「すぐに分かるよ」。そう言って友之に行き先を書いたメモを渡してくれた数馬は、駅前までは一緒に来てくれたものの、友之が改札に入る頃にはさよならも言わずにいつの間にかいなくなっていた。振り返った時、いつものあの大きな影がなくなっていた事で友之は多少面食らったが、元々1人で行くつもりだったのだからと、すぐに前を向いて電車の入って来るホームへ向かった。
  友之には今日が何曜日なのかはっきりとした感覚はなかったが、電光掲示板に記された電車の入って来る時刻と傍に掲げられていた時刻表から、少なくとも今日が平日なのだという事は分かった。この時間、学生層はまだ学校なのだろう。人影は全体的にまばらだった。正直ほっとした。人込みはいつだって苦手だったから。
  席は空いていたが、友之はドア付近にぴたりとくっついて、揺られる車内から外の景色をただじっと眺めていた。流れる景色は最初こそ見慣れたものだったが、時間と共にやがて未知の風景となった。
  少し怖かったけれど、迷いはなかった。

  行き着く先に、光一郎の家族がいる。


  (17)



  数馬が渡してくれたメモに書かれたその駅は、家を出た時刻から計って本当に2時間程の位置にあった。改札を出た先、その街は友之たちが暮らすそれよりも一回りほど大きいように感じられた。駅前にそびえ立つビルも、人の通りも。大きなロータリーや、近くに観光名所でもあるのだろうか、客を乗せるタクシーの数も。
  久しぶりに外界に出てきた友之には何もかもが珍しかった。
  そしてやはり、少しだけ息苦しかった。
「 ………」
  広い中央改札からそんな景色をひとしきり眺めた後、友之は困ったようにきょろきょろと辺りを見回した。殆ど数馬によって押されるように出て来てしまったからというのもあるが、すっかり失念してしまっていた。
  一体ここから先、何処へ行けばいいのだろうか。
「 ………っ」
  その街に辿り着いたからと言って、その場所の何処に光一郎の家族が住んでいるのかを知らない。住所は結局分からないままだったから、手掛かりと言ったら光一郎の弟が写っている写真くらいで。
「 あ……!」
  しかしそれも家に置いてきてしまった。持っているものと言えばズボンのポケットに無造作につっこんだ、数馬から貰った万札と少しの小銭だけ。
  友之は茫然とした。
「 友之!」
  けれど、自分の浅はかさを嘆く間はそれほど与えられなかった。
「 あ……」
「 ここから何処へ行けばいいか分からないんでしょ? もう、しょうがないなあ」
「 ゆ……」
  訳知り顔でそう言って笑っていたのは由真だった。学校の制服を着て、明るい色の髪を綺麗に垂らしている。制服は以前由真が着ていたものと違うような気がした。赤いリボンとチェックのミニスカート。紺のハイソックス。それは、スカートの丈こそいやに短かったが、ひどく幼い印象を与える可愛らしい格好だった。友之はそんな由真の見慣れぬ姿をじっと見やった。最近は駅前の写真店で見かける、ジーンズとエプロン姿ばかりだったから。
「 何そんな見てんのー? あたしが急に現れたから驚いた?」
「 え……」
  にこにこと笑って由真は言った。
「 えへへ、あたしってばちょっとアヤシイストーカー気分だったね。少し離れた所から友之のこと見ていてさ、車内では何か1人どきどきしちゃったよ」
「 え……」
  驚きのあまり殆ど固まったように動けずにいると、由真はおちゃらけた笑いをすぐに引っ込め、そんな友之の胸元を指でつついた。
「 あのさあ、何であたしを頼らないの? この街の事ならこの由真さんに任せなって! ここはあたしのホームグラウンドみたいなもんなんだよ?」
「 知って…いるの…?」
  友之が何とかそれだけを訊くと、由真は得意気にどんと自分の胸を叩いた。
「 知ってるよー。結構仲の良い友達の地元だもん、ここ。それに何より! 高城学園って言ったら都内の女子高生なら皆チェック入れている有名校じゃん!」
「 コウジョウ…?」
「 そこ行きたいんでしょ? あ、友之が行きたいのは中等部の方って聞いたけど」
  由真は1人ぺらぺらと喋り、「ちょっと、そこ邪魔だからもちょっとこっち来な」と友之の袖口を引っ張り、自分が立つ改札横の壁へと友之を移動させた。それから腕組みをして偉そうな顔をする。由真は何だかひどく楽しそうだった。
「 数馬のいる修學館はさ、男のレベルは確かに高いけど、何かアイツみたいに擦れている奴多いじゃん? でもこっちの男の子は田舎にいる分、純朴な感じがしていいンだよねー。あたしは絶対高城寄り!」
「 な、何が…?」
  由真のよく動く口許を見つめながら友之は戸惑いつつ聞き返した。けれど由真はいちいち説明し直す気はないのか、1人納得したように頷いてからおもむろに数枚の写真を取り出した。
「 あ…!」
  それは修司が友之にくれた写真だった。
「 えへへ、これ荒城さんが撮ったやつなんでしょ? 儲けた!」
「 何で……」
「 数馬がくれたんだ。ここの場所教えてくれたお礼って。ついでに友之がここに来る時、多分学校の場所分からないだろうから、これで案内してやってくれって。ま、いわゆる案内賃ってやつだね。もう、荒城さんの写真が貰えるなら何だってやっちゃうよ、私!」
「 数馬が…?」
「 あいつ、ちょっとヘンだけどなかなか面白い奴だよね。あたしは好きだな。あ、この間ね、何かあたしがバイトしている写真屋で会ったの。ってか、あいつが話しかけてきてさ。ちょっと話していたら結構仲良くなっちゃって。で、この写真渡されたの。場所知っているかって。当然って言ったら、『負けた』って悔しがっていたよ」
  ふふんと由真は鼻で笑い、それからもう一度嬉しそうに手にした写真に頬ずりした。
「 で、行くんでしょ? 高城」
「 ………数馬、由真に頼んだの」
「 そうだよ? 今日行くって言うのは前から数馬に聞いていたから知っていてあたしもスケジュール空けていたし。で、さっきケータイに友之が向かったから一緒に行ってって。あいつ、何で自分が行かないのかね? まあ、あたしも友達と会う事できるし、ついでだからいいんだけど」
  そうして由真は取り出した写真をまた大切そうにバッグにしまうと、改めて友之の顔を見つめた。いつもの明るい由真の表情はそのままだったが、友之を見やるその目は何だか急にひどく優しいものになっていた。
「 身体壊してたんだって? もう大丈夫なの?」
  そして案の上、由真は友之を心配するようにそう言った。友之がこくんと頷くと、由真は「良かった」と言って少し笑ってから、不意に俯くとぽつりと言った。
「 あのさあ…。ホント、この間はごめんねえ」
「 え……」
  由真のその言葉に友之はどきりとした。
  突然思い返された。
  もうずっと昔の事のように思えたけれど、由真を好きらしい青年から胸倉を掴まれたこと。
  『ごめんね』と必死に謝っていた由真に何も言えなかったこと。
  謝るのはこちらの方なのに。
「 あの……」
  けれど言いかけた友之に由真は言った。
「 ホントさあ、あたし、あの後少しへこんだよ。友之、あんなヤな目に遭わせちゃって。あたしも人の良いのもいい加減にしようって思ったね。あんなバカ男の相手していてさあ。ま、あれがきっかけでアイツとはあれっきりになれたから、あたしとしては良かったんだけど。あ、いや、友之をあんな目に遭わせちゃった事は全然良くないわけだけどっ」
「 そんな……」
「 だからあ…本当はずっと気になってたんだけど、友之、ショック受けてたり落ち込んでたらどうしようって。あたしらしくもなく連絡取れなくて。はーあ、もう今日こうやって友之に話しかけるまでにどんだけの労力を必要としたか。却って数馬に感謝だよ」
「 ゆ、由真…」
  友之は焦って口を開こうとしたが、しかし由真はそれを押しのけて自分が続けた。
「 だからっ。高城で誰に会いたいのか知らないけど、こうやって少しでも友之の役に立てるなら嬉しいよ! 珍しいじゃん? 友之がこうやってどっか出掛けたり誰かに会おうとするのってさ!」
  そうして由真はそれをまるで自分の事のように喜び、満面の笑みを向けた。友之はそんな由真の表情を思わずまじまじと見やった。
  こんなに清清しい笑顔。
「 さ、行こ! こっからバスに乗るんだけど、割と近いよ? それにしてもさあ、言っておくけど、あたし好きでストーカーやっていたわけじゃないよ? 本当は電車で声かけようと思ったのに、数馬のやつ、駅に着くまで黙っていろだって。友之を『初めてのお使い』に出すんだから、なんて言っちゃってさあ。やっぱアイツってヘン!」

  失礼しちゃうよね。

  けれどそう言って1人けらけら笑いながら先を行く由真の背中を見つめながら、友之は何でもお見通しの頼りになる友人の顔を思い浮かべ、はっと息を吐いた。
  帰ったら数馬に礼を言おう。そう思った。



  光一郎の弟が在籍している「らしい」高城学園は、中高一貫教育の、近辺では有名な私立学校だった。緑に囲まれた学園の敷地は中高が併設されているだけとはとても思えないほど広大なもので、バスを降りてすぐの校門からは、既にテニスコートや野球場が照明完備で設置されているのが見え、友之を唖然とさせた。
「 ここ、結構スポーツ学校としても有名だしね。甲子園も国立競技場も花園も割と行っているみたいよ? だからモテモテ高校ってわけ」
  メールを打っているのか、由真は俯いたまま隣で立ち尽くしている友之に何でもない事のように言った。そうして数分後、いじっていた携帯をぱたんと閉じて、改めて友之を見やる。
「 ここから真っ直ぐ行けば中学の校舎があるよ。入っていっても咎められないから大丈夫。見学者多いし、ここ、制服もあるけど私服で来ている生徒もいるし。友之は頭良さそうに見えるからここの生徒って思われるかも」
「 ………」
「 で、誰を探しているの? 名前とか分かるならあたし呼んできてあげようか?」
「 え……」
  平然とそう言った由真に友之は躊躇した。
  数馬に背中を押してもらうようにしながら家を出て、今また由真のお陰でここにいる。その上相手の事まで由真に探してもらうなど、それはさすがにできないと思った。
  大体、名前など知らない。確か母親は「新垣」と名乗っていたから、苗字だけは分かっているが。
「 あの…いいよ……」
  ぼそりと言うと、由真はその返答を予想していたのだろうか、別段驚きもせずに「あ、そう?」とあっさりと引き下がった。そうして突然鳴った携帯のメール着信音に「あ」と反応を返し、急に早口になって友之に言った。
「 悪いけど、友達が待っているから、あたしもう行くね! それに友之もあたしがいない方がいいでしょ?」
「 え……?」
  さり気ない言いようだったが、友之は由真のその台詞にどきんとした。
  もしかして気を遣われているのだろうかと思った。
「 もしさ、帰り一緒に帰りたかったらケータイに掛けてくれれば駅前で落ち合えるから! へへ、今日はさ、この名門女子高、桜乃森の制服姿を友達に見せびらかしに来たんだよね。割と似合ってない? マジお嬢っぽくない?」
「 うん」
「 あっはは! 友之もおべっかがうまくなったよね!」
  すぐに頷いてみせた友之に、由真はそれでも非常に満足そうに笑い、「それじゃ、行くね!」とまた人一倍明るい声で言った。そうして由真は道路を挟んで反対方向にあるバス停へと駆けて行った。
「 あ…! ゆ、由真…ッ!」
  だから友之は慌てて言葉を切った。
  急に駆けて行ってしまって、迷っている暇がなかったのが良かったのかもしれなかった。
「 えー? なあにー?」
  道路を渡り終えてしまってから由真は友之のその声を聞き取って叫んできた。もう由真の姿はあんなに小さい。それでも友之は精一杯の声で言った。
「 あ……あ、ありが、とう…ッ」
  聞こえただろうか。どきどきして自分の声に耳朶を赤くしていると、やがて向こう側から由真の大きな声が聞こえてきた。
「 どういたしましてー!!」
  そうして由真は大袈裟に両手をぶんぶんと振った。
  由真の笑顔を見て、友之はほっとした。あの時のことを謝る事はできなかったけれど、今言えた一言が自分の中でとても大きなもののように感じられた。



  校舎までの長い通りには欅の木がコンクリートの道両脇を挟んで整然と立ち並んでいた。
  そして、ちょうど下校時刻と当たっているのかもしれない、その通りには大勢の学生たちが賑やかに校舎の方から歩いて来ていた。友之はひどく居心地の悪い気持ちになりながら、道の端をのそのそと歩いた。
  青緑色のフェンス越しからは先ほど入り口の所から見えた野球部が互いに声を出し合いながらコーチらしき人物からノックを受けているのが見えた。喧騒とした雰囲気の中、それらの声が友之の耳にはよく響いた。元々野球は好きだ。やるのも好きだが、昔は一緒にやってくれる仲間がいなかったから、もっぱら観戦派で、それでも見ているだけでも友之には楽しかった。そういえば、寝込んでいる時に中原が一度顔を出してくれたが、その時「練習のことは気にするな」と言ってくれていた。ああ、やっぱり日曜日は過ぎていたんだ。何となくそんな事を考えた。
  そうこうしているうちに校舎の前にまでたどり着き、友之は広く開け放たれた生徒用の昇降口を前に再び足を止めた。
「 ………」
  さすがに中に入って行く勇気はなかった。そして、実際にここまで来てしまうと、一体自分は本当に光一郎の弟とやらに会ったとして、何がしたいのかと今更ながらに思ってしまった。
  ただ最初に「会ってみたい」という気持ちがあって。
  その後は、何があったのだろうか。
「 ねえ、君」
  その時、不意に背後から声を掛けられた。ぎくりとして振り返ると、そこには随分背の高い男子生徒が立っていた。ここの生徒だろうか、その学生は恐らくはどこかの運動部の指定ジャージであろう、赤に白のラインが入った物を羽織り、大きなボストンバッグを肩に下げた姿で、ぽつんと1人立ち尽くしている友之をじっと見下ろしていた。暗い茶系の髪を後ろに一つで結わえ、涼しげな目元はどことなく冷たそうな雰囲気も抱かせたが、掛けてきた声色はそれほど害意のある風ではなかった。
「 見かけない顔だね。誰か探している?」
「 え……」
「 さっきからそこに突っ立っていたからさ」
  男子学生はそう言ってからバッグを地面に置き、改めて友之ににこりと笑いかけた。
「 ここ、よくお客さん来るから。俺、自分で言うのも何だけど高等部では割と顔広いし、訊きたい事あったら遠慮しなくてもいいよ?」
「 ………」
  突然の事で途惑ったが、友之は相手のその優しそうな態度にほんの少しほっとして強張らせていた肩の力を抜いた。よくは分からないが、如何にもよそ者な態度の自分に対し、この人は親切心で声を掛けてくれたようだ。友之は一旦ごくりと唾を飲み込んだ後、思い切って声を出した。
「 あの…ちゅ……」
「 ちゅ?」
  笑いながら首をかしげた相手に友之は焦り、後の言葉を急いで継いだ。
「 中等部の……」
「 ああ、中等部? 何だ、やっぱり君、中学生?」
「 ………」
  思わず黙りこむと、相手は肯定の意に受け取ったのか、ますます優しげな顔になって笑った。
「 もしかして見学かな? ここ、割とそういう人多いし……」
「 あ、いえ……」
「 え? あ、違った? じゃ、誰か探している? 誰?」
「 あ…」
  新垣。
  その苗字を出すまでに、友之は恐ろしく時間をかけた。人が良いのか、度が過ぎるお節介なのか、目の前の学生は辛抱強くそんな友之の言葉を待っていてくれたわけだが。
「 新垣……」
  そうしてやっとの思いでその単語を出した友之に、相手はすぐに目を見開いて素早い反応を示した。
「 何だ、コージ?」
「 え……」
「 新垣光治でしょ? 君が探しているの」
「 ………」
「 あいつ、今日はグラウンドにいるかなあ…。あ、おい、榊!」
「 はい?」
  男子学生は1人で考えこむようにつぶやいた後、ちょうどうまいタイミングで校舎から出てきた学生を見咎めて声をかけた。中等部の校舎から出てきたその「榊」と呼ばれた少年は、この男子学生と同じく赤いジャージを着こみ、こちらは大きなバッグにサッカーボールも持っていた。丸坊主のその少年は友之とほぼ同じくらいの背丈で、どちらかというと痩せ身であった。
「 藤咲会長〜。また校舎前でうちの見学に来た人をナンパですか」
  友之たちの前にまでゆったりとした歩調で歩いてきた「榊少年」は、呆れたような、しかしすっかり慣れたような顔をしてその男子学生にそう言った。
「 こらこら、人聞きの悪いことを言うな。大体、この子は男だろうが?」
「 えっ…。あ、すいません、最近どんどん視力が落ちているもので…!」
  榊少年は素で間違えたらしく、目をしかめて焦点を合わせるようにしてから、友之に対し慌ててぺこりと頭を下げた。「藤咲会長」と呼ばれた方の男子学生はやや苦笑したようになって暫し黙りこんでいたが、やがて友之の方に向き直ってから言った。
「 あのね、コージはサッカー部なんだけど、中学の部の方はもう引退しているから普段はあんまりうちで練習はしないんだ。高等部の方も今日は自主練の日でね。おい榊。どうせあいつ、あそこの空き地だろ?」
「 多分」
「 お前、連れてってやれよ」
「 えっ…。あの、俺、一応これから練習があるんですけど…」
「 知らん」
  男子学生はそう言ってそっぽを向いてから、友之にはまた人の良い笑顔を向けた。そうして思い出したようにバッグから何かの会報のような冊子を友之に渡した。
「 これ、うちの生徒会が月1で発行している学園誌。うち受験するなら、是非読んでな」
「 え……」
「 コージも親元離れて選ぶくらいの学校だから。ホント、楽しいから、良かったらおいでよね」
  そうして一方的にそれだけを言うと、その「藤咲」と呼ばれた学生は風のように去って行った。友之は何となく強引に手にとらされたその会報に目を落としていたが、傍に立つ榊少年がふうとため息をついたのに気がついて慌てて顔を上げた。
「 あの人、すっごい変わり者で有名なんだ。まあ、うちの生徒会長やるくらいだから、ヘンで当たり前だけど」
  榊少年はそう言ってから丸めた頭を片手で撫で、「君が受験の為に見学に来たとかだって、どうせあの人の推測でしょ?」と伺い見るように訊いてきた。
「 うん……」
「 やっぱり。あの人はいつもそうで…って、あ、まあ会長のことなんかはいいよね。光治先輩に用なの? 知り合い? あ、違う? じゃあ、他所のサッカー部の人? 偵察? うちそういうの多いんだよ。別に咎めもしないんで、それはそれでいいんだけどね」
  それじゃあ行きますか、と言って榊少年は1人で喋ると1人で切り上げてさっさと校舎の裏手に向かって歩き出した。友之が慌てて後を追いかけると、榊少年は重そうなバッグを背負いながらまた1人勝手に話し始めた。
「 ここ、裏から出るとすぐ空き地があって、光治先輩そこで小学生にサッカー教えているんだよ。週イチくらいの割合で。先輩めっちゃ良い人だから、懐かれまくっていて。だから先輩が転校するかもって分かった時、その小学生たち、まさに号泣だったんだ。あれは凄かったなあ」
「 あの…」
  小さい割に足の速い榊少年に必死な思いでついて行きながら、友之は何とか声を出した。返事はすぐに返ってきて、榊少年は振り返りもせずに「何ー?」と訊き返してきた。友之は相手がこちらを見ない分、思い切って先を続ける事ができた。
「 さっき……親元を離れてって言って…いたけど……」
「 え? あ、ああ、光治先輩ね。そうそう、何か両親の仕事の都合で外国に行っちゃうって話になっていたんだよ。だけど光治先輩、高城でサッカーやるって前から決めていたみたいで、親について行かないで学園の寮に入るって」
「 ………」
「 ホント、カッコいいんだよなあ、光治先輩!」
  榊少年はそう言って心底感動したようにうんうんと1人頷いていた。友之はそんな相手の背中をただ見つめながら黙っていた。
  引っ越すというのは、どうやら母親の方だけであるらしい。光一郎の弟…光治という名前らしいが、その人物は親元を離れて1人でこの街に残ろうとしているのだ。
  光一郎はその事を知っているのだろうか。知らないわけはないと思うが。
「 あ、いたいた。あそこだよ」
「 ………!」
  友之が考えを巡らせようと思った瞬間、榊少年が裏門を出てすぐの前方を指さした。裏山に直結しているような人気のないその通りには、すぐ目の前にぼうぼうとした枯れ草が連なる空き地が広がっていた。遠方にショベルカーやプレハブが見えたから、近々何か立つ予定があるのかもしれない。遊ばせるだけなのは勿体ないほどの面積だったから。
  けれど、そこで。
「 あの白いTシャツの人見える? 俺、あんまりはっきり見えないけど、1人背の高いのが先輩だよ。めちゃくちゃ動いているから、うん、あれに間違いないな」
「 分かる……」
  思わず友之はそう言ってその人物の姿を追った。
  元気に走り回っているその姿は、遠目にもはっきり分かった。周囲に小柄な子供たちを従えてボールを器用に回している。楽しそうな笑顔。あの修司が撮った写真のその人そのままの顔がそこにはあった。
  友之の姿に気づくはずもなく、その少年はただ楽しそうに地面を駆けるサッカーボールを夢中で追っていた。



To be continued…



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