「ふんわりきらり」


第26話



  香坂の血筋を引く者は生まれつき他人の心が読める能力を有していたが、その中でも数馬はまた別格だった。一族の大半の者は年を取る毎にその力を弱めていくのに、数馬だけは成長した分だけその能力を増していく。本人が望む望まないとに関わらず顔を見ただけで相手の考えが事細かに分かったし、それどころか当人が気づいていない心の奥底の本心まで見えてしまう事があった。
  けれども傍から見れば「何とも羨ましい!」と絶賛されるその力も数馬にしてみれば迷惑極まりない話で、恐らくはその力の影響で彼は年中酷い頭痛と不快な気持ちとに苛まれていた。
「 人の心なんて読めても何もいい事ない。そもそも人なんかに全く関心ない。感情が流れこんでくると無駄に重いし気持ち悪いし。イライラする」
  一旦意識を集中させて外界と己との間に壁を作れば、一時的にはその苦痛からも逃れる事は出来る。けれどそれでもふとした瞬間に見えてしまう他人の感情は、いつでも汚くてつまらなくて、とてもくだらないものに思えた。だから、普段より表情にこそ出さなかったが、数馬は10代の身空にしてそんな己の厄介な体質にほとほと疲れ果てていた。
  家族が過剰な期待を寄せている事にもウンザリだった。
「 ボクはね、みんなみたいに人類救済計画とか、そういうの興味ないから」
  企業家というよりはどちらかといえば研究肌の祖父は、本気なのか冗談か、しょっちゅう「人を優しくする良薬」を作るのだと日々研鑽を怠らない変わり者だった。そしてその息子―つまり数馬の父であるが―は、そんな祖父ら研究チームが開発した特効薬を効果的に売り出す事に掛けて常に天才的な手腕を発揮した。数馬の兄である和樹もその父の後を継いで現在の会社に納まる事に何の疑問も抱いていないようで、実に従順に一族に仕えている。母と妹は…よく分からないが、とにかくそんな男たちに協力的である事は間違いない。
「 ボクは、そういうの興味ないの。会社とか手伝う気なし。っていうか、今のボクにそんな心の余裕はなし!」
  大人になれば皆と同じように弱まると思っていた力が日を追って強くなるのが分かる。数馬は焦っていた。このまま理不尽な圧迫にやられて爆発してしまうんではないか……そんな危機感すら抱いていた。そんな時に将来の話だうちの会社がどうだなんて話を聞いてなどいられない。
  数馬はキレた。現代の高校生よろしく、表立って暴れたり何だりという事はしなかったが、すっかり据わった眼になって、祖父や父に「このままじゃボク、おかしくなるかもね」と暗に脅しをかけた。だから、お前たちもいつまでも呑気に俺の力が羨ましいとか貴重だなんて言っていないで、どうしたら俺のこの血を薄める事が出来るか、何か方法を知っているのなら教えろ、と。勿論、表面的には「穏やかに」だが、数馬は何度とな彼らにくしつこく食い下がった。何とかこの頭痛から解放されたい。煩わしいこの空気から自由になりたい、と。
「 それなら正義のヒーローになるしかないな」
  そんな時、ぽつりとそう呟いたのが数馬の祖父・昴馬である。彼は思い切り胡散臭そうな顔を向ける数馬に対し、いつものように研究用の試験管を振りながらそ知らぬ調子で後を続けた。
「 お前、テレビを見ないのか。大抵の話じゃな、力のある正義のヒーローは悪い奴と全力で戦って完全燃焼したら、その後は力を持たない普通の人間に戻るって相場が決まってるんだ」
「 何それ」
「 平和な世に、過剰な力は無用だからな」
「 ……意味分からない」
  数馬が不機嫌な顔をしてむくれると、後にその一連の会話を聞いた父は「結局はお前のその無理解が原因だと思うが」と笑いながらその話についての補足をした。
「 あのな、数馬。力を使い切るって言うのは、この場合は実際に殴ったり蹴ったりするような事じゃないぞ。私たちの力はそういう事では減ったりしない。私も含めた一族連中の力が年を取る毎に徐々に弱まっていくのは、彼らが多くの人と接していく事で人間らしい感情に塗れ、自身もそれを持ち合わせるようになるからだ。人を知る、人と関わるというのは相当なエネルギーが要るものなんだ。だからな…お前もそういう人間になろうと望めば、少しはその血も薄まるさ」
  その時の数馬は父のその話も今イチよくは分からなかった。
  そもそも人間らしい感情というのが腑に落ちない。自分はどちらかといえば喜怒哀楽も豊かな方だし、内心でどんなに面倒だと思っていても、人当たり良く大抵の者ともうまく「無難に」付き合える。これ以上何をどう接して人間臭くなれば良いというのだ。全く納得がいかない。それに祖父の言による「悪い奴と戦う」というのも、一体それはどれくらい「悪い奴」なのかが分からなかった。正直、嫌な奴はたくさんいても自分が想像するような「悪い奴」と早々出会えるわけもなし、よしんば見つかったとしてもその後どうすれば良いのかがやはり分からなかった。
  何だか単にバカにされてはぐらかされたようで、数馬は一通り考えを巡らせた後はどうにも無性に腹が立ち、家にいるのが嫌になった。
  それで数馬はプチ家出を敢行した。
  学友である沢海拡のアパートに転がりこむ事は家を出る前から既に勝手に計画していて、案の定人の良い彼は何だかだと文句を言いつつも数馬が居候する事を認めてくれた。沢海は融通の聞かない堅物な奴ではあるが、傍にいても「気持ち悪くならない」稀少価値的人間だった。何しろ単純で分かりやすいのがいい。時折彼のぐるぐると渦巻く粘着質的な感情には「?」となる事もあったが、別段大親友というわけでもなし、特別に気にもならない。とりあえず何となく付き合うにはちょうど良い相手だし、暫く部屋に置いてもらえるなら何でも良かった。

  そんな日々がどれほど経ったのだろう。
  友之が数馬の目の前に現れたのはそんな退屈で憂鬱な日常に慣れ始めた頃だった。

「 何この子」
  他人と話をするのが苦手というのはニ、三言葉を交わしてすぐに分かった。
  しかし不可解なのは、それよりも何よりも彼の心の奥である。
( 分からん……)
  以前から己の思考を内からも必死にコーティングして頑なに隠そうとするような屈折した人間には会った事がある。しかしこの友之はそういう感じがしないのに、実際何を考えているのか非常に見えにくい少年だった。全く見えないというわけではない。本人に隠す気はないようだし、どちらかといえば…否、かなりもって素直な部類に入る。それなのに心の奥底があまりにぼやけていて、もやもやしていて、それでいて非常に気になる光を放っていたのだ。
( 自分でも自分の事がよく分かってないんじゃないかなー、コイツ)
  心の中で首を捻りながら、数馬は自分の傍で何やら必死にパンをかじったり必死に街での事を話そうとしたり、必死に好きな花屋があったのだという事を伝えようとする友之の顔を見やっていた。一見すれば普通の少年だ。けれど引っかかる。まあ、何があるのか、そもそも人攫いに遭って道端に捨てられたくらいだから曰くはありまくりなのだろうけれど。
  友之との出会いは今の自分に何らかの新しい転機をもたらす啓示のように数馬には思えた。
「 悪者を倒しに行こう!」
  気づけば数馬は即そう言って友之を彼のいた街へと連れ戻していた。そう、きっとこれには何か運命的なものがある。「悪者」に囚われていたという友之、そんな友之の心が読めない自分、人間らしさを知る事が力を失くす為の重要ポイント……それらの謎を明かす全てが夕暮れ通りにはあるような気がしていた。

「 うげ…気持ち悪い……」

  そして実際、その街に辿り着いた途端、数馬は今までに感じた事のない程の強烈なオーラを感じ取って胸焼けに苦しんだ。確かに「悪者」はいるに違いない、こんな物凄い氣を感じる事など今までになかった。きっとこの不穏なオーラを持つ人物が友之をどうにかしようとした親玉で、そいつと対峙すれば自分もこの厄介な能力を捨て去る事が出来るに違いない!
「 トモ君、さあ悪者を倒しにいざ行こう!」





「 ……それが何だってこんな事に」
「 数馬」
「 あ…?」
  ツキトのアパートの前で座り込み頬杖をついていた数馬はふと聞き覚えのある声に呼ばれてのっそりと顔を上げた。見ると公園のある方向から兄の和樹がにこにこしながら歩いて来るのが見えた。ああ嫌だなあと思いながらそれを見ていると、和樹は「何が嫌なんだよ」と苦笑した。
  数馬はそれに対し露骨に眉をひそめて唇を歪めた。
「 人の心勝手に読まないでくれます?」
「 読まなくても顔に書いてある。というか、俺にお前の心なんか読めないよ」
「 嘘だあ」
「 表情から読める事だって珍しいよ。……憔悴してるな」
「 まあね」
  ふいとそっぽを向き、数馬はどこか不機嫌そうな顔をして頬を膨らませた。そんな仕草はやはりまだ一介の高校生らしく、兄の和樹も微笑ましいものを見るような顔をして目を細めた。
「 で? この街一番の不穏なオーラを持った《悪者》には会えたのか?」
「 ……会えたよ」
「 そう。それで、その人の心読み取って力を使い果たす事には成功した?」
「 さあ……」
「 何だよその気のない返事は」
  そうは言いつつも和樹の方は大体の事情が読めているのか、くっくと喉の奥で小さく笑ってからやがてすうと背筋を伸ばし、自分が来た通りの向こうを見やった。
「 知ってるか。今、公園の方じゃ大騒ぎだ。パトカーや救急車が来ててちょっとした人だかりも出来てる」
「 何? あのチンピラさんたちが捕まったとか?」
「 そ」
「 救急車って?」
「 そのチンピラさんたちを乗せるんじゃないかなあ、一応。あの志井って人にやられて相当可哀想な事になってるらしいから」
「 ふうん…」
  どうでもいいやという風に数馬は再び頬杖をついてハアと息を吐いたが、やがてぴくんと顔を上げて少々驚いたような顔を見せた。
「 友之、来てるの? って、知らないか。えっと、こんな小さくて黒髪黒目のうじっとした奴」
「 ……結局、力はなくならなかったのか」
  数馬の説明にすぐ「分かっている」というような目をした和樹は、しかし別の方に気を取られたようになってそう呟いた。数馬はそんな兄に「あれ」と思いながらもすぐに首を振り、両手でこめかみを押さえた。
「 違う。ああー…違わないけど、あいつの事は何か分かる。何で? あのお金持ちの所にいるのかと思ったのに」
「 お金持ちって光一郎さんの事だろ? あの人も来てるよ。何かそのトモユキ君? あの子に急かされて来たらしい。友達が心配で外に出たがったって…あれはお前のことだったのか」
「 え? うーん、何それ。まあよく分からないけど…うーん」
「 何だよ?」
  珍しく煮えきらず何事か考えているような数馬に和樹が苦笑すると、当の数馬自身も「分からないって」と多少いらついたような顔をした後、フンと鼻を鳴らした。
「 あのさあ…まあ、いいんだけど。ボク、何かイッコだけ分かった事があるんだよね。昴馬さんや父さんの言ってた事で。あ、あと兄さんも言ってたっけ」
「 何だよ?」
  俺何か言ったかというような顔をする兄に、数馬はコイツはとぼけているのか天然なのかどちらだろうと思いながら、ふと彼の心が徹底的に読めない自分に気づいて途惑った。
「 ……あの人の念に当てられちゃったからかな」
「 え? 誰、あの人って? っていうか、何が分かったっていうんだ?」
「 何でもないよ。もう、いいよ。めんどくさい説明するのが」
「 はあ…? ったく、いっつもそうやって自己完結するんだからな、お前は…」
  和樹は全く訳が分からないという顔をして首を振った後、「そういえば」と言ってきょろきょろと周りを見渡した。
「 それで、お前の探してた不穏オーラ持ってたその人はどうした? 今何処にいるのかちょっと分からなくなってるなあ」
「 ああ。リョウイチさん?」
「 リョウイチさんって言うんだ? お前を翻弄させた大人物は。で、その人どうした?」
「 まだこの建物の中にいるよ。上の階で石になってる」
「 は?」
  上階を示すように指を1本立てる数馬に、和樹は誘われるようにして顔を上げる。そんな兄の様子を数馬はもう見ていなかったが、やはりまだぐったりしたようになりながらつまらなそうに言った。
「 あんなに想ってるのにフラレちゃったもんだからさあ…。物凄いショックだったんだろうねえ。全然動かないんだよね。本当、人って分からない生き物だよ。確かに、あんなのに関わって生きていたら、当てられすぎて人の心なんて読めなくなるかもなあ……」
  数馬の独り言なのか何なのか分からない呟きに重なるようにして、やがて公園の方から再び救急車のサイレンがけたたましく鳴るのが聞こえた。夜も大分更けているが、まだあちらの喧騒は暫く続きそうだ。
  和樹はその音に誘われるようにして公園を、そうしてもう一度己の足元に座りこむ弟を見下ろしながら、そろそろ父に連絡しなくちゃなと思った。




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