。 「 あの少年の消えた理由が桐野君というのは考えられますね」 「 な…」 ぎくりとして思わず仰け反ると、そこには見知らぬ青年が立っていた。 「 声…出してたか、俺…?」 不意に心を読まれたかのように考えていた先の事を言われ、光一郎は警戒するように相手をまじまじと見つめやった。 光一郎に突然声を掛けてきた人物は雪也の店と隣接した古本屋から出て来たようだった。彼もまたここの若い店主なのだろうか、しかしつっかけにはたきを持ったその姿は実年齢よりも随分と落ち着いているように見える。 彼は静かに光一郎を見つめ返すと素っ気無く言った。 「 声、出してましたよ。つい最近までこの辺りにいた少年を探しているんでしょう」 「 あ、ああ…」 「 この間も黒スーツの男たちが同じ事訊きに来ていましたから」 「 ………」 それは自分が雇った興信所の人間だろう。ただ、そうは言われても光一郎が何となく未だこの青年に警戒心を解けずにいると、相手は掛けていた眼鏡の縁を片手で直してから平然と続けた。 「 あの常連君がやらかしている事かは分からないですけど、ここ最近この店によく来る人間が何者かに目をつけられるというのは本当です。現にこの俺も妙な男どもに脅されました」 「 脅された?」 「 ええ」 「 ……何て?」 「 あの店には近づくな…というよりも、あの男には近づくなと」 「 何故」 「 さあ…。まあ俺も命は大事、なので」 とりあえずバレない程度に彼とは接してますけど。 「 桐野君となかなか食事を一緒に出来ないんで、俺も迷惑しているんですよ」 青年はそれだけを言うと店の中へと消えて行った。 「 ………」 光一郎は憮然としながらも店先に立ち尽くしたままぼんやりと今の話の意味を考えた。 そうして、癪に障る話だがどうやら香坂の社長が言っていた予言は当たりのようだと思った。 |
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