(18)



「 ねえ、一緒にやらない?」
  ボールを1人の少年に渡してフィールドから外に出てきた光治は、そう言って友之に笑いかけた。ハアハアと激しく息をついているものの、苦しそうではない。むしろその疲労もどこか心地良さそうだ。風に揺れて乱れる髪もそのままに、光治は真っ直ぐに友之の事を見つめていた。
「 楽しいよ? どう?」
「 あ……」
  突然話しかけられて友之は思い切り動揺したが、当の光治の方はきょろきょろと視線を遠くにやりながら口調を変えて訊いてきた。
「 さっきまで一平いなかった?」
「 え……」
「 ここに一緒にいたでしょ」
  光治はそう付け加えながら首にかけていたタオルで額の汗を拭いた。それから友之の隣に立つとすぐに少年たちへ目を向け、「こらー! ダイ、追えー!」と大声をあげた。友之はそんな元気いっぱいの光治から焦ったように視線を外し俯いた。
  言葉が出てこなかった。
  「一平」こと榊少年は何度か光治を連れて来ようかと持ちかけてくれたが、友之が頑なに首を振ってそれを拒むと、やがて「練習があるから」と言って去って行った。ぎこちない友之の様子を不審には思ったようだが、元々が気さくな性格なのだろう、「今度はうちの部の練習も見に来なよ」という言葉まで掛けてくれた。
  1人になった友之に光治がそうして話しかけてきたのは、それから30分ほど後の事だった。
「 小学生とやんのは恥ずかしい?」
  光治は友之よりも頭半分背が高い。相手を覗きこむようにやや身体を屈め、別段気分を害する風でもなくそう訊いてきた。友之が慌てて首を振ると、「ふうん?」と光治は笑いながら首をかしげ、前方で未だひた走りにボールを追っている少年たちに再度目を向けた。
「 あいつらかなりイイ線いってるんだ。今度の大会でも目指すは大きく地区優勝!」
「 監督…なの?」
  自分から視線を外されたことで、友之はようやくほっとして顔を上げ、光治を見つめた。
  精悍な横顔はやはりどことなく光一郎に似ていると思った。
「 監督なんて大袈裟なものじゃないよ。ただ一緒に遊んでいるだけ。俺さ、好きなんだよね。サッカー」
「 ……そうなんだ」
  何となく返答した友之に、光治はふっと笑ってからあっさりと言った。
「 野球派なんだよね?」
「 え……?」
  どきんとして弾かれたように顔をあげると、光治はそんな友之からさっと視線を外し、続けた。
「 部活じゃなくて社会人のチームに入ってるんでしょ? すごいな」
「 な……」
  知っている。
  咄嗟にその思いが頭を掠め、友之は一気に硬直した。こちらが知っているのだ。向こうが知っていてもおかしくはない。けれどいざこうやって声をかけられてしまうと、「自分の存在を知られている」という事実が何だかとてつもなく恥ずかしいことのような気がして、友之はただ動転してしまった。
  どう思っただろうか。こんな所まで、突然やってきた自分のことを。
「 知らないフリしてようかとも思ったけど、それって何か性格悪いし」
  光治はうろたえている友之に構わず話し始めた。
「 俺はね、ここの高校でサッカーやるって決めてるんだ」
  視線は友之にない。光治は最初に大声を出した時のように、少年たちにパスのタイミングや守りの位置などを時折指示しつつ淡々と続けた。
「 ここの中学選んだのだって高校のサッカー部が強いからだよ。俺、いけるとこまで上目指して、将来は絶対プロになる。だからいきなり親の都合で外国行くぞとか言われても困るんだよね」
「 ………」
「 あ、笑わないんだ? 俺がプロ目指すって堂々と言うと皆笑うんだよ。母親なんか『ぜってー無理!』とか言うしさ。ホントひどいよ。それでも親かって」
  光治は友之の表情の乏しいところや反応の鈍い点を何とも思っていないようだった。元来がお喋りな方なのかもしれない。その口はぺらぺらと非常によく動き、そして自信に満ちていた。けれどそれは決して煩く感じる類のものではなく、友之は光治の活き活きとしたその話し方に自然惹き付けられた。
「 養ってもらっているから親には感謝しているけど、あの人って本当母親っぽくないんだよ」
  見つめられると友之が焦ることを学んだのか、光治はわざと視線を外したまま続けた。
「 あの人はいつだって自分と自分の仕事が1番だから。それなのに『趣味は子供を産むこと』なんて言ってるんだからバカにしてるよ。でもさ、だから俺も好きに生きるって決めてるんだ」
「 外国って…何処へ…?」
「 タイって言ってたけど」
  ようやく喋った友之に光治は「おや」と思ったようだが、それでもその驚きを見せないようにしてすぐに続けた。
「 だから突然言い出したんだよ。お前には兄姉がいる、なんてさ」
「 え……」
「 いきなりそんな事言われてびっくりしたけど…。多分、心配だったんだろうね。自分らだけで外国行っちゃったら、俺この街で1人になるわけじゃない。近くに親戚がいるわけでもないし」
「 ………」
  友之が黙りこむと、光治は急に皮肉な笑みを浮かべ、はっと笑った。
「 でもさあ、そんな事を言うなら光一郎さんや夕実さんはずっと実の母親から離れていたわけだろ。いくら君のお母さんがすぐ後に家に入ったからって…俺への気遣いって、これちょっと贔屓され過ぎじゃない。俺嫌なんだよね、そういうの」
「 そういうの……」
「 ま、興味はあったから会ってみたいとは言っちゃったけど」
  しれっとして光治は言い、それからちらと友之を見るとまた気持ちのよい笑顔を見せた。友之はそんな光治を自分もじっと見やりながら、確かに突然「お前には兄姉がいる」などと言われたら、会ってみたいと言うだろうなと納得した。
「 でも俺、家族って別に一緒にいなきゃいけないものって思ってないし」
  友之が考えに耽ろうとした時、光治は素っ気無くそう言った。
「 でもこれは、冷たいってのとは別だよ」
  そして光治はそうも付け加えた。友之が怪訝な顔をしていると、光治は不意にひどく優しい表情をしてやや首をかしげ、それから「あいつも親と離れて暮らしているし。でもあんな元気だし」と、少年たちの中で特に小さくちょこちょこと走り回っている子を指差した。
「 一緒にいても通じてない家庭ってあると思うな。だからって別にうちの家族が特に通じているとは思わないけどさ。でもホント、一緒にいない家庭だったんだ、元々。でも、俺はそれを不自由に感じた事は別にないわけ」
「 ………」
  それと似た台詞を友之はどこかで聞いたことがあるような気がした。しばらく考えを巡らせて、それがいつか公園で沢海が話してくれたことだと思い出せたのは、光治が「どうしたの?」と、黙りこむ友之の顔を覗きこんだ時だった。友之が何でもないと首を振ると、光治はすぐにまた気さくな笑みを浮かべた。
「 でも、光一郎さんって良い人だよね。あんな人が俺の兄貴なんてちょっとラッキーかな。まあ…密かに迷惑そうだったけど」
「 え……?」
「 何か分かった。感じたというか。同じ血が流れているからかなあ?」
  にこにこと笑ってそう言う光治が何を考えてそう言ったのかは分からなかった。ただ友之が不安そうな顔をしていると感じたのだろうか、光治は素早く両手を振って「あのさ」と焦ったようになって後を続けた。
「 光一郎さんは『何かあったら頼っていいよ』なんて言ってくれたけど。まあ、俺は大丈夫。友達も先生も皆大好きだし、新しく入る寮の寮母さんも良い人だしね」
「 あの……」
「 だから」
  何事か言いかけた友之を遮って光治は言った。
「 だから、あんまり心配しないで」
「 え……?」
「 君、何だか泣きそうだから」
  今、自分がどんな顔をしているかなど、友之には分からなかった。
  けれど光治のその申し訳なさそうな苦笑したような表情を直視すると、ひどく居た堪れない気持ちが胸の奥から湧き上がってきて。
  友之は慌てて下を向いた。一体何をしているのだろう、そう思った。
「 ええっと…友之、くん?」
  それでも光治は自分から逃げるように俯いてしまった友之に、依然優しい表情を向けて言った。下を向いたままの友之にも光治のその様子は伝わった。柔らかく温かい声が耳にじんと響いた。
「 俺は光一郎さんの弟かもしれないけど、君の生活の邪魔はしないよ。だから…安心してね?」
  ズキンズキンと胸が痛んだ。やっぱり泣き出しそうなのかもしれないと思った。
「 それでさ、できたら時々こうやって仲良く話してくれない? 俺たちって間接的に兄弟なわけでしょ? それって何かイイよね」
  それでもそうやって光治の言葉は尚友之の耳に木霊した。胸が痛い。目眩を感じた。
  友之は光治の目の前にいる自分が猛烈に恥ずかしくなっていた。
「 ………」
  光一郎を取られるかもしれないとか、光一郎が本当の家族のことを選ぶかもしれないとか。一体何を考えていたのだろうと思った。
  光治は確かに光一郎の弟で、光治自身にも光一郎が兄だという自覚があるようだけれど。けれど、だからといってそれが一体何だと言うのだろう。
  光治の光一郎への想いは、自分とは根本的に違う。友之は今この時、そのことを強く自覚した。
  全然違う。自分とは、違い過ぎる。
「 ……友之くん?」
  何も言わない友之に光治が困ったように声をかけてきた。けれども友之はまともな反応を返す事ができなかった。ただじりじりとした思いが頭の中、胸の中、全身を駆け巡っていた。
  同じ「弟」だけれど。
  自分はこんな「弟」ではない。いや、むしろ本当の弟という点では、この光治の態度の方がよほどしっくり当てはまるのかもしれない、そう思った。
  自分は、違う。


  弟ではなくて。


*


  自宅のアパートに帰り着いたのは、もう21時も回った頃だった。帰りのバス停が分からなくて結局駅まで歩いてしまったし、電車は電車で間違えて反対方向の急行に乗ってしまったら、停車駅に着いた時にはもう随分遠い所にまで来てしまっていた。さすがに情けない気持ちで一杯になったが、それ以上に自分の中ではっきりと気づいてしまったこの感情が友之は怖かった。見知らぬ土地に1人でいるより、自分の気持ちが怖かった。自分のこれからが怖かった。もしかするともうずっと昔から抱いていたのかもしれない、この気持ちを意識してしまった事が怖かった。

  ガタガタと揺れる車内、もう真っ暗で灯りのついている遠いビル群しか目にできない景色を追いながら、友之はただぼんやりとその場に身を任せていた。





「 ………た…ただいま」
  鍵の掛かっていないドアを恐る恐る開け、友之はそろりと小さな身体を部屋の中へ滑り込ませた。
  光一郎が黙ってこちらを見ているのがすぐに目に入った。
「 あ……」
「 ………」
  お帰り、とはさすがに言ってくれないようだ。しかし普段ならば「何処へ行っていたんだ」とすぐに怒り出しそうな光一郎は、しかし無言のまま立ち上がるとすぐに部屋の入口付近にある電話を取り、どこかへ掛け始めた。友之が靴を脱いでそろそろと部屋へ入ると、ちょうど掛けた相手に繋がったのか、光一郎は「悪い」と開口1番くぐもった声で言った。
「 帰ってきた。ああ…え? あ、今だよ。そう、たった今。悪いな。もう大丈夫だから」
「 ………っ」
  驚いて光一郎を見上げると、友之には知らん顔のその背中はただ受話器向かうの人物に話しかけていた。
「 いや、もう今夜は家帰れよ。遅いし…ああ…ああ、じゃあな」
  誰だろう。おどおどとしたまま光一郎の背後に立ってそう思っていると、その答えはすぐに友之の元にもたらされた。
「 裕子だよ」
  光一郎はそう言った後、くるりと振り返って友之のことを見下ろした。別段怒っているような顔ではなかったが、どことなく呆れているようではあった。
「 夕方ここに来たらしくてな。お前がいないのを心配して、今の今まで当てもなくお前のことあちこち探し歩いていたんだ」
「 え……」
「 後で礼言っておけよ」
「 あ……う、ん」
「 ……手、洗ってこい」
  光一郎は外から帰って来る友之にはいつもまずそれを言う。今もそのいつもと同じ態度でそう言った。友之は何となく頷き、それから洗面所へ行きかけてもう一度くるりと振り返った。光一郎は台所へ行ったようだ、姿は見えなくなっていた。きっと夕飯を温め直すのだろうと思った。
  怒っていないのだろうか。
「 ………」
  洗面台の蛇口を勢いよく捻り、友之はジャージャーと激しく水を出しながら光一郎の無機的な顔を思い返していた。確かに光治と似ているけれど、光一郎は笑わない。まるで正反対だと友之は思った。友之は顔を上げ、目の前の鏡に映る自分を見つめた。自分の顔が映っているはずであるのに、そこに浮かぶ映像は夕刻に出会った光治の笑顔だった。あんなに楽しそうに、あんなに堂々と生きている光治は、とても自分より年下の少年とは思えなかった。むしろ気遣われてしまって。情けない。みっともない。
「 ……っ」
  たまらなくなり、友之は両手いっぱいに水をすくうと、それを思い切り自らの顔に叩きつけた。息を止め、ばしゃばしゃと水を当て続けた。顔を洗う、というよりは水を浴びるという言い方の方が正しそうだった。顔だけでなく、全身から思い切り水をかけてしまいたい気分だった。このもやもやとした気持ちも、どうしようもなくこみ上げてくる熱い気持ちも、全部冷たい水で洗い流せたら。
  友之はただそう思った。



  光一郎は先に食事を済ませてしまったのだろうか。テーブルの上に用意された夕食は友之の分だけだった。光一郎は友之に牛乳を淹れてやりながら、箸を持ったままこちらを窺い見ている友之に知らぬフリを決め込み、暫くは何も言おうとはしなかった。
「 ………」
  それでも友之がいつまでも食事を始める気配を見せず、しつこく自分に視線をやっている事に辟易したのだろう。光一郎は小さくため息を漏らした後、ややぶっきらぼうに口を開いた。
「 別に怒っていない。さっさと食えよ」
「 ………」
  その台詞にややほっとしたものの、それでも友之は落ち着かなかった。
  こうして互いの呼吸を感じられるほどに近くにいること。光一郎の息遣いを直に聞くこと。それだけで今の友之はひどい緊張に包まれた。とても食事などという気分ではない。ただどぎまぎし、そうしてやはりどことなく怒っているような光一郎の様子がただただ気になり、友之はじっとその場に正座したまま微動だにしなかった。
「 友之」
  すると光一郎は益々呆れたようになってにゅっと腕を差し出すと友之の頭を鷲掴みにした。そうして途惑う友之の頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫で回し、困惑するのはこちらだと言わんばかりの顔を見せた。
「 怒っていないと言っただろう。そんな顔するな」
「 うん……」
「 それに……」
  らしくもなく光一郎は一瞬何事か言いよどんだようになった。ためらう風に一旦友之から視線を外し、1拍後にぽつりと言った。
「 ………俺、お前に当たっていた」
「 コウ…?」
「 悪かった」
  光一郎の言っている事の意味が分からず、友之は首をかしげた。手にしていた箸を持ったまま、ただ視線を光一郎に注ぐ。光一郎はそんな友之の頬をさらりと撫でてから、もう一度困ったように苦笑した。その表情に友之が胸を鳴らしたことなど気づかずに。
「俺もいい加減頑固だった。それは分かっていたんだ。でも止められなかった。お前がいつまでもあいつらに固執するから」
「 ………あいつら」
  すぐに光治たちのことを言っているのだと分かったが、友之は無意識に光一郎の出したその言葉をただ繰り返していた。そうしてここ数日間、自分に対し何も言ってくれなかった無機的な光一郎の表情を思い出し、急に胸が痛くなるのを感じた。
「 今日…行ったんだ。光治君に…会った」
  だから友之は言った。

「 ………」
  光一郎はぴくんと肩先を揺らし、一瞬だけれど驚いたような顔を見せた。けれど、どうやって会いに行けたのかとか、何故そんな事をしたのだというような友之を責める口調は一切発しなかった。
「……そうか」
  そしてすぐにいつもの態度に戻った光一郎は、試すような視線を向ける友之に短くそう返し、何でもない事のように一言問い掛けた。

「 それでどうだった」
「 ………」
「 会ってみた感想だよ」
  すぐに答えない友之に光一郎はそう補足して小さく笑った。その笑い顔はやはり光治と同じだった。
「 ……っ」
  けれども友之は光一郎のその顔を何だかずっと見ていられなかった。慌てて下を向き、唇を噛んだ。赤面しているかもしれない、そんな自分が恥ずかしかった。

「 友之?」
「 あ……」
「 どうした?」
「 ううん……。あの、普通、だった」
「 ………普通?」
  ぽかんとした光一郎の反応に友之は再度慌てたが、言ってしまった言葉は当然ながら戻ってはこなかった。
  光治に会って感じた事はたくさんあったはずだった。光一郎に伝えたい、聞いてもらいたいこともたくさんあったはずだった。けれど実際にでてきた台詞はたったそれだけ、まったく要領を得ないそんな言葉だけだったのだ。普通。何が? 自分自身でもよくは分からないその答え。それでも、その時の友之はただそう答えてしまったのだ。
「 普通…って。光治が普通の奴って意味か?」
  訳が分からないという風に光一郎は友之に問い質したが、返事がなかなか返ってこないと分かると、それ以上の詮索は無駄だと感じたようだった。しばらくの間光一郎は困ったように下を向いたままの友之をじっと眺めていたが、やがて不意に可笑しくなったのか、 くっと低く笑みをこぼした。友之が驚いて顔を上げると、光一郎はやはり笑顔を向けていた。「仕方のない奴だ」、そんな表情をしていた。
「 もういいよ。早く飯食え。冷めるだろ」
「 ……うん」
「 友之」
「 え…?」
  けれどそう言った瞬間、光一郎は友之を無理に自分の元へ引き寄せ、そうして強引に唇を重ねてきた。
「 ん…っ!?」
  突然のことに面食らい、何も抵抗できない友之は息を詰まらせ目を閉じた。どきんどきんと急激に高鳴り出した胸の鼓動は、そのまま心臓が破裂してしまうのではないかと思うほど激しいものだった。友之はぶるりと震え、逆にそれをもたらした光一郎の腕に強く縋った。
「 ………あまり心配させるな」
「 え……」
  するとひどく陰にこもった声が不意に耳元で聞こえた。友之がゆっくりと目を開くと、光一郎からの口付けはとうに終わっていて、ただ強く激しく抱きしめられているのが分かった。
「 コウ…?」
 光一郎の体温を感じる。温かかった。
「 分かってるのか、トモ?」
「 コウ……」
「 心配…してたんだぞ…?」
「 うん……」
「 ふ…何が 『うん』 だ。…このバカ」
  すぐに返事をしてきた友之に光一郎はすっと毒素を抜かれたようだ。ふっと笑みを漏らすと、後はすぐに友之の身体を解放した。
  友之は放して欲しくはなかったのだけれど。

「 俺はもう寝る」
「 え?」
  そうして突然そう言った光一郎に友之は驚いて聞き返した。

「 たまにはいいだろ。疲れた。俺だってたまにはな、バカみたいに早い時間に寝たくなる時もあるんだよ」
「 コウ……?」
  きょとんとしている友之に光一郎はそれ以上の訳を言ってはくれなかった。ただ「片付けはやっておけよ」と言い残し、一人寝室へ入ってしまった。珍しいなどというものではなかった。自分よりも先に眠る光一郎を今まで友之は見た事がなかった。いつもいつも光一郎は一体いつ眠っているのかと思うほど、眠らない人だったから。
「 コウ……」
  具合でも悪いのだろうか、一瞬そんなことを思って不安にもなったが、もしそうだとしても光一郎がそれを自分に言うわけがない。友之は戸惑い、もう一度光一郎に理由を訊きに行こうかとも思ったが、散々考えあぐねた末、結局やめてしまった。今は光一郎が笑ってくれたこと、怒らないでいてくれたことが嬉しかった。そして抱きしめてキスしてくれたことが本当に嬉しかった。だからもうそれ以上のことを今の光一郎から望むのはいけないと思った。
「 ………おいしい」
  光一郎が用意してくれていた食事をもそもそと食べ始め、友之は1人きりのリビングでぽつりとそうつぶやいた。
  食事を味わって食べたのは久しぶりのような気がした。



To be continued…



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