「ふんわりきらり」
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第18話 誰かいたのかという問いに、目の前の少年―友之はただ力なく首を横に振るだけだった。 「 じゃあ何で窓を開けた?」 「 ………」 光一郎の再度の質問にも同じように首を動かすだけ。 これでは返答になっていない。 「 ふう…」 あまりの反応の鈍さに光一郎はついあからさまなため息を吐いてしまった。 疲れる。 「 ………」 それでも何故か「ああそう」とすぐに部屋を出て行く気にはなれない。光一郎は未だちらちらと不安そうに窓の外へ目をやる友之の顔を実にまじまじと観察した。 どう見ても自分と血が繋がっているようには思えない。共通点といえば目と髪の毛が黒いという事くらいで、あとは全てにおいて対照的な気がした。恐らくは、「もしかして弟かもしれない」という疑いさえなければ一生関わる事なく違う人生を歩んでいた、自ら好んで近づこうとは思わないだろう、そんな類の子どもだ。むしろ今とて、向こうはこちらのお家事情など何を知らないようなのだから、このまま知らぬフリを決め込んでもいいのだ。他の親族連中に気づかれては厄介だが、そのくらいの問題は後でどうとでも出来るだろう。 しかし。 「 ……あのな」 しかしそこまで思っているにも関わらず、光一郎はこの友之という少年をどうしても捨て置く事ができなかった。母親を亡くしたばかりだからとか、名ばかりの親戚に邪険にされている不憫な子どもだからとか、そういう理由ではない、別の何か。 雨の中、一人で切羽詰まったような顔をしていたから? その時の表情がどうにも気に掛かったから? 色々と考えてみるが、しっくりとくる答えはすぐに出そうになかった。 「 使いの者を出した事はさっき言っただろ。友達にはお前がここにいる事はきちんと伝わったさ」 「 ………」 そういう事じゃないんだがな…というのは、その時こちらを見上げてきた双眸ですぐに分かった。 光一郎は微かに眉をひそめ、そんな顔をして見せた相手の事をじっと自分も見下ろした。 「 じゃあ何が気になる?」 「 ………友達のこと」 「 だから―」 「 外に出ていいですか」 「 は?」 突然割舌良くそんな事を言い出すものだから、光一郎は半ばぽかんとして後の言葉を出しそびれた。 するとその当人…友之は、今までぴくりとも動かしていなかった身体を揺らし、もう一度窓の外へ目をやりながら繰り返した。 「 外に……出たい」 「 ……何を言ってるんだ。今、何時だと思ってるんだ? しかもこの雨の中を……」 「 いつも夜でも外にいたし…。雨も、平気だから」 「 ………」 「 慣れているから」 「 それでも駄目だ」 きっぱりとした口調で光一郎は即答した。そうして強く言い含めるようなやや厳しい眼を向けると、それをされた友之の方は途端ぎくりとして一歩後ずさった。さっと青褪めたその表情からは、あからさまな怯えが見てとれた。 「 おい…」 何だそりゃ。別に取って食おうってわけじゃないだろ。 「 ……駄目だと言っても勝手に出て行きそうだな。来い」 「 え…」 「 俺の部屋だ」 腹の底の方で何かがぐらぐらと煮え立つのを感じ、光一郎はぐいと友之の手首を掴むとそのまま引っ張るようにして歩き出した。視界の隅に相手のより硬化したような顔が見えたけれど、だからといってここでこの手を放してしまえば、この孤児は何の躊躇いもなく自分の元からいなくなるだろうと思った。 それは殆ど確信と言っても良いものだ。 「 何が気になるのか知らないが、お前みたいな子どもをこんな時間に外へ出すわけにはいかないな。特に最近はこの辺りも色々と物騒―」 「 子どもじゃ…」 「 え?」 「 子どもじゃ、ない…」 「 ………」 押し殺すように発した友之のその台詞に光一郎は思わず足を止めた。もうあと数歩で扉の前だったというのに。 「 ……子どもじゃない」 「 ………」 立ち止まった光一郎に友之は再度そう言い、ここで初めてキッとした目を向けてきた。驚いた、こんな顔も出来るのかとこんな時だけれど感心してしまうほどの、それは力ある視線だった。 「 友達が、危ない事しようとしてる、から…」 「 危ない事?」 「 だから僕も助けに行きたい」 「 危ない事ってのは何だ」 「 ……っ」 努めて声を荒げないようにしたつもりなのに、友之には光一郎が凄んでいるようにしか見えないらしい。驚きと怯えで反射的に捕まれていた手を振り解こうともがいていたが、生憎光一郎は友之のそんな些細な抵抗ではびくりともしなかった。 その手を放す気はなかった。 「 ちゃんと分かるように説明しろ。もし何かまずい事なら協力してやるから。何かあるのか?」 「 ……どうして」 「 何だ」 「 どうしてそんな……放っておいてくれればいい…」 「 ………」 「 あっ…」 言い方が悪かったというように声をあげた友之を光一郎は冷めた目で見やった。 自分にだって分からないのだ。それをズバリ問われるというのは、やはり気分の良いものではない。 「 大体、訊いているのは俺だ……」 「 え……?」 「 何でもない」 煩わしそうに光一郎はかぶりを振り、再度ハアと深い深いため息をついた。この少年と会話するのは何と骨の折れる作業なのだろうか。口を開くのは遅いし、発してくる言葉はマイペースで要領を得ないし。 こちらの言う事は最後まで聞かないし。 「 何だって俺は……」 それでもどうしても、光一郎は細く頼りないこの手首を開放してやる気が起きなかった。弱いくせに「放っておいてくれればいい」なんて生意気な台詞を吐く、雨の中何としても外に出たいと言い張る意外に頑固なこの少年を。 何故か離せない。 ( まったく面倒な事になった……) 拘束されたまま、ただオロオロと俯く友之の頭のてっぺんを眺めながら、光一郎は今度は相手に聞こえないくらいのため息を吐いた。 涼一は不機嫌だった。 本来雨は嫌いではないのだけれど、今日のこの気分でいつまでもだらだら降り続かれると心底許せない気持ちになる。今は夜も遅い時間だから周囲に人の姿はないが、もし近くに誰かがいたら絶対その人間に八つ当たりしている自信があった。 「 ちくしょう、あの腐れジジイ! 人を馬車馬のように働かせやがって!」 傘を差すのも面倒で、涼一は悪態をつきながら小雨の降る駅前通りを実に荒い足取りで歩いていた。 何かもにムカムカしていた。 大学を卒業してすぐに、涼一は口の悪い親族連中から「早く一人前になる為」と称して実に様々な仕事(=雑用)を押し付けられた。基本的に一族の商売を手伝う事は嫌いではないし、こうした下積み作業も自分の将来を考えれば全て必要な事だ。分かっている。むしろこうした事をきっちりやらせてくれる身内に本当ならば深く感謝すべきなのだ、その事もよく分かっている。最初の「修行場」をこの街にと言われた時は、幾ら交易の重要ポイントで人の入りが多いとはいえ、こんな治安の悪い埃臭い場所をよくも選んでくれたものだと悪態もついた。 けれど。 けれど今では、その「幸運」に飛び上がりたいくらいの気持ちでいる。だから親族には感謝している。 分かって、いるのだ。 そう、涼一のイラつきの原因は毎日己を拘束する身内ではない。この街がくれたあの奇跡、涼一にとって経験したこともない苛立ちをくれた奇跡の青年のせいなのだ。 「 雪のやつ……」 涼一は苦虫を噛み潰したような顔をしてその青年の名を口の端に乗せた。 毎日疲れている時に雪也の事を思い出すと、涼一は自分の心がいつでもふんわりと癒されるのを感じて自然頬を緩めた。雪也という小さな花屋の店員は実に綺麗に笑う。それが大好きで、いつの間にか惹かれて魅かれてどうしようもなくなっていて、どうやったら近しくなれるのだろうと毎日思い悩んでいた。 その想いがようやく叶って、相手もこちらの気持ちを受けとめてくれたと思った……のに。 「 雪のやつめ…」 こんな事は1度としてなかった。涼一がちょっとでも「いいな」と思った相手は必ず向こうもその倍くらいの想いで涼一の事を好きになったし、その気持ちを惜しげもなく全面に押し出してきた。涼一は自分という人間が周囲より全てにおいて優れている事を知っていた。だから今回ばかりは少し調子が狂って時間も掛かったけれど、こちらが好意を見せてやったのだから、雪也も当然自分の事を好きになっただろうと考えていた。 それなのに。 「 ん……」 目的の場所に着き、涼一は急かすように動かしていた足をぴたりと止めて顔を上げた。 雪也の店。 「 電気…ついてるな…」 店のシャッターは半分以上下りていたが、誰か来ているのだろうか、店の明りがついていて、雪也もそこにいるのだろう事はすぐに分かった。涼一は軽く拳を握りしめながら、さてどうやって入って行こうかと今更ながらに考えた。昼間はつい感情的になって怒ったまま立ち去ってしまったが、自分からどうにかしなければ雪也との関係がこれで終わってしまうのは確実だった。 ( あいつは俺の事なんか何とも思ってなかったんだからな……) 今まで経験した事のないその許し難い事実に、涼一は再びぎりと歯軋りした。 そして更に一歩を踏み出そうとする。 「 ………う」 しかし何故か………動けない。 店のすぐ前にまで来ているのに、涼一はその直前で石のように固まってしまった。 ある1つの考えがぱっと脳裏を過ぎった。 もし雪が怒っていたらどうしよう? 「 一方的にキレたしな……」 子どものように駄々をこね、創という隣人の存在が面白くなくて、何の話もせず逃げ出すように背を向けたのだ。今更、しかもまたこんな非常識な時間に訪ねて、呆れられたらどうしよう? 「 さすがのあいつも…怒ったりするんだろうな…」 そんな想像をして涼一はらしくもなくぶるりと背中を震わせてしまった。涼一が知っている桐野雪也という青年はいつでも柔らかく笑んでいて、優しい口調で語りかける、そんな物腰の静かな人物である。 けれど、所詮それだけだ。自分なりのネットワークも使って雪也の事はそれなりに調べもしたが、この街に来るまでの事まではさすがに探ってはいないし、その生い立ちも知らない。雪也がどんな風に育って、どんな風な事を考え、生きてきて。 ここで花を売ってきたのか。 ( それに俺の事だって…雪は何も知らないんだよな) 思えば毎日この店に来ても、途惑いや焦り、緊張が先に立ってまともな会話とてした事がないのだ。それなのにあんな都合の良い「急展開」になどなるはずがない。よく考えずとも、雪也がすぐに自分の要求に応えるわけがなかったのだ。雪也は今まで軽い気持ちで付き合ってきた相手とは違う。絶対的に違うのだ。 「 はあ……」 そこまで結論を出して納得し、涼一は彼をよく知る人物などが見たらきっとぎょっとしてしまうだろう、実に情けない顔をして嘆息した。 「 ゆ……」 けれどこうしていても仕方がない、そう思い切って涼一がシャッターを叩こうとしたその時だった。 「 か、母さ…!? 何…言ってるんだよ…!?」 突然店内から雪也の驚愕に満ちた声が響いてきた。 「 雪…?」 それに意表をつかれ、涼一も浮かしかけた手を止めた。ひどく緊迫した声だったが、何かあったのだろうか。 ( 母親が来てるのか? 確か一緒には住んでなかったよな) 親がいるのなら尚更入っていくのは躊躇われるなと、涼一は一人店の前に佇んだまま、中の様子も暫し忘れて腕組をした。別段、自分の雪也への想いを誰に隠そうとも思わないが、さすがに母親は驚くだろう。可愛過ぎる1人息子を取られてしまう、しかも同じ男にとなったら。 「 何をって、当然の事を言ってるだけでしょうがアタシは。折角選ぶならもっとマシなのを選べと言ってるのよ」 「 ……?」 しかし涼一の手前勝手な思考は、店の中から聞こえてきた酷く冷たい声によってぴたりと止まった。 女性にしてはいやにドスの利いた迫力ある声だ。いや、それ以前に雪也の母親としてイメージしていたものとは違い過ぎるような気がする。 「 母さん…」 けれど雪也はそう言っている。ならやはり今の声は雪也の母親のものかと、涼一はどうでも良いと思いながらも多少落胆した気持ちを抱いた。 「 こんなチンケな店でいつまでぐだぐだオママゴトでもないでしょ」 外で他人が自分たち母子の会話を聞いている事も知らず、その何やら悪どい声は続いた。 「 まあ、調べてみたら? 案の上色んな男吸い寄せまくりだから、さすが我が息子とは思っていたんだけどねえ。これがまあ、ロクでもないのばっかりじゃないの。金ない、家ない、地位もない、じゃあね」 「 母さん、それよりさっきの事は…!」 「 そういえばこの街って、北川のお坊ちゃんが住んでるんじゃなかった? 北川グループのさ。ああいうのに唾つけなさいっていうのよ、ああいうのにね。売れない絵描きだのホームレスの子どもだの、うだつのあがらない古本屋だの。駄目なのばっか。もう呆れるわよ」 「 だからあの子を攫わせたの!?」 「 煩いわねえ、何よ大声出して」 雪也の興奮したような声に涼一は驚きで目を丸くした。会話の内容というよりも、雪也の混乱しきったた様子に未だ動きが取れなかった。 しかし当の雪也もそれどころではないらしい。 「 母さん!」 ゼエと息を乱しながら、対照的に悠々としているだろう母親に再度迫っている。 「 答えてよ母さんっ!」 「 攫う、だなんて人聞き悪いわよ。……ま、ちょこっと可愛い顔してたから? アタシが面倒見てあげようかなあとは思ったけど。……でもあのバカトリオから全然連絡がないのよね。捨てる前に一旦は連れて来いって言っておいたってのに……ったく」 「 か………」 ( 何か…結構ヤバイ話になってんのか?) ボー然とした雪也の声に何やら不穏なものを感じた涼一は、しかしその会話よりも何よりも、やはり「驚く雪の顔ってどんなんだろう」などという事の方が気になっていた。 |
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