(10) 力任せに引き寄せられて、掴まれた後頭部がじんと痛んだ。 「 ん…ッ!」 相手の突然の所作に面食らい、友之はそのあまりの怖さに思わずぎゅっと目をつむった。さっと暗くなった視界、それでも迫って来る気配は感じる。椅子に座ったままの修司はその長い腕を伸ばして友之の事をぐいと引き寄せると、最初にちゅっと唇が触れるくらいのキスをした後、何度も角度を変えた口づけをしてきた。 「 ぅん、ん…っ」 肩先がびくりと揺れ、それから背筋がぶるりと震えるのを友之は自身で感じた。修司から離れようと何度か両手で引き離す所作を示したが、相手はびくりともしなかった。それどころかキスの回数はより数を増し、唇の端から鼻先、首筋に至るまで好き勝手に触れられた。 「 や…修……っ」 あまりの事に友之が泣きそうな声を出すと、不意にそのキスはぴたりと止まった。一瞬、周囲の時間までもがぴたりと静止したように感じられた。 「 嫌なの、トモ?」 そうして唇を離した修司が至近距離からそっと囁いてくるのが聞こえた。 「 ………」 恐る恐る閉じていた目を開くと、すぐに修司と視線が交錯した。カッと赤面して、それでも頭を抑えられているせいで逃げ出せなくて、友之はただ目だけを焦ったようにあちこちへ動かした。それからもう一度、修司の胸に手をやり自分から引き離そうと試みた。 修司はそれを許してくれなかった。 「 ……しゅ、修兄……」 「 何」 素っ気無くすぐに返される声。怖い。友之は再度びくんと身体を揺らし、こちらをじっと見つめているだろう修司からどうやって逃れようかとそればかり考えた。 「 何、トモ」 けれど黙りこくる友之に修司は再度訊いてきた。身体は抱き寄せられたまま。それどころか余計ぎゅっと強く引き寄せられて、友之は思わずがくりと体勢を崩して修司にもたれかかった。椅子に座る修司の膝に身体が寄りかかる。 「 ……本当、トモってカワイイな」 すると耳元で修司のからかうようなそんな言葉が聞こえ、瞬時またそこにキスをされた。友之は耳に当てられたその感触にまた身体がびくりと揺れたが、ようやく今までで一番の力を振り絞り、更に怒りの声を上げた。 「 い…やだ…ッ!」 それはそれ程大きいものでもなかったのだけれど。 「 あ…っ!」 「 はっ…。トモに嫌がられるのは堪ンないな」 実にあっさりと、そして良いタイミングで修司は友之を拘束していた手をぱっと放した。意表をつかれた友之はぐらりと背中を反らせながら、それで二三歩後ろに後退した。 「 ……っ」 はっと息を吐き、友之は憔悴したようになりながら警戒心のこもった目で修司を伺い見た。身体の奥から熱いものがこみ上げてきてどうしようもなかった。ドキドキと高鳴る鼓動。修司の唇の感触がまだ口許に残っている。友之は片手をその口許へやり、それから再度赤面した。 「 修兄…っ」 「 ん?」 「 ………何で」 一体どうしてしまったのだろう。修司は、絶対にいつもの修司ではない。休みなのに勝手に入り込んできた自分を怒っているのだろうか。どうしたら良いのだろう。友之はただ声を失い、目の前の椅子に長い足を投げ出しながらこちらを見ている修司を自分もじっと見返した。 「 ……そんな顔するなよ」 しばらくして修司が言った。 「 怖くないよ」 そうして修司は再び新たな煙草を取り出すとそれに火をつけ、今あった事など何という事もないというようになってから、ふいと横を向いた。それから何ともなしに壁に掛けてある時計をすっと指差して言った。 「 トモ、もう帰った方がいいんじゃないか? あんまり遅くなるとコウ兄ちゃんが心配するぜ? ……トモはまだまだ目が離せない子供だからな」 「 ……そんな事」 子供、と言った部分がひどく馬鹿にしたような言い方で友之は思わず鼻白んだ。修司は相変わらず涼しい顔をしていたけれど。 「 子供だよ」 そして修司は続けた。 「 今のもね、トモが可愛いからしただけだよ。トモ、今の恋人とか好きな人同士がするキスじゃないよ? 挨拶みたいな、何でもないチューだよ。分かる?」 「 ……分からない」 むっとして言うと修司はハッと鼻で笑った。 「 そうか。それじゃあ、本気のキスだと思った?」 「 ………」 「 俺が本気だって言ったら、トモはどうなっちゃうんだろうな?」 「 修兄…どうして…怒っている…?」 「 ………」 挑発するようなその言葉に友之が反応しなかったせいだろう、修司は途端に口をつぐんで黙りこくった。友之は友之で修司の動向が気になって仕方なかったから、その場から一歩も動けなかった。今の台詞とて精一杯に出したものだった。ただ修司から目を逸らす事ができなかった。 「 ………ふ」 修司はそんな友之を自分もしばらくの間見つめていたが、やがて立ち直ったようになるとその笑いを堪えるように下を向いた。それから再び、こいこいと友之に向かって手招きした。 「 おいで、トモ」 「 え……」 「 もう何もしないって。これ以上トモに嫌われたら、俺生きていけないもん」 「 嫌ってない……」 むしろ、修司が。 「 ん?」 言いかけて、けれど友之はそれ以上の言葉を出す事ができなかった。 それを言って修司に肯定されてしまうのが怖かった。 修司が今まで優しかったのだって、自分が光一郎の弟だからでないのか。だからいつでも笑って。いつでも何を言っても何をしても許してくれて。 だから。 「 ………修兄」 怖い。 この人に嫌われるのは嫌だと思った。 コドモ。 「 トモ、いいから来い」 ぐるぐると嫌な思考ばかり頭の中で巡らせていると、修司が待ちきれなくなったように再度言ってきた。そうして立ち上がるとカウンターの中へと入り、水道の蛇口を捻って手を洗い、戸棚からカップを一つ取り出した。 「 今、うまい紅茶淹れてやるから。それ飲んだら帰りな」 「 ………」 「 ほら、早く座る」 そうして修司は今度こそ優しい微笑と共にそう言うと、あとはせっせと友之の為に湯を沸かし、紅茶の葉を用意し始めた。友之はそんな「兄」の作業する姿をじっと見つめてから、ようやくのろのろと椅子に近づき、先刻まで修司が座っていた長椅子に腰を下ろした。 既に修司からさっきまであった不穏な空気は消えていた。いつもの柔らかい、落ち着いた雰囲気の修司がそこにいた。 「 トモにはミルクたっぷり淹れてやるな」 修司は害のないような口調で言ってから、しかしふと思い出したようになってふっと笑った。俯きがちの友之をじっと見つめ、探るような声で言う。 「 こういう言い方されるの嫌?」 「 ………別に」 「 嘘つけ。さっき子供って言ったら露骨に嫌な顔したじゃん。…でも俺は嬉しいけどね」 「 何が…?」 修司の言葉の意味が分からずに顔を上げると、そこにはもう当にこちらを見ている優しい笑みがあった。不思議そうな顔を向けると、修司は続けた。 「 トモはいつまでも子供でいたいのかと思ってた。いつまでもコウ兄ちゃんの弟でいたいのかと思ってた」 「 …………」 「 でもそれは逆だったのかもな」 友之がそう言った修司をまじまじと見やると、修司の方は知らばっくれたような顔をしてそっぽを向き、灰皿に置いていた火のついた煙草をまた口に咥えた。それを吸ってからやがてふっと白い煙を吐き出す修司の仕草は、その顔は、やはり格好良いと友之は思った。 そんな修司はしみじみと遠くを見やるような目をして言った。 「 いつまでもガキでいて欲しいってさ。光一郎も裕子も正人君も。それから俺も。思っていたのかも」 「 僕に…?」 「 そう、僕に」 修司は相槌を打ってから楽しそうに笑った。 「 俺、知っているンだぜ? トモが数馬には自分の事『俺』って言っているの。数馬に聞いたからだけどな。友達の沢海君にだってそう言っているんだろ? でも俺たちには、トモは今まで通り自分の事を『僕』って言ってくれる。小さい事だと笑いたまえよ。でも俺には、俺たちにはそれが重要。そういう事実がね」 「 修兄…何…言っているの…?」 「 トモにおっきくなって欲しくないって話だよ。トモが大人になりたくないって思っていたんじゃない。いや、トモも思っていたのかもしれないけどさ。でもそんな事よりもヤバイだろうってのは…それを俺たちが強く願っていたって事」 「 ……言っている事、分からない」 「 そうか」 友之の反応に修司は嘲るようにそれだけ応えた。友之はそんな修司から目が離せなかった。ただ、何か言いたくて。聞いて欲しくて。 「 コウは…いつだって僕にちゃんとしろって言う…。正兄だって言う…。裕子さんだってもうすぐ高校2年生だからって言う…。修兄は…何も言わないけど」 「 俺はそういうキャラだから」 修司は妙に乾いた笑いを見せてから、手にしていた煙草を灰皿にぎゅっと押し付けた。それから洒落た陶器のカップに注いだ紅茶をカウンター席に座る友之にすっと差し出した。友之が何となくそれを受け取ると、修司は「お前」と再び口を切った。 「 何でここに来た?」 「 え……」 「 何かあったんだろ」 「 ………」 「 修兄ちゃんに隠し事する気か?」 今やすっかりいつもの「兄」に戻った修司はそう言って茶目っ気たっぷりの顔をして黙りこむ友之を見やった。友之は途惑いつつも、やはりこんな風に自分に近づいてくれる修司を好きだと思った。 だから言っていた。 「 ………子供、だから」 「 ん…?」 修司の何とも言えない反応を気にしながら、けれど友之はカップからたゆたう紅茶の湯気だけに目をやりながら続けた。 「 甘えていた……から」 「 ……誰に」 「 みんな……」 「 ……トモ。もしかして裕子と何かあった?」 一瞬の間の後、ため息交じりにそう言った修司の声を聞いて、友之は驚いたように顔を上げた。不安の種の一つを早々に見つけられたと思った。 「 修兄は…裕子さんと喧嘩したの?」 「 あぁ、やっぱりその話聞いたのか。してないよ」 「 え…でも裕子さん……」 友之が言いかけると、修司はぶらぶらと片手を振ってから苦笑した。 「 あんなのと本気になっても疲れるだけだよ。俺はな、トモ。トモと光一郎以外には本気にはならないの」 「 ………」 「 なれないって、言い直してもいい」 きっぱりとそんな事を言う修司に、友之は不意に忘れかけていた胸の傷みを感じてカップにやっていた手をぎゅっと動かした。 「 …………そんなの」 「 だって本当の事だよ? それにな、あの子のバカさ加減が無性に愛しいと思う時と、何だか猛烈にムカついてしょーがない時と。俺がそう感じちゃうのは昔からだしな。トモは気にする事ないぜ? あいつはカワイソウな奴なんかじゃないし。あれはあれでいいんだよ」 修司はひどく冷淡にそう言ってから、「それじゃあもう一つの話も聞いたンだろ」と友之に先に話を振った。 「 あいつのお袋さんって人もナメた人だよな。今更来て何がしたいのかって感じだろ」 「 修兄…会ったって本当…? その……」 「 光一郎の弟って子と? ああ、会ったよ」 あっさりと言って、修司は「お前、それも裕子から聞いたのか?」と探るような目を友之に向けてきた。けれど何事か言いたそうな、けれど言葉を出せない友之に対しては、修司は、後は一切助け舟を出そうとしなかった。 「 ………」 修司はそれ以上何も言わず、ふいと横を向いたかと思うとおもむろに傍にあったラジオをつけた。耳に馴染みのない異国の音楽が急に店の中を満たし出した。沈黙。ただ、知らない音が2人の間を満たすだけ。ああ、修司はもう自分とは話をしたくないのだと友之には分かった。修司は光一郎の家族の事を聞きたがった裕子を怒った。それはきっと自分に対しても同じだ。話の成り行き上、家族と会ったという事だけはしてくれたものの、修司の本心としてはそれすらも言いたくなかったに違いない。どうしてかそれが友之には分かった。きっと今はもう何も話してくれない。だったら黙っている方が良い。 「 良い曲だな」 何ともなしにつぶやいた修司の声に友之は応えなかった。返答など望まれていない。それも分かったから。 元々修司が会いに来てくれて2人向き合っているわけではない。偶々、会ってしまった。修司が望まない時に、偶々自分がここに来てしまったのだ。 「 ………」 だから友之は色の良い紅茶にぼんやりと映る自分の陰鬱な顔を何ともなしに眺めた後、黙ってそれを口に運んだ。こうやって自分は裕子や由真や、そうして修司にまで不快な思いをさせてしまっているのだと思った。 自分のこんな曖昧な存在が。どうしたいのか、何をしたいのか、自分自身で分かっていない存在が。 周りまで不幸にしている。 「 修兄…」 友之は淹れてもらった紅茶を全部飲み干してしまうと、掠れた声でぽつりと言った。 「 修兄…ごめんね……」 「 ……何謝ってんの?」 修司がくるりと顔を向けて友之に言ってきた。怪訝な顔。本当に分からないという顔だったけれど、これも演技かもしれないと友之は思った。友之は怯まずに続けた。 「 今日、いきなりここに来て…邪魔したから…」 「 トモが俺の何を邪魔したっての?」 「 独りでいたかったんでしょ…?」 「 は………」 「 だから…ごめん……」 友之が再度そう言って謝ると、いつもとびきり優しい「兄」は一瞬唖然とした顔をした。それからみるみる破顔すると、修司は「くっ」と本当に小さな笑みをこぼした。 そうして。 「 ………トモ、大好き」 修司は今日一番の優しい声でそう言うと、すっと腕を差し出して下を向いている友之の頭をくしゃりと撫でた。友之が途惑って顔を上げようとしてもがいても、修司はしばらくの間ずっとそうやって友之の頭を撫で続けた。 |
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家に帰り着いた時、光一郎は夕飯の支度をしていた。 「 遅かったな」 リビングに入って制服のネクタイを緩めていると、台所から野菜か何かを炒める音と光一郎の声が交じり合って流れてきた。友之がちらとそちらへ視線をやると、光一郎は背中を向けたまま、大きなフライパンを片手で器用に動かしていた。ジャッジャッと火の通る小気味良い音が断続的に聞こえてくる。いい匂いがした。 「 修司から電話あった。アラキに行ってたんだな」 未だ振り返らずに光一郎が言った。部屋の時計に目をやる。七時だった。友之は部活に所属しているわけでもないので、普通に授業が終わって真っ直ぐに帰ってくるのならばこんな時間にはならない。いつも寄り道などしないからきっと心配していたはずだ。修司もそれが分かっていたから電話を入れてくれたのだろう。 「 ………」 友之はネクタイをするりと外してからそれをそのまま床に落とし、今度は制服のシャツのボタンに手をやった。だからというわけでもないのだが、光一郎に対して応えるのは一歩遅れた。 「 ……修兄と喋ってた」 「 え? あぁ、だから修司から電話があったって」 光一郎はちらと振り返ってから何となくズレている友之に妙な顔をしたが、後は再びコンロに向き直って「楽しかったか」と興味のない風に返してきた。友之はボタンに指をかけたまま、再びそんな光一郎の後ろ姿を見つめた。 訊く事はないのだろうか。 光一郎は修司に家族と会った話をしていた。修司が光一郎の弟に会ったという話も既に聞いているだろう。そしてその事を自分が知った事も、きっと勘付いているはずだ。それなのに光一郎は自分に対して何も言う事はないのだろうか。 どうでもいい事なのだろうか。自分が思う事なんて。 「 トモ、手、洗ってこいよ。ちゃんとうがいもしろな」 そうして光一郎は悶々と考え込んでいる友之には構わずにそんな事を言い、それから出していた大皿に炒めた物をザッと盛った。いつもの光一郎だ。手洗い、うがいをしろだなんて。自分は幼稚園生じゃない。そんな事、言われなくたっていつだってちゃんとやっている。いつもいつも兄貴ぶって、そんな事ばかり。 本当の弟には、どういう態度を取ったのだろう。 「 トモ? お前、何さっきからぼうっとしているんだ?」 空になったフライパンをコンロに置き、ここで光一郎は様子のおかしい友之にようやく不審の眼を向けた。制服のシャツに手をやったまま、それを脱ごうともせずにただこちらを見つめている友之。まるで石になってしまったようだ。そのくせ何事か言いたそうな顔をしているから。 「 どうしたトモ。腹、減っただろ。飯にしよう」 「 いらない……」 「 いらない? けど、修司の所で食べてきたわけじゃないだろう? どこか具合でも―」 「 ……弟って?」 唐突に訊くと、光一郎はその場でぴたりと動きを止めた。けれど訊かれる事は予想がついていたのだろう、別段驚いた様子ではなかった。 「 会ったの?」 「 ああ」 「 何で…?」 「 何で? 向こうが会ってくれって言ったからだな」 「 何で?」 「 知るか、そんな事」 これには光一郎は嘲るように言ってから再び忙しなく動き出した。戸棚から碗を出し、冷蔵庫からはウーロン茶と牛乳を出した。友之が夕飯の時は牛乳とお茶を飲む事を知っていたから。友之はじりじりとした思いでそんな光一郎の所作を眺めていたが、やがて我慢できなくなったように言った。 「 何でその話してくれなかったの」 「 お前に? ……さあな。必要ないと思ったからだろ」 「 コウの事なのに…」 「 そうだな。けど、どうでも良かったんだ、俺にはそんな事どうでも。だからお前にも言わなかった。母親の事はさすがに驚いたからこの間言っただろ。けど、それも…どうでも良い事だったんだ。それだって言っただろ」 「 どうでもよくないよ……」 「 何で」 どことなく冷淡に光一郎は言ってから、友之をイライラしたような目で見つめた。 「 お前が気にする事なんか何もない。言わなかった事に腹でも立てているのか? なら何でお前こそあの時もっと訊かなかった?」 「 ………っ」 中原に言われた事を本人から突かれて友之は絶句した。光一郎もやはり家族の事をもっと聞いてきてもらいたいと思っていたのだろうか。そうしたら弟とやらの話もしてくれていたのだろうか。 「 …………僕」 友之が言い淀むと、光一郎はどことなく脱力したようになってため息を漏らした。それから友之に近づき、傍に落ちていたネクタイをすっと拾い上げた。 「 修司に何を聞いたのか知らないけどな、本当に気にするな。もう会う事もないだろうし」 光一郎の台詞に友之は驚いて顔を上げた。そんな事、本当にあるだろうか。 「 少なくとも俺は別に会いたいとも思わないし。あの人たちにはあの人たちの今の生活があるわけだろう。俺には関係ないよ」 「 でも…また会いたいって言われたら?」 「 え?」 「 コウ…会う? その、弟って人とも会う?」 「 …………向こうだっていきなり俺って存在が現れて、兄貴だなんて言われて、面食らっているさ。別段そんなしょっちゅう会いたいって事にもならないだろ」 「 でも会いたいって言われたら?」 「 トモ」 「 会う? そしたら会う?」 「 ………言われたらな」 仕方なさそうに光一郎は言った。友之はその返答を聞いてようやく立て続けに出していた口をつぐみ、ぐっと押し黙った。何を訊きたいのか分からない。どうして欲しいのか分からない。一体何をムキになっているのだろう。 何を嫌がっているのだろう。 「 トモ、ほら早く手洗って来い」 「 ………言われなくても行く」 むっとしてぼそりと言うと、光一郎は呆れたような顔をした。それでも何も言わず、手にしていたネクタイを友之に渡すと、黙ってまた台所の方へ歩いて行ってしまった。 「 あ…っ」 ぎくっとした。1人でまくしたて、1人でいじけて、バカにされたかもしれない。そう思うと無性に焦った気持ちになった。 「 コウ…ッ」 「 ん……」 何ともなしに返される無機的な返事に友之は思わずカッとした。 自分だけが、こんなに思考がごちゃごちゃとして。 光一郎だけが、あんなにも冷静で。静かで。 「 さっき…修兄と、キスした」 一体何を言っているのだろう。分からないままに友之は口を開いていた。 「 キスした」 「 は……?」 光一郎の呆気に取られた様子には構わずに友之は続けた。 「 本当だよ」 「 ……だから?」 光一郎のその返答に友之はかっと顔が赤くなるのを感じた。揺らぎのない、静かな目。光一郎は何とも思わないのだろうか。自分が誰と何をしようが関心などないのだろうか。 嫌だ。そう思った。 「 朝だって、拡と授業サボって公園行った…っ。数馬とは、アダルトビデオ見た。由真も傷つけたし、裕子さんには悪い事ばっかり言った…!」 「 友之」 「 全部…全部、コウのせい…ッ!」 自分自身で何を言っているのか分からなかった。 光一郎の顔がまともに見られなくなり、友之は下を向き、その勢いのまま渡されたネクタイを力任せに叩き落とした。ぐらぐらした気持ち。身体が熱い。何もかもが嫌だった。 「 う……」 声にならないうめきのような音が喉の奥から漏れた。目眩がする。立っているのが自分自身不思議で、今はこちらを向いているだろう光一郎の姿も最早良くは分からなかった。 こんな風に光一郎と向き合いたいわけではないのに。 |
To be continued… |
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