「ふんわりきらり」


第12話 



「 ………」
  困った。
  友之はテーブルの前に置かれたオレンジジュースをじっと眺めたまま、置物のようにぴくとも動かず固まっていた。
  ここは友之が大好きなあの花屋から程近い場所にある、落ち着いた雰囲気のカフェテリアだ。先刻まで昼食を摂る客で店内は相当混雑していたが、今はそれも過ぎ、大分静かな元の状態に戻ってきている。
  元の…というのは、友之がこの店に入ってきた、昼になる少し前の時間の事だ。

  うわ、めんどくさい。ねえトモ君、ちょっとここで待ってて。

  「コーヒーでも飲んで少し休憩しよう」と、目についたこの店に友之を連れ込んだ当の数馬は、しかしその場に5分もいる事なくいきなりそう言うと席を立った。
「 ど、何処行くの…?」
  驚いて自分も腰を浮かしかけた友之に対し、数馬は視線を外にやったまま「うん」と気のない返事をした。そうして自分も一緒に行くと言いかけた友之の心を素早く汲むと顔を向け、「君が来るとまた面倒な事になりそうだから」と素っ気無く拒絶の意を示した。
  そうなると友之も立ち上がりかけた腰を元の椅子に落とすしかなかった。
  数馬が言った。
「 暫くしたら戻るからここで待っててよ。ここなら…うん、そうだね。この街に入ってきた時にしたイヤな感じがしないから大丈夫。ボクはちょっと……追跡者を撒いてこないと」
「 追跡者…?」
  自分を狙うという輩が再度こちらに接近してきているのだろうか。
  友之が不安そうな目で再度口を開きかけると、数馬はまたしても心を読んだようで「違うよ」と言い、少しだけ口元を歪めた。
「 こっちの追跡者はトモ君じゃなくてボクの方。何なのかな、もう…。何でそっとしておいてくれないんだ」
「 誰なの…」
「 ん?」
「 数馬も誰かに追われてるの?」
「 そうだよ」
  数馬は言いながら、尚意識を外に向け続けた。友之には分からないけれど、数馬にはその追っ手とやらの気配を感じる事ができるのだろう。ひどく気にした様子だった。
「 お待たせしました」
「 うん」
「 わっ…?」
  けれど注文していたコーヒーを運んできた店の従業員―ツキト―が傍に来ると、数馬は立ったままその盆に乗っていたカップを摘み上げ、顔を店内に戻した。
  そして実に偉そうに言った。
「 ねえ店員さん。ボク、ちょっと出てきたいんだけど。この人、ここに置いておくから、あとよろしく」
「 は、はあ…? あ!」
  言われたツキトの方は立ったまま自分が運んできたコーヒーをがぶりとやる数馬を不審そうに見やっていたが、次いでテーブル席に座っていた友之の姿に今更気づいたようになると、ハッとして声をあげた。
  友之はそんなツキトの反応にびくんと身体を縮こまらせた。
「 何、知り合い?」
  それに数馬が驚いたように眉を上げると、友之は反射的に首を振った。
  ……知らない人だと思う。けれど向こうは明らかに自分の顔を認めて露骨な反応を見せた。
「 あ、いや…。知り合いという程の事じゃ…」
「 まあいいや! 知ってるなら尚更安心だね。じゃ、ボクはちょっと行ってくるから!」
「 数馬…?」
「 あ、え!? あの、お客さん…!?」
  しかし呆気に取られ、声を上げる友之たちには構わず、数馬は一気に空けたコーヒーカップをツキトの盆に戻すと、あっという間に店の外へと出て行ってしまった。
「 ………」
  友之はただ唖然として数馬が去っていった店の扉を見やった。
「 よ、よろしくって…?」
  ツキトもぽかんとしたまま、嵐のような数馬に最早届かない声を漏らした。

  つまり、そんなわけで。
  もうかれこれ数時間もの間、友之はこの店に放置されているのだが。

「 これ、サービス」
  ふと凝り固まった友之の頭にそう言う柔らかい声が降って来た。
  咄嗟に顔を上げると、そこには友之が店に来てからずっとカウンターで忙しそうに働いていたツキトとは別の店員―修司―がにっこり笑って立っていた。
「 友達、帰ってこないねえ。腹減っただろう? さっきまで忙しくて持って来られなかったけど。これ食いな」
「 え、でも…」
  テーブルの上に置かれたホットケーキに友之は思い切りたじろいだ。
  それもそのはず、既にここに置いてあるオレンジジュースの他にも、友之はツキトから昼の混雑に入る少し前にホットドッグを出してもらっていたし、その他何だかんだと温かい気遣いの声も掛けてもらっていた。独りきりで席に座り続ける友之が心細く見えたのかもしれない。
「 あの…」
  しかし本来ならば混雑時にテーブル席を占めている友之など厄介者以外の何ものでもないだろう。友之は肩身が狭かった。にも関わらずツキトも、そして今ここにいる修司も、友之を邪険にするどころかまるで上得意のような扱いでもてなしてくれるのだ。
  だからこそ余計に窮屈を感じ困惑してしまうのであるが。
「 僕……」
「 いいのいいの。可愛いからサービス」
「 ………」
  誉められる事でますます表情を翳らす友之を、店の主である修司は面白いものでも見つけたようにじっと見つめやった。
  すると店の奥のキッチンで作業をしていたらしいツキトがその光景に気づき、途端声を荒げた。
「 ちょっと修司さん! 何してるんですか、一体!?」
「 何って。可愛い子愛でてるだけだけど。ついでに餌付け」
「 餌付…っ。もうっ! 離れて下さい、すぐに!」
「 何だよー」
  だっとの如くテーブル席にやってくるツキトを修司は苦笑交じりで迎えた。そうして友之の頭を子どもをあやすように撫で付けると、「冷めないうちに食べな」と言い残して元のカウンター席へと戻って行った。
「 修司さん、ちょっと店が空いたからって真面目に仕事して下さいよ! すぐにこうなんだから…!」
「 すぐって、まるで俺がいつもナンパしてるみたいじゃないか。それに俺がいつもサボってるような言い方して」
「 事実でしょう!」
「 まったくカリカリすんなよなぁ。八つ当たり」
「 なっ…!」
「 あーあ、元気ないのも困りもんだけど、これはこれで面白くないねえ」
「 ……っ」
  修司のどこか含みのある言い方は友之にはさっぱり意味が分からなかったが、ツキトの方にはてき面に効果があったらしい。口をぱくぱくさせた後、どこか顔を赤くして、ツキトは何も言い返せないという風に拳を握り締め黙りこくった。
「 ………?」
  そんなツキトの姿を友之は不思議そうに見上げた。
  それからついと修司が置いてくれたホットケーキに目を落とす。ふわふわの、きつね色に焼けた二段重ねのそれは見るからに美味しそうだった。四角いバターが程よい感じに溶け、その上にかけられたたっぷりのシロップも分厚いケーキの表面にじわじわと染み広がっている。
「 あ…。それ、どうぞ食べて下さい」
  するとツキトがようやく我に返ったようになってそう言った。友之が視線をやると困ったようにちょっとだけ笑う。
「 あの人、気に入ったお客さんにこうしてご馳走するのが趣味なんですよ。変な人だけど余計にお金取ったりしないから心配しないで下さい」
「 お前に朝作ってやったやつは給料から引いておくからな」
「 なっ…!」
  カウンターからそう声を投げられたツキトはむっとして振り返ったが、先ほどの事だけでなく、今日半日自分が妙に落ち込んだり、そのせいで失敗したりして修司に迷惑を掛けたのは間違いがなかったので、諦めたように口を噤んだ。
  そんな百面相のツキトに修司は「からかい甲斐のある奴だ」と密かにほくそ笑んでいたのだが。
「 あの…」
  その時、友之が思い切ったようになり、口を開いた。
「 え?」
  それにツキトがびっくりしたようになりながらまた体勢を戻すと、友之はたどたどしい口調ながらもはっきりと言った。
「 僕のこと、知ってるんですか…?」
「 え?」
「 そんな…感じ、だったから」
「 あ…。あ、う、うん。そうなんだ。俺、ずっと、君のこと、知ってて…」
  ツキトは友之の俯きながらも発せられた声に心内で「初めてまともな言葉を聞いた」と思いながら、焦ったように口を切った。
「 あの、君、つい最近まで雪也さんの…あ、あの駅近くの花屋に来ていただろ? 俺もあそこによく行くから君の顔知ってたんだよ」
「 ………」
「 何度か声掛けようって思ったんだけど、君は気づくとすぐいなくなっていたから…」
「 何だよツキト。お前もナンパしようとしてたんじゃん。あれ〜? でも本命はあの2枚目じゃなかったのかー?」
「 も、もうっ! 煩いな修司さんは…っ!」
「 今日もあの男と痴話喧嘩でもして、それで機嫌が悪いのかと思ってたのに」
「 だから黙ってて下さいってば!!」
  真っ赤になって修司に怒鳴るツキトを友之は不思議な生物でも見るような目で眺め、それからぽつりと呟いた。
「 雪也さんて…言うんだ…」
「 え?」
「 あ…あの、お兄さん…」
「 あ、う、うん。そうだよ。凄く優しい人でさ…」
  言いかけたツキトは友之の何かを追うような視線に再び口を閉じた。恐らくは自分も慕っている雪也の面影を思い出しているのだろう。ただその目がどこか寂しそうで、ツキトは何とも言い難い気持ちに囚われた。
「 いらっしゃい」
「 ……!」
  けれど何とか声を出そうとした時、扉の開く音と修司の客を迎える声とが耳に入り、ツキトは慌てて振り返った。
「 あれ、降ってきました?」
「 ええ。折角少し日が出てきたと思っていたのに」
「 ですねえ」
  修司の声と客の声とを聞きつつ、ツキトは友之に軽く一礼してその場を離れた。今朝から志井のことで気を重くしていたが、やはり店に出てきて良かった。こうして突然の事ながらモデルにしたいと思っていた友之と再会できたし、何より余計な事を考える暇がないくらいに忙しいから。
「 コート、少し濡れてしまったんですね。すぐ乾くようにヒーターの傍に掛けておきますよ」
「 あ、ありがとう」
  店内に入ってきた客はそう言って傍に寄ってきたツキトに人の良い顔を向けた。品の良いスーツを着こなした若い男だ。志井や修司より若く見えるけれど、その立ち居振る舞いはどこぞにある立派な家の御曹子に見えた。
「 お客さん、ここらでは見ない顔だね」
  もっとも修司は別段そういう客にも臆する風がない。むしろ親しげな調子でどんどんと話し掛けていく。
「 ええ。この街に来たのは初めてです」
  そして青年の方も、そんな修司に対し当初抱いた印象と違う事のない気さくな調子で答えている。ツキトは預かったコートをハンガーに掛けながら、カウンター席に腰を下ろしたその青年の背をそっと見やった。
「 それにしてもいい店ですね。雨が降ってきたんでたまたま目にした所に入ったんですけど。この店の空気、凄く良い」
  青年は修司にコーヒーを注文すると嬉しそうにそう言った。
「 空気? へえ、そんな風に誉められたのは初めてだ」
  修司が可笑しそうに目を細めると、青年は途端困った風に言い淀んだ。
「 あ、すみません、つい。……今日は朝からこの街に入って随分疲れてしまったものだから。人探しって思ったより大変で」
「 人探し?」
  ツキトが思わず声をあげると、青年はふいと視線を寄越してにこりと笑った。それにツキトが焦って何か言い繕おうとすると、青年はそれを制するように言葉を出した。
「 弟を探しているんです」
  青年はそう言った。
  ツキトは「弟…」と言いながら、何となくテーブル席にいる友之に目をやった。友之は遠慮がちになりながらも、ゆっくりとした手つきでナイフをフォークを手にし、修司がくれたホットケーキを食べている。
  青年もツキトの視線を追うように友之の方へ目をやったが、それからまたすぐに席に向き直ると軽く肩を竦めた。
「 図体ばかりでかくて世話の焼ける弟ですよ。両親も妹もここへ来るというから僕はいいだろうと言うのに、無理やり連れて来られてしまって」
「 凄いね。家族総出で探しているんだ?」
「 将来有望な弟なもので」
  青年はそう言った後、ふっと軽く息を吐いた。
「 もしこちらに寄るような事があったら言ってやって下さい。……いや、この街にいるのなら、あいつは必ずここへ来ると思うんです。ここは落ち着く店ですから」
「 何て言えば?」
  修司が訊くと青年は再び肩を竦めた。
「 『お前の気紛れのせいで俺はいつも迷惑を被っている』って。僕は香坂和樹と言います。弟は数馬。――香坂数馬です」




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和樹兄さんはあんまし活躍しないです。一応前振り…(笑)。