「ふんわりきらり」


第22話 



「 桐野君。こんな時間に何処へ行くんだい」
「 あ…創っ」
  慌てて店を飛び出たせいか、雪也は中途で止まっていたシャッターに思い切り背中をぶつけてしまった。そのせいで辺りにガシャンと大きな音が響き渡り、隣人の創が何事かと2階から顔を出したのだ。
「 創!」
「 どうしたの。何かあったの」
「 う、うん…あの! えっと、創は大丈夫?」
「 は?」
  しろどもどろながらこちらを見上げてそう言う雪也に、創は苦く笑いながら窓越し微かに首をかしげた。
  しかし雪也の後を追って店を出て来た人物には、創は珍しく驚いたような顔をした。こんな時間にいるとは思わなかったのだろう。
「 お客さん、来てたんだ?」
「 あ…いや…」
「 俺は客じゃねえよ!」
  また、こちらはこちらで創の存在はとことん面白くないらしい。彼が雪也と話しているのを目撃した事で、その人物―剣涼一―はあからさまに不機嫌な顔をして階上の創を睨みつけた。
「 何で出てきてんだよ」
「 音がしたからね」
「 いつもそうやって雪の家を監視してるんじゃないだろうな」
「 おいおい……」
  参ったねと口元だけで呟き、創は自分に殺気立った目を向ける相手から逃れるように一瞬視線を別の所へ向けた。ただ焦った風の雪也の事はやはり気になるのか、創はとりあえず涼一を無視する事に決めて、目線をその雪也の下へだけ落とした。
「 桐野君、俺は大丈夫だよ? 不健康な生活送ってはいるけどさ。今のところ問題ない」
「 そ、そうじゃなくて…」
  ごくりと息を呑んだ後、雪也は恐る恐るという風に創に問い質した。
「 その…。最近、ヘンな人たちに脅されたりとかしていない? 何か…暴力振るわれたり、とか…」
「 ………」
  雪也のその言葉に創はすっと目を細めた。それから無視しようと決めたはずの涼一をちらと見て、「違うよね?」と訊いた。
「 あ? 何だよ」
「 君があの人たちを差し向けたわけじゃないだろ?」
「 当たり前だ! って、お前! 今日のあの発言は、俺を疑ってたのか!?」
「 ちょっとだけ」
  全く悪気のない顔を向けて創は軽く笑うと、雪也には別段何でもない事のように答えた。
「 うん。まあヘンな人たちは来たよ。でも何でもない、何もされていないよ。ああいう輩を撃退する方法はそれなりに心得ているからね」
「 で、でも…」
  やはり母が遣ったヤクザな連中は創の所へも来ていたのか。さっと青くなり雪也は居た堪れずに俯いた。一体何という事をしてくれたのだろう。創にもツキトにも、とにかく全ての人に顔向けできない。
「 雪」
  しかしそうやって落ち込む雪也に、傍にいた涼一が心配したようにその肩を抱いて言った。
「 雪、別にお前のせいじゃないんだからそんな気にするなよ。あいつを見てみろ、全然全く無事じゃねえかよ。むしろあのババア、どんな無能に命令してんだ? 俺だったらもっとうまくやったっつーの」
「 ……君を少しでも疑った事、謝らないからね」
  創は心底呆れた風に言い放った後、改めて項垂れる雪也に優しい声を掛けた。
「 本当に気にしないでいいよ桐野君。…でも、やっぱりあの連中って君に関係のある人がやってた事なんだね。一体誰…と、訊きたいところだけど、今はそれどころではないのかな。俺以外にも被害者がいるって事なんだろう?」
「 そ、そうなんだ…っ。俺…」

  早くツキトの所へ向かわなければ。

  がばりと顔を上げ、雪也はもう一度創に謝ると急いで夜の道を走り始めた。涼一が慌ててそれに続く。
「 待てよ雪!」
  涼一は自分ではない誰かが「雪也と近しい者」としてこの町を追放されようとした事、更に自分がその候補者に入っていなかった事に先刻まで大層憤っていた……が、今は当の雪也が自分を見ようとせずに、その「被害にあった者たち」にばかり意識を向けている事が面白くないようだった。
「 雪っ、待てよ待てって! お前がそんな行く事ないだろ? ババアに行かせろよー!!」
  夜の闇で雪也を追いかける涼一の怒号は、そうして暫くの間その場に留まる創の耳にもじんじんと響き渡った。
「 やれやれ」
  窓辺で頬杖をつき、創はそんな2人の去った方向を見やりながら1つため息をついた。
  そしてその後、無人になったはずの店内から何かを割るような派手な音がした事で、創は自分がこの場に残った事後々までをひどく後悔するのだった。





「 あれ? あのオーラが動き出した!」
  時をほぼ同じくして、数馬が不意に驚いたような声をあげた。不審な顔で眉をひそめる志井をよそに、数馬は背後の和樹を振り返って「今の分かった?」などと訊く。
「 俺には詳しくは分からないよ。でも確かに…何かが来る気配はするな」
「 気配なんてもんじゃないよ。すごい、これだよボクが感じてたヘンなびりびりくるやつは! 今度は間違いない」
「 行くのか?」
  珍しく興奮しているような弟の様子に和樹は面白そうな目を向けた。
  その視線を全部素通りして数馬は頷いた。
「 うん、多分ほっといてもこっちの方には来そうだけど。行ってみるよ。町の方にちょっと戻っちゃうのかな。和樹兄さんはどうするの」
「 俺は何処にも行かないよ。ここが丁度中心点だ。ここでじっとして事が終わるのを待ってる」
「 保守的だなあ」
「 こういう事では」
  厭味っぽく言う数馬を軽い笑いで受け流し、和樹はその後おもむろに志井の方へと視線を向けた。彼は自分から視線の逸れた数馬に正直ほっとした想いでいるらしい。今は先刻から目をつけていたのか、公園奥にある雑木林の方に意識を向けている。
  和樹も数馬ほどではないにしろ、他人の感情や想いには敏感だ。だからこの志井という男がどれほどその「ツキト」という少年を気にしているのかはこうして対峙しただけでもう十分に分かったし、弟の数馬がが無意識下で思っているように、やはりそういう感情を持てるこの男を少しだけ羨ましいと感じた。
「 ボク行くよ! それじゃあね!」
「 ああ」
  だから数馬がそんな志井にはもう構わず急いで去って行くのを見届けると、和樹は自分もさっと今いる場所を空けるような素振りを見せた。いつもの人好きのする笑みも向けて。
「 前を塞いでしまってすみませんでした。見ての通り、弟は貴方から貴方のオーラを奪い取る気はないみたいなので、先を急ぐならどうぞ」
「 オーラ…?」
「 僕たち一族が持つ力を弟は酷く嫌悪しているんです。それを消す為には、特殊なオーラを持つ人間の感情を盗み切る…それはその者の持つオーラそのものを消す事ですが…そうする事が必要なのです」
「 ………どうでもいいが、俺は行く。あんたらがツキトの事を知らないというのなら―」
  和樹の意味不明な言葉が志井には頭のおかしな人間の戯言に聞こえたのだろう。もう関わりたくないとばかりに、志井は先刻まで止めてしまっていた身体を動かし、公園へと向かい走って行こうとした。
  しかし丁度その時。
「 ……?」
  急に明るいライトがぐんぐんと2人のいる場所にまで迫ってきて、それを運んできた一台の車が激しいエンジン音と共に傍に停まった。突然視界を襲ったその眩しい光に志井が目を細め、和樹がやや足を後退させると、程なく車から運転手らしい太めの男が顔を出した。ややあってから、後部座席に乗っていた人物もドアを開けて外へ降りてくる。
「 ああ、この辺りだと思うんですけど! すみません、そこの方々!」
  最初にそうやって志井たちに話しかけてきたのは一番に車を降りてきた太めの男だ。随分と慌てた様子で、きょろきょろと辺りを見回しながら別段走ってきたわけでもないのにハアハアと息を乱している。
「 すみません、この辺りにこのくらいの少年が走って来ませんでしたかね。その先にあるアパートの子なんですが」
「 何…?」
  志井が咄嗟に反応するのを和樹はちらりと見やりながら自分が先に口を開いた。
「 その子がどうかしたんですか」
「 いやっ…。どうかって事はないんですけど、何か人を探してこんな暗い方を走って行ってしまったもんだから、凄く気になってしまって! ええと、そこにいる社長のお客さんのお友達でもありますし、そのう…!」
「 あれ」
  和樹が男の言葉と共に後部座席の方を見やると、後から降りてきた男に止められているのか、出たいのに外へ出られないと言った表情の少年ともろに目があった。
「 君、あのカフェにいた子だね」
「 ………」
  和樹の言葉にその車内の人物―友之―は微かに瞳を燻らせたが、その動きだけでは和樹の事を認識しているのか否かは分からなかった。ただ、今は車から出たい一心なのだろう、ドアの前に立ち塞がる青年―光一郎―の腕を必死に掴んで揺らしている。
  光一郎はそんなものではびくりとも動かなかったのだが。
「 貴方は……? こいつの知り合いですか」
  それよりも和樹が友之を知っていた事の方が気になったのだろう、背後でじたじたと動く当人を押し隠しながら、光一郎は思い切り不審の目で和樹の事を見やった。
  和樹は笑った。数馬は行ってしまったけれど、この男のオーラでも良いのではないか……そう思ったのだ。
「 知り合いというほどの事ではありません。今日立ち寄ったカフェでお見かけしたんです。…君、あそこで働いている子の友達なんだろう?」
「 あんた達みんなツキトの知り合いか」
  これには志井がいよいよ訳が分からないという風に声をあげたが、訊かれた友之の方はやはり何も発しなかった。
「 とにかく、私はもう少し奥を探してきます!」
  そうこうしているうちに藤堂がわたわたと言いながら1番に走り出した。それで志井もいい加減こうしていても埒が明かないと思ったのか、自分も友之たちの事を気にしつつ藤堂と同じ方向へ走って行った。
「 僕も行きたい」
  すると人が減った事でやっと声を出す気になったのか、友之が言った。 
「 探さないと…っ」
「 ……1人で勝手に走り出すなよ?」
  きっとどうあがいても言う事はきかないと悟っているのだろう、光一郎は実に渋々とした様子でずっと押さえつけていた友之の手を離した。
「 ……っ」
  途端、友之は物凄い勢いで車を飛び降り、先刻藤堂たちが去っていった方向へ一目散に駆けて行ってしまった。それはまるで鎖を解かれた仔犬のようだった。
「 ……あいつは人の話を全く聞いてないのか」
  もっとも、こうなる事を大方は予想していたのか、光一郎はそんな友之の背中を呆れたように見やりながらも、すぐに後を追って行こうとはしなかった。それよりも未だ独りその場にいる和樹の事を改めて見やり……。
「 あ…」
  光一郎はたちまち驚いたように目を見開いた。
「 すみません、もしかして…。和樹さん、ですか?」
「 お久しぶりです、光一郎さん」
  あっさりと自分を認識する和樹に光一郎はらしくもなく慌てた。以前にも何度か会っているし、向こうからは「堅苦しいのはなしにして、友達になって下さいね」などと親しげな言葉も掛けてもらっていたのに。
「 いや……すぐに気づかなくて申し訳ありません。社長とは昨日お会いしたばかりなのですが、貴方は社の方にいると伺っていたもので…」
「 そのはずだったんですが、狩り出されちゃったんですよ。世話の焼ける弟です」
「 ああ…家出されたとか…。でも、何故こんな時間にこんな所に?」
「 いや何となく成り行きで」
  和樹は自分でも分からないという風にかぶりを振った後、また元の穏やかに顔に戻ってただ笑った。
「 ただ、これで星は皆集まったようなので、直に終わるでしょう。僕はここで傍観していますよ。ここに立って事が終わるのを待っています」




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