「ふんわりきらり」


第17話 



  未だ嘗て見た事もない豪奢な部屋へ通されて、友之はその眩さに目をチカチカさせてしまった。
「 今夜はこちらでお休み下さい」
  黒いメイド服を着た礼儀正しい女性が友之に恭しく礼をし、去って行く。バタンと静かに閉じられた扉を半ばボー然と見やりながら、友之は所在なく部屋の中央に立ち尽くした。すぐ傍には天幕つきの、一体何人が寝るのだろうというような大きなベッドがあったが、とてもそちらへ行く気にはなれなかった。
  ここは自分の居場所ではない。
「 ………数馬」
  心細くなり、友之は思わず出来たばかりの友人の名前を口の端に乗せた。それから、先ほど去って行ったメイドに無理やり着替えさせられた、何やらふかふかの肌触りの良い寝巻きの裾をぎゅっと掴む。そもそも風呂を借りた時に1度着替えているのに、また再度の「御召し替え」だ。その過剰な待遇には友之でなくとも萎縮し狼狽するというものだった。
  あの光一郎と名乗る青年は一体何を考えているのか。「ともかくはここにいろ」と強引に事を決め、帰ると言う友之を屋敷の外へは出してくれなかった。悪い人でないのは分かる。むしろあの雨の中、ずぶ濡れになっていた汚らしい子どもに同情してくれた「良い人」なのだろう。生半可なお節介や憐れみの視線は嫌いだけれど、あの人からそういった類のものは、友之は感じていなかった。
  それでも、ここにいるのは何だか違う気がする。
  悪い気もする。
「 数馬……」
  もう一度友之は数馬の名前を呼んで、そろそろと大きなテラスのある窓際へと歩を進めた。まだ雨は降っているようだ。シトシトと静かな雨粒の音が断続的に聞こえていて、友之は暫しそれに意識を向けた。そうして大きなガラス窓にぴたりと手のひらをつけると、張り付くような格好で暗闇が満ちる外界へと目を凝らす。この屋敷の中は温かくて明るくて、およそこの窓の向こうに感じられるような不穏な空気とは無縁だ。それでも友之はどうにも居た堪れない気持ちがして、数馬を想い、ツキトを想い、そうしてあの駅前通りの花屋で毎日優しげに笑んでいた青年―雪也の事を思い浮かべた。
  そんな時がどれくらい続いただろうか。
「 ………?」
  不意に、下の方からガタガタと何かがぶつかるような音が聞こえた。友之が通された部屋は屋敷の2階で、当然の事ながら地上とは少し離れた位置にある。しかし窓の外の向こうから来たその「音」は、何やら下からごそごそと這い上がってくるような、何かを伝ってこちらへ上ってくるような、そんな気配をさせていた。
「 誰……?」
  だから思わず友之は声を上げていた。不思議と怖いという気持ちは湧かなかった。
「 ボクだよ」
  するとその友之の声に反応するように、その音の主は飄々として言った。
「 数…っ」
「 うっわ。ちょっと待って。完全に上るまで待って……っと」
  驚く友之をよそに、テラスの手摺りの向こうからにゅうっとその大きな手は現れた。そしてそれが見えたと思った次の瞬間にはその声の主…数馬は、当然のように友之の前にいた。一体どうやって上ってきたのか、別段ロープなども見えないのだが、数馬はともかくは手摺りを越え、友之がいる部屋に通じるテラスに入り込むと、パンパンと別段汚れてもいない服の埃を払う所作をした。
  ちなみに服こそ汚れてはいないが、身体はさすがにこの雨で濡れてしまっている。
「 数馬」
  慌てながら友之は、窓枠についている頑丈そうな鍵を手で開け、ガラリとそのガラス戸を押し開いた。途端びゅうっと強い風が吹いてきて柔らかい黒髪がバサバサと乱れたのだが、友之はそんな事には構わず、目の前に現れた友人の姿をただ必死に見つめやった。
「 数馬」
「 うん。来たよ」
  数馬はあっさりと応えるとにいっと意味ありげな笑みを向け、ちらと友之の背後にある部屋に視線をやった。しかし別段部屋の中に入るつもりはないのか、数馬は自身が手摺りを越えて立ち下りた場所から友之の顔を見下ろした。
「 呼んだでしょ。だから分かったんだ、ここ」
「 え?」
「 ボクの事呼んだでしょ。まるで悪い人に誘拐されちゃったみたいなオーラ発してさ」
「 ………聞こえたの?」
「 聞こえたよ」
  数馬はまたしても何でもない事のように答え、今度はきょろきょろと屋敷全体を見渡すような仕草を見せてから「凄いね」と感嘆するような声を出した。
「 何が…?」
  友之が訊くと数馬は唇の端だけで笑った。
「 薄幸少年が御伽話みたいな出来すぎたストーリー展開でハッピーな結末を迎えられそうだからさ。そのあまりのベタさに凄いな、と。……まあ、キミはあんまり気が進まないみたいだけど?」
「 何?」
「 この家の人、ボク知ってるよ。この街1番の大金持ちで、偉い人。そんな人に拾ってもらって良かったじゃん。どういう繋がり?」
「 し、知らない…」
「 知らないって事はないでしょ。ボク、一応探しちゃってたんだよ? 確かにあの店に置き去りにしたのは悪かったけど、こっちはこっちであの後色々大変でさあ…。まあ問題の敵はうまく撒いたからイイんだけど。それにしたって、急に消えられて焦ったの何のって。拡クンだってキミの帰りを待ってるだろうしさ」
「 ……僕も帰りたい」
「 ん?」
「 数馬のとこ…。あの部屋に帰りたい」
「 ……まあ、あそこはボクんちじゃなくて、拡クンちなんだけどね」
  今の台詞を聞いたら彼は大喜びするだろうなあと独りごちながら、数馬はしかし目の前の友之に突然真面目な顔を見せると言った。
「 でも、今後はどうあれさ。とりあえず今夜は、キミはここにいた方がいいと思うよ」
「 ……?」
「 ぐるぐると渦巻いてんの。この街に入った時に感じたイヤな感じが、ここへ来てどんどん大きくなってる感じなんだよ。恐らくはトモ君、キミを誘拐した奴らとも関係しているんだと思う」
「 え……」
「 正義の魔法使いとしてはさ、そういう輩は退治してこなくちゃ! っていうか、ここへ来たのはそもそもそれが目的だし。まあこんなに早く親玉に会えるとは予想してなかったけど」
「 数馬…何処行く…?」
  何やら物騒な雰囲気に友之は眉をひそめた。確かにこの街へは自分を連れ去ろうとした連中を探す為という名目で戻ってきたのだけれど、数馬が何か危ない事をするというのなら、それは止めなければと思った。犯人は気になるけれど、別にそいつらを捕まえて警察に突き出そうとか、そういう恐ろしい思考は友之にはない。数馬は自分が持っている「魔法の力」とやらを使い切る為に「そいつらをやっつける」と何やら意味不明な事を言っているが、実際友之の方は「もういい」と思っていた。
  折角出来た、数馬は大切な友達だ。怖い事はしないで欲しい。
「 ……ううん。そんな風に健気に想われてもなあ」
  友之の心を読んだのだろうか、数馬がニヤニヤしながらそんな事を言い、腕を組んだ。
「 でも、そんな心配しないでも大丈夫だって。別に斬り合い撃ち合いをしようって言うんじゃないんだから。たださ、ボクは知りたいんだよね。この街に入って凄く感じた、何ていうの、頭痛くなるくらいの物凄いパワー。これって一体何なんだろうって」
「 パワー…?」
「 魔法使いのボクでさえ、持ってない何か…かな」
「 ………」
「 大体、力のないキミだって感じたんでしょ。この街にある何かイヤな感じの空気っていうかをさ」
「 うん…」
  数馬はまた心を読んだのだろう。特に不思議がる事もなく、友之は頷いた。
  それはツキトと肩を並べて歩いていた時に感じた、「何か良くないもの」が来るという予感だった。何故何も持ち得ない自分がそのように感じたのか…それは友之自身にも分からなかったが、あの時は何だか本当に恐ろしかった。
  また、その際突然現れた「志井」というツキトの知り合いにも、友之は恐怖を感じていた。ツキトの知人なのだから大丈夫に違いないのに、何だか駆け出さずにはおれなかったのだ。
「 志井? ……うん、その名前からもボクが感じたオーラの一端を感じ取る事はできるかな」
「 数馬…?」
「 まあ、何にしろさ」
  言いながら数馬はもう一度ちらと部屋の奥を見やり、ぽんぽんと友之の頭を叩いた。
  そして続けた。
「 ボクはこれからちょっとお出掛けしてくるから。キミはあの王様のようなベッドで寝ていなよ。また来るから」
「 数馬、何処へ…?」
「 だから。ちょっとお出掛け」
「 何処へ?」
「 しっ」
  友之が迫ろうとした時、数馬が素早く人差し指を口に当てた。それに反応して友之が思わず口を閉じると、部屋の奥の扉からドンドンと激しくノックする音が聞こえた。

「 友之? 友之、どうした? 誰かいるのか?」

  扉の向こうからそう声を掛けてきたのは光一郎だった。話し声が聞こえたのだろうか。友之が焦ったように振り返りどうしようかと逡巡していると、やがてその扉は許可なく開いて光一郎が入ってきた。
「 どうしたんだ、窓なんか開けて。雨が入るだろう」
「 あ……」
「 ……何だ?」
「 あの」
  けれど友之が取り繕うようにあたふたとし、結局助けを求めるように再度テラスへ向き直った時には……。
「 数馬……?」
  あの破天荒な友人の姿はまるでふっと消えたように、その場からなくなっていた。





  アパートを飛び出した時には、この雨はまだ降っていただろうか。
「 はあ…っ」
  荒く息を継ぎながらツキトは闇雲に暗い通りを走り、細く降りしきる冷たい雨に身体を打たれて全身びしょ濡れになっていた。それほど激しい降りでもないが、長い事当たっているとさすがに凍えてくる。
  けれど部屋に戻る気はなかった。とにかくは志井を探さなければ。
「 ここ…?」
  いつの間にか、あの美術館のある公園の近くにまで来ていたようだ。夜のこの時間は本当に人気がなく、寂しい。否、それどころか何か出てきそうな不気味な雰囲気すら感じ取れる。
「 嫌だな…」
  ツキトは別段、お化けとか霊とか、そういう類のものは怖くない。ただ暗くて寂しい場所は何となく苦手だった。その重苦しい空気に包まれていると自分の胸まで押し潰されてしまいそうな気がするからだ。
「 志井さん…」
  恐る恐る、呟くようにツキトは探している相手の名を呼んだ。
  こんな声量では相手が遠くにいた場合、とても聞き取れないだろう。しかし静かな夜の通りで大声を出すのは憚られるし、かと言って黙ったまま走り続けるのも意味はないように思われて、ツキトはもう一度遠慮がちに口を開いた。
「 志井さん…いるの…?」
  するとちょうどそれに反応するように、公園内の奥の方で小さな茂みがガサリと揺れたように見えた。一瞬、びくりと肩を揺らしてツキトはその音に後ずさりしたのだが、はたと思い直してもう一度、今度は目を凝らしてそちらを見やりながら声を出した。
「 いるの、志井さん…?」
  茂みがガサガサと揺れた。
  それはツキトの問いかけに確実に呼応したような動きだった。
「 志井さんっ」
  猛烈に逸る気持ちを覚えながら、ツキトはだっとそちらへ駆け寄ると、そこから現れるだろう目的の人物の顔を思い描いた。良かった割とすぐに見つかって。もういいから部屋に戻ろうと、ツキトは志井を認めたらすぐにそう言うつもりだった。
  けれど。
「 ぐ……ッ!?」
「 ………ククク」
「 ん、んぐーっ!?」
「 静かにしろっ。……ひひ、しめたしめた。まさかエモノの方から来てくれるとはなぁ…」
  いきなり口を封じられた。
「 ん、んっ」
「 暴れるな」
  複数いるうちの1番背の低い男が鬱陶しそうにそう言った。その隣には小太りの、何やら憔悴した感のある男が小男に媚びるようにして揉み手している。またツキトを背後から羽交い絞めにし、口を封じているのはかなり上背のある大男だった。計3人。
「 助かりましたね。あの恐ろしい男もうまく撒けたようで」
  小太りの男が言った。
「 夕方失敗した時は今日も駄目かと思いましたが。いやはや良かった! 姐さんはもうこちらに到着されているそうですから!」
「 まずいな…。おい、ブービー!」
「 ん」
  小太りの男に応えるように、小男は「ブービー」と呼んだ大男に向かって吐き捨てるように言い放った。
「 ガキ、逃がすなよ。しっかり縛って口塞いどけ。あの邪魔な男が来る前にこいつ捨ててこねえと…!」
「 分かった」
「 ………っ」
  一体何が起きているのか、ツキトにはさっぱり分からなかった。




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