「ふんわりきらり」


第3話 



  数馬と拡はここからバスで10分程の距離にある高等学校へ通う1年生なのだと言った。友之がそれならば自分も同じ年だと言うと、2人は一様に驚いた顔を見せたが、それを口に出す事はなかった。
「 結局俺が買いに行ってるし」
「 まあまあ。自分の好きな物が選べて良かったじゃない。お金はボク持ちなんだし」
「 当たり前だ! 大体今日の当番はお前―」
「 はい、トモ君。パンあげるよパン。どれがいい? 拡君が色々買ってきてくれたからさ。好きなの選んでいいよー。キミ、何が好き?」
「 …おい数馬」
「 飲み物はー? ジュースもあるけど、あったかい物飲みたいならそれでもいいよ。うちにはとりあえず一通り揃ってるから、頼めばそこにいる拡君が淹れてくれるしさ。キミが頼めばたぶん淹れてくれる」
「 こっの…バ数馬!」
「 何」
「 何じゃないっ」
  途惑ったように何も発しない友之をしきりに構う数馬。拡は我慢ならないというように本日一体何回目か分からない怒声を発した。
「 お前、今度は一体何を企んでるんだ?」
  拡のキツイ眼光に数馬はようやく視線を友之から外し、自分を睨んでいるルームメイトを静かに見やった。
「 企んでる? どういう意味?」
「 お前が人にそんなに親切にするなんておかしい」
「 失礼な人だなあ」
  ボクはいつでも誰にでも親切じゃないか。
  数馬はぶつぶつと文句を言ってから、事情が分かっていないような友之に「ね?」などと相槌を求めた。拡はそれでまた神経を逆撫でされたのだが、友之の困ったような顔が視界に飛び込むと、今にも発しそうになっていた第2陣の怒声を何とか喉の奥へと仕舞いこんだ。
「 大体、さっきから俺の質問に何も答えてないだろう、お前」
「 質問って? 何か訊いてたっけ?」
「 お前な…」
  食べ物の調達が済めばお前などに用はないと言わんばかりの数馬の態度には相変わらず頭にきたが、一方で悲しいかな「どうせコイツはそんな奴」と慣れてしまったところもある。拡はふうと深く息を吐き出した後、数馬の隣に座る友之をちらと遠慮がちに見やった。
「 どこで知り合ったんだよ」
「 さっきそこで」
「 そこって」
「 道端」
「 道端?」
  胡散臭そうな顔をする拡に数馬は平然として「うん」と頷いた。
「 裏通りの道に寝っ転がってたんだよ。だからボクが蹴っ飛ばして起こしてあげたの」
「 なっ…」
  あまりの言いように絶句する拡には構わず、数馬は友之の黒髪をわしゃわしゃと撫でまくると笑った。
「 この人、誰かに誘拐されてきたんだって。でもその誘拐犯、何を思ったのかこの人の事を裏道に捨てて逃走。弱って気絶してたところを正義の数馬クンが通りかかって助けたってわけ」
「 お前…何をそんなでたらめを…」
「 でたらめじゃないよ。確かに嘘っぽい話だけどさ。本当なんだから仕方ないじゃない」
「 ………」
「 そんな事よりさ」
  黙りこくった拡に数馬はすかさず視線を逸らすと友之を見て笑った。
「 そんな事よりご飯食べよう。ね、トモ君? キミ、お腹空いてるんじゃないの?」
「 ……っ」
「 ん? 何?」
「 ………」
「 あ……俺?」
  ちらりとこちらを向いた友之に拡は慌てて口を開いた。申し訳なさそうな瞳が真っ直ぐに注がれてくる。黒く綺麗な、それでいて寂しそうな瞳に拡は自然吸い寄せられた。数馬の言う事は信じられないけれど、この友之が何か事情があり、困っているらしいというのはどうやら本当のようだ。
  力になってあげたいと思った。
「 と…友之、好きなのを選ぶといいよ」
「 え……」
  掠れたようになりながらもこちらの言葉に反応してくれた事が嬉しくて拡は思わず頬を緩めた。
「 たくさん買ってきたから。遠慮しなくていいよ。どれが好き?」
「 お金払ったのボクなんだけど」
「 買ってきたのは俺だ!」
「 はあ。まあそうだけど…何だかなあ」
  キミやっぱり分かりやすいわ。
「 フン」
  数馬の毒にそ知らぬ顔をして、拡は自分も数馬とは反対側の友之の隣に腰をおろした。何だか小さい。同じ年だと言っていたけれど、この頼りないほっそりとした身体には無性に守ってあげたいと思わされる。
「 ところでさー。拡クン、今日学校どうするの?」
「 は?」
  突然話題を変えてきた数馬に拡は眉を寄せた。
  数馬は構った風もなく自分の腕時計をコツコツと指で叩くと何でもない事のように言った。
「 もうとっくに始業時間過ぎてるし。キミ、委員長さんなのに遅刻とかして大丈夫なの?」
「 はっ…!!」
  慌てて立ち上がった拡に友之が驚いたように顔を上げた。拡はそんな友之をちらと見た後、責めるように数馬を見やった。
「 元々はお前が…っ」
「 はいはい、文句言う前に出掛けたら? 今日はクラスで何か大事な用があるって言ってなかったっけ。遅れたら副委員長の橋本さんにまた怒られるよー? 彼女怖いから」
「 お前はどうするんだよ!?」
  既にカバンを肩に掛けて玄関の方を向いた拡に数馬はニッと白い歯を見せた。
「 ボクは自主休校。トモ君とお留守番しているよ」
「 くそっ、後で覚えてろ…ッ!」
「 はいはい、後で幾らでも文句ききます。とにかく今は行ってらっしゃーい」
  慌てて出て行く拡に意地の悪い顔を向けつつひらひらと手を振る数馬。
「 ………」
  その余裕な横顔を友之は不思議そうにまじまじと見つめた。





「 …―それでは、もしもまた見かける事があったら当方に是非ご連絡をお願い致します」
「 はい、どうも…」
  昼近くになり、そろそろ室内へ移動させなければならない店頭の花を運んでいた雪也は、不意に現れ去っていった男2人の後ろ姿を陰鬱気に見送った。
「 桐野君」
「 あ…創。今起きたの?」
「 まあね」
  そんな雪也に上方から声を掛けてきたのは、隣家に住む服部創という青年だった。日が完全に昇ってからようやく開け広げられた窓に両肘をついて、創はボサボサの髪を厭うでもなく、目を細めて雪也の事を見下ろしていた。やや寝ぼけ眼だ。いつものように夜を明かして読書でもしていたのだろう。
「 今日は店開けないの?」
「 ああ。夕方得意客が来るんで、裏口だけ開けておくよ」
「 裏口…」
  創の言いように雪也は呆れたような顔を見せつつもすぐに苦笑した。
  隣家の創は自宅を改造して昔から古本屋を営んでいるそうなのだが、まともに店を開ける事は月に何日もないという変り種だ。こんな事で生活が成り立つのか不思議で仕方がないが、創は非常に博識で多才な人物だったから、きっと別口で何か仕事をしているのだろうと思われた。あまり深く訊ねた事はなかったから、それも雪也の単なる推察に過ぎないのだが。
「 今日もお昼、少し多く作り過ぎたんだ。食べに来る?」
「 ありがたいね」
  自分の誘いに笑顔で応えてくれた創に、雪也は自らも嬉しそうに微笑した。
  確かに創は変わり者だが、雪也はこのいつでも冷静で優しい友人の事が好きだった。あまり人付き合いのうまくない自分に創は実にうまく合わせてくれる。年は幾つも変わらないが、創は「大人」だ。だから雪也は創を異国の貴重な友人として大切にしたいと思っていた。
「 あ……でも」
「 え?」
  そんな事を何ともなしに考えていた雪也に、しかし創は急に思い出したようになって首を振った。
「 悪いけど、今日は遠慮しておくよ。急用があるのを思い出したんでね」
「 急用?」
「 うん。桐野君の料理を味わえないのは本当に残念だけど」
「 じゃあ…また今度誘うよ」
「 うん、ありがとう。………」
「 ……? どうしたの?」
  ふと黙りこくってこちらをじっと見下ろしてきた創に、雪也は不審に思って首をかしげた。すると創はすっと遠くの方を見るような仕草をした後、思い出したように口を開いた。
「 今さっき、店にスーツを着た2人組の男が来ていたよね」
「 え? あ、うん。見てたんだ」
「 あれ、何だったの」
「 ああ、うん」
  雪也は自分でも良く分からないがと前置きした上で、男たちは人探しに来たのだと告げた。年の頃は15.6の少年を探している、姿は黒髪黒目で小柄。つい先日までこの辺りをウロウロしているのを見ていた者がいるが知らないか、と。
「 それって、最近まで君の店を見に来てた子じゃないの」
「 うん…。それは俺もすぐそう思ったんだけど…」
「 ……その男たちに言わなかったの?」
「 いや、本当の事言ったよ。確かに最近までいたけど、ここ何日かは全然見ないって。そしたら見つけたらすぐ連絡くれって名刺を…」
  雪也は手の中に納めていた、どこぞの興信所なのか聞いた事もないような会社名が記載されている四角いカードをじっと見つめた。
「 心配だね」
「 え…」
  言われて顔を上げた雪也に創は続けた。
「 その子だよ。誰が探しているのか知らないけど、姿を消してるんだろう? 心配じゃない?」
「 心配だよ。何でだろうな…。何だか…凄く気になるんだ」
「 ん」
「 自分でもよく分からないんだけど、最近気づくとあの子の事を考えていて。何か言いたそうなのに決して口を開かないようなところが…」
「 自分と重なった?」
「 えっ…」
  創のその台詞に雪也はどきんとして口を閉じた。自分と重ねた、確かにそうかもしれない…。あの少年と自分はどこか似ているのだ。同じ空気を持っていると思った。だから気になっていた。
「 まあ確かにあの子も心配だけど」
  けれどその事を自覚した雪也を諭すように、創はすかさずきっぱりと言った。
「 それでも桐野君はもう少し自分の事を考えた方がいいと思うよ」
「 創…?」
「 今日も君の所のモダンローズは早朝の時点で完売か。商売繁盛だね」
「 あの、創―…」
「 さて、俺は俺で自分の事を考えるとするよ。それじゃあ」
  そう言うと創は薄く笑ったまま片手を振り、ぴしゃんと窓を閉めてそのまま雪也の前から姿を消してしまった。
「 何だろ…」
  創のいた方を見上げながら、雪也はどこかもやもやとする気持ちを抱えたまま独りごちた。相変わらず創はよく分からない。けれど、何か大切な事を言われたようで引っかかった。
「 ……仕事」
  それでも雪也はさっと切り替えるように声を出すと、その靄の掛かった気持ちを無理に店の中へと引き戻した。そうして少しの間待ちぼうけを喰らってしまった花たちに「ごめん」と一言謝り、後は再びきびきびと忙しなく動き回るのだった。





「 行く所がないならここにいてもいいけど、タダじゃないって言ったでしょ?」
  2人で朝食を済ませた後、数馬は友之にシャワーを浴びて来いと命令し、とりあえず汚れた身体を綺麗にさせた。それから部屋の中を勝手に物色して見つけた拡のトレーナーを渡し、友之が素直にそれを着て戻ってくると実に偉そうに切り出した。
「 キミ、何か訳ありそうなところが面白そうだしさ。ひとつボクに付き合ってよ」
「 何を…?」
  どうして良いか分からず、友之は不安そうに数馬の顔を見つめた。
  そもそも何故こうなったのか、ここに至るまでの経緯だけで友之は既に十分動揺していた。理由も分からず何者かに抑えつけられ拉致されて、見知らぬ車に乗せられた。特に酷い事はされなかったが、目隠しをされて薬のような物を嗅がされ意識が遠のき、目が覚めた時も暫くはボー然としていたのだ。だから数馬が現れて「うちに来れば」と言った時、普段ならば絶対に乗らないその誘いにも乗ってしまった。
「 ………」
  不安な気持ちが一気に増大する。
  確かに親切にしてもらったのだから何かを返すのは当然だとしても、果たして数馬が求めてくる事とは、自分にも出来る事なのだろうか。
「 あーあー、余計な心配はしなくていいよ」
  友之のぐるぐるとした思考を読んだのか、数馬はウンザリしたようになって片手を振った。それから傍にあったコーラを手に取り、それを一口やった後、鬱陶しさを弾き飛ばすように息を吐く。
「 むしろね、これはキミにとってもラッキーな事だと思うよ。ボクはキミを誘拐した人間を探したいんだ」
「 え…?」
「 一緒に犯人探ししない?」
「 どうして…?」
「 どうして? うーん、キミ、それって嬉しい事じゃない?」
「 別に…」
「 別に? 何でさ、だってキミ、自分の街追い出されちゃったんでしょ。その何者かも知らない奴にさ。好きな花屋さんだってあったんでしょ。もうそこに帰れなくてもいいの?」
「 ………」
  帰る家など元々もうない。友之は項垂れて押し黙った。
  確かにあの花屋は大好きだったけれど、あの街に戻っても自分には何もないのだ。
  かと言ってこれからどうしたら良いのか、全く見当がつかないのだが。
「 だからーっ。キミはキミ自身の為に何か動かなきゃ! ボクがそれに協力してあげようっていうの!」
「 どうして…?」
  今日会ったばかりなのに。何故。
「 ううん。面倒臭いなあ、言わなくちゃ駄目なの、そういう事」
  友之のその当然の疑問に、しかし数馬は心底気だるそうな目をした後、ぶうと小さな子どものように頬を膨らませてみせた。
  けれど直後、あっという間に真面目な顔をして笑うと。
「 俺はね、これ自分の為に言ってんだ。俺はこの力失くしたいんだよ。この魔法使いみたいな鬱陶しい力…要らないんだよ。けど駄目だ、どうやっても失くならない。だから」
  数馬はびしっと人差し指で友之の鼻面を押すと、いやに挑発的な顔をして哂った。
「 いっぺんに使い切るくらいじゃないと駄目なのかなって思ったわけ。キミ、何か望まずとも災難呼び込みそうな顔してんじゃん。だからさ。一緒にいてやるって言ってるの」
「 ………」
「 魔法使いってのは多分、他人を幸せにしたらやっと解放されるものだから」
「 ………」
  数馬の言に友之はどう返して良いか分からなかった。
  ただ。
「 ……っ」
  「幸せ」という言葉には、つきんと胸が痛む思いがした。




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